7-5 : エーミール・ワイズ







「残るは……エーミールか」



 全快したばかりの身体を伸ばしているリゼットを背に、サイハが倉庫をぐるりと見渡した。


「野宿には慣れている」と言っていつも床で眠っていたエーミールの名残は、どこにもない。

 旅慣れているエーミールがどこへ消えたかなど、皆目見当もつかなかった。


 そういえばどこから来たのかすら聞いてなかったと、エーミールへと至るヒントのなさにサイハは苦い顔をする。


 そこにふと、自室にもかかわらず、サイハの記憶にない物が視界に入り込んできた。


 メナリィが消えたあの夜、エーミールがずっと座って回路図面を引き直していた製図台――そこに、サイハの知らない黒いメモ帳が捨て置かれていた。



「こいつは……?」



 サイハの〝機械〟が完成した瞬間のことを、彼は子細に覚えている。

 そのときは黒いメモ帳そんな物なんて製図台そこにはなかった。


 つまり、それは誰かが〈ぽかぽかオケラ亭〉での決別の後、この場へ立ち寄っていたという痕跡。


 そんな誰かなんて、一人しかいない――はやる気持ちを抑え、サイハはメモ帳を開いた。



【――サイハへ】



 製図台の上に広げっぱなしで置かれている図面と全く同じ、エーミールの筆跡が、彼の名前をつづっていた。



【君がこれを読んでいるのは、一体いつだろうか。もう一度直接話ができればよかったのかもしれないけれど……これ以上君たちを巻き込みたくなかった。だからこんな書き置き、本当は残していくべきじゃないのだと思う。最後まで無責任な私を、どうかゆるしてほしい】



 生真面目で美しい線が言葉を連ねる。エーミールの性格がそのまま表れていた。

 そこに時折震える線が混ざり込み、紙面にぽつぽつと何かの滴った染みが残っているのが、物悲しい。



「強がってんなよ、馬鹿……」



 意識して口汚く言い捨てながら、サイハがページを繰ってゆく。


 と、そのとき。


 別れの言葉が続くものとばかり思っていたサイハの顔が、そこで険しくなった。



【――以下に、例のもう一体のヒト型蒸気妖精ノーブルについて、〈解体屋〉としての所見を記す。片は私がこの手でつけるつもりだが、この情報が君の下に間に合ってくれれば幸いだ、、、、、、、、、、、、



 妙な胸騒ぎを誘う言い回しだった。

 ペラ、ペラ……とページをめくるサイハの手が早くなる。



「…………」



 そして、パタリと。


 エーミールの手帳を閉じたサイハの顔には――異様な緊張が走っていた。



「……ウーッシ……! やッとカラダほぐれてきた――アン? どした? サイハ?」



 凝り固まっていた全身をボキボキと柔軟し終えたリゼットが、そんなサイハの背中を呼ぶ。



「……。……リゼット……お前、いつから〈汽笛台ここ〉にいた?」



 サイハの声は強張こわばっている。



「ハ? アタシィ? ココには昨日の朝からずッといたゼ?」



「つーことは、エーミールが手帳これを置いてったのはリゼットが来るより前……つまり二日前、か……」



 エーミールのメモ帳をジャケットへ突っ込みながら、サイハが鼻で笑い飛ばす。


 リゼットを振り返ったサイハの頬には――つっと、汗が一筋流れていた。



「……やべぇぞ……ってことは、ここに書いてある〝二日後〟って……〝今日〟のことだ……!」




 ◆ ◇ ◆




 ――同時刻。


〈鉱脈都市レスロー〉居住区南方、大渓谷前。


 ギギィーッ!


