6-2 : 激昂対、冷酷

「はぁー……はぁー……」



 サイハが、飢えた狂犬のような目で、開いたエレベーターをにらんでいた。


 ガシュ……。

 葉巻にガスライターで火がともされる。



「……。……ふぅーっ……。……あーらら。こりゃ上から見てたのよりひどいな、えぇ?」



 肺に紫煙を満たしながら、ジェッツがゆったりと周囲を見渡す。


 大乱闘のなか、気絶した鉱夫たちが、ロビーの至る所で伸びていた。


〈PDマテリアル〉も、〈クマヒミズ組〉も、〈ジャコウユニオン〉も、〈クチナワ鉱業〉も関係なく。


 死屍累々ししるいるいである。



「総合格闘技会場じゃあないんだがねぇ、弊社は。ガキまで混じってりゃ、いよいよカオスだ」



 サイハの背中からチラチラと顔をのぞかせていたヨシューに、ジェッツが冷めた視線を投げる。



「ひぇ……! あ、あわわわ……!」



 元見習い勤め先のトップが青筋を立てているのを見て、ヨシューは縮こまってしまう。小柄な体躯たいくかしてどさくさ紛れに何人かしてきた少年であったが、それもここまでの様子。



「さて、と……そんないかついもん向けてくる前に、だ。こちらとしてはまず、紹介してもらいたいわけだが? エーミール女史」

 ジェッツが、銃を構えるエーミールを見て。

「せっかくのラブレターも、お相手がわからないんじゃ味気ない」



「ジェッツ……! お前が……っ、お前が直接やったのか?! クマ社長とメナリィを……っ」



 エーミールの息はここまでの攻防で既に上がっていたが、その声音に驚愕きょうがくが加わった。



「当然だ。クマ社長には世話になった。めた真似まねしてくれたなにがし氏にもだ。であればだね……お礼参りは丁重に、俺自身が出向くのが筋ってもんだろう」



 ジェッツの登場によって、ロビーはしんと静まり返っている。


 それほどの凄味すごみ



「はぁー……はぁー……」



 そのはじけ飛びそうな静寂に、サイハの息がいやに大きく聞こえていた。


 ここに来るまでに、一体何人殴り飛ばしてきたのか。


 サイハのグローブには血がこびりつき、ジャケットは泥に塗れ、顔には無数の生傷をもらい。


 すっと、そんなサイハの荒い呼吸が収まった。



「……。……お前か? メナリィを連れてったのは。なぁ、おい……」

 野太いチンピラの声が、ジェッツをただす。

「〝来い。〈蟻塚ありづか〉へ〟ってよぉ……オレを呼んだのは、お前か……?」



 ぱっ、ぱっ。ふぅーっ……と、ジェッツが紫煙を吐き出した。

 リラックスした面持ちで、スーツの内ポケットから革のカードケースを取り出す。


 そしてズンと、空気が重さを増すなかで。



「……ん? おっと、これは失礼……ちょうど名刺をきらしてる」



 ニヤァと見下す笑い顔を浮かべて、ジェッツが空っぽの名刺入れを放り捨てた。


 ガギンッ!


