冒険キャンプの朝ごはん

蛇ばら

朝のやさしさお雑煮

 静かな風に目が覚める。

 日の出とともに輝きはじめる朝露がぽとりぽとりと地面を濡らしていく。


「おはよう、アルジャン。よく眠れた?」


 敷いていた麻布の土を落としていると、木篦きべらを片手にのぞき込んでくる影。

 茶髪に赤銅を塗り重ねたような独特な髪を首の後ろでひとつに結び、いつも着ているローブの代わりにはグリーンのシンプルなエプロンを身に着けている。


「ああ。問題ない」

「相変わらずつめたーい。ほら、ちゃんと名前呼んで、挨拶。一緒に冒険する仲なんだから」


 まさか名前を忘れたわけじゃないよね、と意地の悪い笑みを浮かべられれば、昨晩さんざんにからかわれた苦い記憶が思い出される。

 異性は苦手だ。何をしてくるのか想像がつかない。

 アルジャンは手早く麻布を袋に詰め、熾された焚火のそばへと寄った。


「……その、おはよう。エトワール」

「うーん、及第点。もうすこし愛想がほしいかな」


 エトワールはぷくりと頬を膨らませて、両手を腰へと当てる。

 言葉とは裏腹に心底楽しんでいる様子。早急に慣れが必要となりそうな彼女の行動にアルジャンは頭を悩ませた。

 行きつけの酒場でひょんなことから知り合って、ちょっと大きな依頼を受けるために手を取った。友人というにはまだ遠いし、仲間というにも互いのことをよく知らない。詮索しない、という条件で組むのがソロ冒険者としてうまくやっていくコツで、愛想のないアルジャンにはそれが一番合っている方法のはずだった。


「まあいいや。おなかすいてない? 朝ごはん、できてるよ」


 苦い顔を隠すつもりもないアルジャンに対し、まともに受け取るつもりのないらしいエトワールはエプロンの裾をひらりと返した。腰に下げた薬品瓶フラスコがからりからりと音を立てる。木篦を短杖のように振りまわす姿にひやりとしながら、しかし腹の虫は正直なもので、アルジャンは結局何も言わずに隣へと腰を下ろした。

 火にかけられた鍋はふつふつと煮立っている。食材はくずれかけるほどよく煮込まれていて、混ぜると良い香りがした。


「仕上げにちょっとだけ隠し味。名付けて、『朝のやさしさお雑煮』でーす!」

「お前、妙な名づけセンスだな……」


 しっかりと熱をためこんだ一匙。やけどに気を付けながら口に含む。

 刺激の強い植物を好んで食べるナドリはその肉にも独特の風味がうつっている。脂の少ない肉からぴりりとする刺激、それを香草のすっきりとした香りがつつみ、続いて一緒に煮込まれた野菜の甘味が追いかけてくる。鼻に抜ける香ばしさは先に肉を炒めているのか、これもいいアクセント。腹の底からあたたまる味にほうっと安堵の息をつく。


「うまい」

「ほんとう? よかった!」


 上機嫌になって自分の椀を満たすエトワール。赤茶色の髪を押さえてすこしずつ食べていく様子はウサギを連想する。ちなみにここからやや離れた場所に生息する通称玉ウサギは人間サイズの丸い魔獣で、体を軽くするためにあまり肉の食べごたえはない。大きくてふさふさしたものが転がるのを楽しむ、ある意味での観賞用だ。見ているぶんならかわいらしいのにな、と口に仕掛けて、アルジャンは慌てて食べることに集中する。何か言えばまたからかわれるに違いない。

 雑煮のあたたかさが冷え切った体にしみていく。

 冒険中のキャンプは眠るだけでも命がけだ。魔獣はおろか、動物に狙われるだけでも人間は簡単に命の危機にさらされる。それを意識すればするほど体は緊張し、休息は必要としながらもどこか張りつめ続けてしまう。目覚め、そして生きていることを実感する瞬間こそが食事の真なる意味だと、とある老練な冒険者が言っていた。いまならアルジャンにもその意味がわかる。固焼きハードパンをひとりで食べるより、すこしばかり味が鮮明になるような──そんな気がする。


「朝ごはんって大事だよねぇ。朝から冷えたもの食べるとさ、なんとなく寂しい気持ちになるじゃない?」

「あまり考えたことはなかったが」

「ひとりでいるときはそれでいいやって思っちゃうんだけどね」


 固焼きハードパンに野菜を詰めるだけでもおいしいものはできる。

 パンには職人の腕があらわれるし、サンドウィッチだって個性がある。それを楽しむことだって人生をじゅうぶんに豊かにしてくれる。アルジャンはそれでいいと思っていた。それでいいから、パーティを組まずに冒険していた。ただ時々──誰かと共有したくなる思いを持て余すことがあっただけ。


「誰かに食べてもらおうと思って作ると、料理も楽しくなるものなんだよ」


 どんな食材を使おうか。

 その料理で、どんな気持ちになってくれるだろうか。

 香草を選ぶとき、ナドリの肉を割いているとき、鍋をかき混ぜているとき。蓋を開ける瞬間を共有できる仲間がいることが、どれほど心強さを与えてくれることか。遠くを眺めたエトワールは、独り言のようにつぶやく。


「最近やってなかったからさ。わたし、いますごく楽しいよ」


 どこから流れてきたのか、何のためにこの土地に来たのか。アルジャンは何も知らないし、エトワールは何も語らない。まだ出会って一晩で、これからひとつの依頼をこなすだけの仲。

 かつてこうしていた相手がいるんだろうか、と。

 ほんのすこしだけ興味を持った自身に、アルジャンは内心で驚いていた。


「お昼はどうしようかな。野菜がまだあるから、スープと……」

「いや、昼は俺が作る。負担は分担したほうがいいだろ」

「へ? でもアルジャンは前衛だし」

「負担の量はそれほど変わらない。それに」


 それに。エトワールが首をかしげて繰り返す。


「……いまは、仲間だからな」


 とろみのついた雑煮はまだまだなくなりそうにない。

 照れ隠しに雑煮をかきこむアルジャンに、エトワールはぽかんと口を開けたままだった。

 香草のほのかな苦み、たっぷり出汁を吸ったナドリの肉。パンを浸してみるとスパイシーな香りがうつって食べやすくなる。

 さみしいと思うこともなかった。味気ないと感じるひますらなかった。だけど、昨日までぼんやりと感じていたあのどうしようもない焦燥は、眠るときの緊張だけではなかったのかもしれない。そして腹のまんなかがあたたかくなるのは、目の前で湯気をたてる朝ごはんのせい。


「ふふ。おいしい?」

「……ああ」

「照れちゃって。かわいー」


 ほころぶように笑うエトワールは朝露と一緒に輝いている。

 人間関係は面倒だ。愛想なんて持ち合わせないアルジャンには、生きるための最低限がやっと身についてきた程度。異性のよくわからないからかいなんて、どう対応すればいいのかわからない。

 それでも──朝からこの景色を見られるのなら。

 誰かと過ごすことも悪くないのかもしれない。

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