 甲高いブレーキ音を響かせて、蒸気トレーラーが停車した。


 車窓から見る大渓谷の幅は、優に五十メートルを超えている。

 大地に口を開いた奈落の向こうにそびえるは、〈PDマテリアル〉本社ビル――〈蟻塚ありづか〉の遠望。



「ケロリロ。エーミール殿、本当にお一人で向かわれるのでありますか……?」



 助手席にちょこんと座るカエルのヤーギルが、運転席から立ち上がったエーミールを見上げて言った。



「一人じゃないさ、君がいるもの」



 運転席と助手席の間を歩いて車輌しゃりょう後方へと移動ながら、エーミールが答える。


 ガチャリと開かれたのは、トレーラーがここまでいてきた大型コンテナへと通じる扉。



「ケロロ、それは勿論もちろんでありますが……やはりサイハ氏らを説得すべきだったのではと」



「私にそんな器用な真似まねなんてできないよ、ヤーギル。あの二人の問題は、二人自身の努力と時間が解決してくれるのを待つしかないんだ」



 真っ暗なコンテナの中から、エーミールの声が返ってくる。

 ヤーギルがそこへ追いつく頃には、〈霊石〉を光源とするカンテラにあかりがともされていて。



「……そして今は、何よりその〝時間〟がない。私の予想通りなら、ね」



 カンテラの光に照らし出されたコンテナの一角は、がらんとしていた。



「まさか、〈これ〉を使うことになるとは思わなかった」



 エーミールがカンテラを天井にぶら下げる。

 赤熱する光が隅々まで届き、コンテナの全容を明かした。


 壁面には、様々な道具が整然と並べられている。ネジ回し、スパナといった手工具から始まり、蒸気駆動の小型ガントリークレーン、弾薬棚と続く。


 そしてその最奥に……一際威圧を放って鎮座する、巨大な鉄の塊があった。



「ケロロォ……開発部の御歴々おれきれきが、『操作性がピーキーすぎる』とスクラップ送りにしようとしていた問題作ですぞ……? 本当にこれで打って出るのでありますか?」



 鉄塊をステッキで突き回しながら、ヤーギルが遠回しに思いとどまるよう言ってみせる。



「相手はイレギュラー、ヒト型蒸気妖精ノーブルなんだ。丸腰で突っ込むよりはマシだろう?」

 エーミールが、努めておどけてみせて。

「一通り操作は習得してる。私に合わせてチューニングもね。それに、〈この子〉は君との相性が良い。私たちなら使いこなせるさ。使いこなしてみせる」



 鉄塊に開いたハッチに滑り込みながら、エーミールが「おいで」とヤーギルの手を引く。



「ここまで状況を悪化させたのは、ジェッツが操者ドライバであることに気づけなかった私の責任なんだ……本来ならサイハもリゼットも、メナリィも関係しなくて良かったことだったのに」



 鉄塊内部に仰向あおむけになり、敷き詰められた操作盤をチェックしながら独り言つ。



タイムリミット、、、、、、、まで、あと数時間……私がいてしまった種は、私が片づける」



 そしてエーミールは、〝操縦席コックピット〟の中でヤーギルをぎゅっと抱き締めた。



「だから、ごめんね、ヤーギル……私の無茶むちゃにつき合ってくれ。こんなことお願いできる友達、私には君しかいないんだ……」



「……ケッロケロ! 全く、エーミール殿は仕様がありませんなぁ!」



 わずかに声を震わせるエーミールに、ヤーギルがケロケロと元気よく笑い返した。


 ここぞというときに緊張で泣きだしそうになる主人エーミールの弱い部分を、長いつき合いのヤーギルはよく知っている。



操者ドライバにそこまで言われましてはこのヤーギル! 一肌脱がねばなりますまい!」



 青白い閃光せんこうがカンテラの光を塗り潰す。

 光が収まると、そこには一丁の銃があった。



「ありがとう、ヤーギル」



 もう一度、ヤーギルを強く強く抱き締めて。

 やがてエーミールの目は、ただ己のなすべきことだけを見た。



「では……起動シークエンスに入る」



 そう宣言すると、エーミールがヤーギルをガチャリと鉄塊内部の専用スロットへ差し込んだ。



「〈霊石〉充填率九十五パーセント。動力炉点火」



 種火となる〈霊石〉の欠片かけらを額にかざし、流れる動作でそれを赤熱反応へと至らせて、動力炉へ投げ入れる。小さな火は鉄塊の心臓部で大きく燃え上がり、連鎖的に熱量と蒸気圧を高めてゆく。