 瞬間。

 殺意もあらわに繰り出されたサイハの鉄拳を受け止めたのは、ジェッツの眼前に差し出された秘書の男の腕だった。


 背を向けた細腕一本。それだけで強打を御した秘書。見かけによらぬその手練てだれ振り。



「ふぅーっ……。……ジェッツ・ヤコブソンだ、どうぞよろしく」



 煙を吹きつけ、CEOが名乗る。



「オレは、サイハ。サイハ・スミガネ……」



 チンピラも応じて、吹きかけられた紫煙を更にふっとジェッツの顔面へ吹き返した。



「ふん……目上は敬え、若造が」



 ゴッ。


 凄味すごみを利かせるジェッツの顔面めがけて飛来したその蹴りを受けたのは、またも秘書の男であった。


 右腕でサイハの鉄拳を。左腕でヒールの一撃をびたりと止めてみせる。



「……ハハッ! やンじャン、オマエ! アタシはリゼット!」



 カチコミがよほど愉快なのか、蹴りを放ったリゼットは頬を紅潮させていた。悪い笑顔も浮かばせている。



「リゼット様ですか。ええ、私は名乗るほどの者ではありません。ただの秘書ですので」



 対して秘書の男は、涼しく謙虚な声音でただそうとだけ返す。


 ぐっと力をめると、秘書の男はサイハとリゼットを同時に押し返した。


 サイハがザリリと地を滑り、リゼットが猫のように着地する。


 その間に、襟元をぴっと正した秘書はCEOと並び立った。


 サイハの後ろでは、〈クチナワ鉱業〉鉱夫たちにエーミールが威嚇射撃を続けている。


 そしてジェッツが、火のいたままの葉巻を高く頭上へ放り投げた。



「ああ、いいじゃあないか、このシチュエーション」

 ジェッツがオールバックにしている前髪を、改めてさっとでつけて。

「レスローの男は、こうでなくっちゃなぁ」



 ジェッツが懐から取り出したバタフライナイフを慣れた手つきで展開させ、順手に構える。



「――来いよ、チンピラぁ。修羅場は飽きるほど潜ってきた。血の気の多さじゃ、俺も負けちゃあいない」



 そして……


 ジュッ。と。


 床に落ちた葉巻の火が消え――――――火蓋が、切って落とされた。




 ◆




「どらあぁぁぁあ!!」



 咆哮ほうこうを上げ、サイハが真っぐ前へ飛び出した。



「…………」



 ジェッツはその場で、磨かれた革靴でトントンとステップを踏む。


 サイハがグッと踏み込んだ。ブーツのグリップで突進に急制動をかける。

 その反動は上半身へ集中し、そこに肩の回転を乗じて拳を突き出せば、強烈な右ストレートが炸裂さくれつした。


 しかしジェッツのほうも、何もサイハの獣のごとき雄叫おたけびに足がすくんだわけではない。


 スッ……と。


 必要十分、最小限の身体のこなしで。身体の軸をずらしたジェッツの頭上、サイハ渾身こんしんの拳が空を切った。



「はぁっ?!」



 メナリィを誘拐され、クマ社長を傷つけられたサイハである。普段の喧嘩けんかっ早さに拍車がかかり、燃え立つ心火はすべての感情を過剰に表す。



「……フッ……!」



 対して、まるで仕事の合間の一服に興じるかのようにリラックスしてみせているジェッツ。

 脱力による回避の直後、ジェッツは瞬時に鋭い力みでナイフを振り上げた。



「んなろぉ!」



 あり余る体力にものを言わせて、サイハが首と背中をけ反らせる。


 鼻先をかすめた凶刃は、何もしなければ首筋をき切る軌道だった。



「…………」

 一挙手一投足のたびにえるサイハを、ジェッツは薄目に無表情で捉え続ける。


 クルリ。

 危ういところで回避したサイハの目先でナイフが踊り、ジェッツはそれを一瞬で順手から逆手へと持ち替えた。


 振り上げた腕をそのまま真逆へ振り下ろせば、初撃の逆袈裟けさ斬りから一転、躊躇ちゅうちょのまるでない刺突が振り下ろされる。



「い゛っ?!」



 咄嗟とっさにサイハが両手をかざすと、金属グローブとナイフがかち合い火花が散った。


 鉄拳で刃を握り止めれば、鎖骨を貫く寸前のところでようやくナイフの連撃がようやく止まる。


 力が拮抗きっこうして両者の動きが止まるなか、食い縛る歯の隙間から、サイハがうなった。



「こ、いつ……つ、強ぇ……!」



「なぁ……なぁなぁ、なぁー? サイハよぉ、お前だよなぁ? お前なんだよなぁ? 俺のCEO室に、〝見えない爆弾〟をたたき込んでくれたのはぁ? め腐った真似まねしてくれたのはぁ? 俺の勘がそうだって言ってるんだよなぁ」