 沈黙していた無数の圧力計と温度計とが、一斉に飛び起きて針を揺らした。



「機関内部、正常加圧中。運転圧力昇圧まで三十秒。ヤーギル、そっちは?」



「ケロロン! 我が権能、〝分霊付与〟を行使中! 火器管制掌握まで二十秒ですぞ!」



「了解。システムの立ち上げと並行して、コンテナを起こす。チルトアップ開始」



 エーミールが、コンテナの天井からぶら下がる握りつきの鎖をぐっと引き下ろした。


 鎖の連結先で蒸気弁が開く手応え。

 一拍遅れて蒸気トレーラーから高圧蒸気がプシューッと流れ込めば、動力を得たシリンダーがコンテナ全体をせり上げ始める。


 傾斜角十度、三十度、四十五度……そして九十度。

 ゆっくりと起き上がってゆく大型コンテナが、まるで立てかけられた棺桶かんおけのように大地に直立する。


 鉄塊の中に仰向あおむけに横たわっていたエーミールが、この段になって正規の搭乗姿勢へと至った。



「コンテナ、チルトアップ完了。ハッチ開放」



 コンテナの正面扉――本来の位置でいうところの天井――が観音開きになっていく。

 陽光が細い筋となって庫内に差し込み、次第に広がり、〝鉄塊〟の子細を白日の下にさらした。


 ……それは、短い足と長い腕を生やす、巨大なドラム缶のような形状をした蒸気機械だった。


 全高、およそ四メートル。

 分厚い装甲を巡らせた姿は、見る者を押し潰さんばかりの威圧を放つ。

 足回りには巨体を支えるための減衰装置アブソーバーと太い駆動シリンダーが配されて、ずんぐりと無骨。

 腕は先端ほど細くなり、人間の手に相当する機能をやっとこ形状の機械腕マニピュレーターが担う。

 機体の全身からはハリネズミのごとく射出装置が突き出し、砲弾サイズの弾頭を撃ち出す単発機構から、連射可能なガトリング機構まで多様な兵装。


 それ自体が弾薬庫と言わんばかりの。



「コックピット閉鎖。併せて遮光板も下ろす。――ヤーギル、モニターテスト、始めてくれ」



 エーミールが手元に並ぶ無数のレバーの内の一つを下げると、胴体に開いていた分厚いハッチがゆっくりと閉まった。

 別のレバーでのぞき窓も密閉すると、途端に操縦席コックピットは暗闇に包まれる。



「ケロロ、承知致しましたぞ! 皆の者! せいれーつ!」



 専用スロットに差し込まれて機体と一体化しているヤーギルが、元気よく号令をかけた。。



『りょーかい でしゅ!』

『せーれつ しましゅ!』

『ばんごーっ!』



 舌足らずな可愛かわいらしいその声は、ヤーギルの分霊。

 小さな小さな、オタマジャクシたちの声だった。


 分霊たちが、エーミールの視界を塞ぐ遮光板へ集合していく。


 分厚い装甲に守られていては、視界の確保は不可能。エーミールの目に変わってその役割を担うのは、機体外部に累々と露出する弾丸に宿った彼らである。


 分霊たちの、更に分霊。本体であるヤーギルから見れば〝孫オタマジャクシ〟に当たる存在たちまでが総出動し、遮光板上に整列し、青白く発光すれば。


 それは輝点で打ち出された、モザイク絵となる。


 荒野が、渓谷が、そして〈蟻塚ありづか〉が。青白い点で表現された外界の様子が、遮光板に映し出された。



「モニターテストクリア。ハンガーアーム、ロック解除」



 分霊オタマジャクシたちによるマスゲームで視界を確保すると、エーミールは機体とコンテナを繋ぐ配管を全開にした。

 動力圧が加わって、機体を固定していたハンガーアームがバクリと開く。


 重力を感じる――それから一瞬の浮遊感があって、ズシンと機体が大きく揺れた。


 機内の計器類はすべてグリーンゾーンを指している。

 コンテナからの切り離しが成功した証左。



駆動装置アクチュエーター各部、異常なし。これより単独運転へ切り替える――行くよ、ヤーギル」



「ケロンッ! どこまでもお供致しますぞ! エーミール殿!!」



 ゴゴゴとうなりを上げる動力炉の振動を腹の底に感じながら、エーミールがペダルを踏んだ。



「――〈ハミングドール〉、出撃」



 機体背面にずらりと並んだ排気管が、荘厳な音色を奏でた。


 蒸気駆動外骨格、〈ハミングドール〉――


 たった一人で決着をつけるべく、〈解体屋〉エーミール・ワイズが駆り出した切り札が、美しい機械の歌声を上げて大地を突き進んでいった。

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