 両手で受け止めたナイフをサイハが押し返そうと踏ん張るが、それを上回る力でジェッツが凶刃を押し込んでくる。

 すっきりとしたスーツを着ているため遠目にはわからなかったが、こうして至近距離になってみると、ジェッツのワイシャツの下には引き締まった筋肉の気配。



「何の話してやがる! メナリィを! 返しやがれっ!!」



「あー、あー、なるほど。不可抗力、偶然ってわけか。悪気はなかったと、ふむ」

 ジェッツがわけ知り顔でうなずく。サイハの怒声に対して異常に物わかりの良い態度で。

「ところで知ってるか? お前の目は馬っ鹿正直な目をしている。何考えてんのかさっきから筒抜けだぞ、チンピラぁ」



 言うと同時、密着状態でサイハが蹴り出した右膝を、ジェッツはいていた左手でいなした。


 サイハが攻撃動作に出るより先に、ジェッツの防御が既に待ち構えていた格好である。


 ズイッ。

 鼻先が触れ合うほどにまで顔を近づけて、ジェッツがヘビにらみを利かせる。


 その眼力に、サイハはたまらずひるんだ。



「っ!?」



「……俺はこの十年、地獄を歩いてきた……今生きているのが不思議なほどに。奇妙なもんだ、人間そんな生活送ってるとな、見ただけでわかるようになる――誰が敵で、誰が味方か。ほんとのこと言ってんのがどいつで、うそほざいてんのがどの野郎か。エーミールの弾は脅しか、マジのやつか。サイハ、俺のシマから、、、、、、蒸気妖精、、、、を持ち出したのはお前か、、、、、、、、、、、……って具合になぁ」



「……う゛っ!?」



 ズドッ!


 ジェッツの意趣返しの膝蹴りが、サイハの鳩尾みずおちにめり込んだ。


 サイハの両腕からがくりと力が抜けると、押し込まれたナイフの切っ先が肩をでる。



「そして今の質問への目の動きですべて理解した……サイハ、お前は黒、真っ黒だ。ビンゴ。大当たりジャックポット。俺の予想はすべて的中、と」



 ズドッ! ズドッ! ズドッ!!


 更に連続で膝蹴りを打ち込まれ、サイハはたまらず膝を突いてしまう。

 息もできずあえいでいると、容赦なく肩にグサリとナイフが突き立った。



「ぐあぁぁぁっ! あっ……あ゛……!」



「ということはだ、そうだな……あそこで飛び跳ねてる悪目立ちの銀髪女。あれが目覚めた〈蒸気妖精ノーブル〉か? ……ああオーケー。これも当たりと。ほんと読みやすいな、お前の目」



 礼代わりのトーキックがサイハの脇腹に突き刺さる。


 よだれと胃液をき散らして、サイハがのたうつ。


 この間、まるで世間話をするかのようにしゃべり通しのジェッツに比して、サイハは悪態一つもつけなかった。


 そこにある実力差は――――絶望的。



「経験値が違うんだよ、クソほどにな。安い喧嘩けんかだ、ゴング代で釣りがくる」



 放り捨てていた葉巻をジェッツが拾い直し、め息一つ。

 汚れた吸い口をブチリと食い千切ると、まだ十分に長いそれに火をけ直して一服着くほどの余裕振りだった。



「がっ……うぎっ……はぁ゛ーっ……はぁ゛ーっ……!」



 興味をなくしたジェッツが紫煙をくゆらせていると、サイハがよろよろと立ち上がった。


 肩に刺さったバタフライナイフの柄がぶらぶらと揺れ、呼吸困難で酸素の行き渡らなくなった足元は覚束おぼつかず。


 だがその目だけは、依然ギラついて。


 サイハを立たせる感情は、怒り。

 ジェッツの目には、それが何よりもはっきり見えて。



「ふぅーっ……あ、そう。まだやるかい。青臭いガキだ、見てるこっちが恥ずかしくなる」



「……返せ……返せ……メナリィを、がえ゛ぜ……!」



 墓からい出た亡者のごとし。

 ブーツの底を引きずって、ボロボロのサイハが食い下がる。



「残念なお知らせだが、俺の頭はお花畑じゃあない。返せと言われて返してやりたくなるほど丸くなってもいない。元はと言えばお前がいた喧嘩けんかの種。落とし前は自分てめぇでつけることだ」



「ああ゛、つけて、や゛るよ……!」



 鬼の形相を浮かべたサイハが、血反吐ちへど混じりに言葉を吐いた。



「……や゛っと、完成したのに……汚れ腐った、大人なんかに! 俺の夢は、潰させねぇ!!」



 その燃える瞳に、ジェッツの洞察眼は〝執着〟の色を見た。


 過去への執着。


 自分と同じ。



「……この俺に対して、執着それえるな……地べたに縛りつけられたモグラの分際で」



 ジェッツの目が血走ると同時、サイハが喉を濁らせながら息を吸い込み、声を張り上げた。


 そして呼ぶ。


 その爵号を。



「――来やがれぇぇえ! 〈粉砕公〉ぉぉおおーーーっ!!」

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