3-2 : 銃とカエル

 その声がしたのは、大型バイク〈グラスホッパー〉の物陰からだった。


 エーミールの向ける視線の角度から、その人物がえらく背丈の低い者だということだけが推測できる。



「ロロロ……小生、いまだ名乗りもしておりませぬ。何も知らぬ人間相手ならばいざ知らず、〈蒸気妖精ノーブル〉とその操者ドライバとあっては、口上の一つもなしというのは我が紳士道にあるまじき無作法」



 ぬらり……。

 バイクの陰から手がのぞく。

 幼子のような、小さな小さな手が。


 いや。

 異常なほど小さい上に。

 それは、人の手の形をすらしていなかった、、、、、、、、、、、、、、、


 四本指の、しっとりと湿った手だった。

 乾燥に強い人間の皮膚とはほど遠い、てらてらと湿り気のある肌。指の先端はぷくりと膨れ、何やら吸盤じみた形状をしていて。



「(何、だ……こいつは……?!)」

「(気味ワリィなァ、オイ……)」



 その異様に、サイハとリゼットは目をらすことすらできずに固唾をむ。



「ロロロォ……」



 ズオリ……。

 サイハたちをのぞき込むようにかしいだのは、これまた小さな、シルクハット。

 それに合わせて、タキシードの裾がひょろりと揺れた。


 その異様には似つかわしくない、きっちりとした正装。



「(……ん?)」

「(ハ……?)」



 精神をこわばらせ、恐怖に類する感情を抱きかけてさえいた二人に、別の違和感が走る。



「ロロロ……ケロリロ、、、、



 そして、ひょこりと――つぶらな瞳と目が合った。


 緊張ではち切れそうになっていたその場へ、途端に緩い風が吹き込んだ。


 クリクリとして潤んだ目をした……シルクハットとタキシードを着る、二足歩行のカエルがそこに立っていた。



「(え……何これ……)」

「(ウワ、キモ……いや、かわ……?)」



 サイハとリゼット。でこぼこ男女が、そろって能面のような無表情になる。



「ケロロロロォ!」



 喉袋を膨らませ一鳴きすると、カエルは颯爽さっそうと跳び上がった。


 エーミールのまたがるバイク、そのハンドル上に着地して、優雅に脱帽とお辞儀をしてみせる。



「……失敬! 小生、ギフトネームを〝ヤーギル〟と申すもの! こちらに御座すエーミール・ワイズ殿を操者ドライバにいただく〈蒸気妖精ノーブル〉にございます! お見知りおきをばっ! ケロンッ!」



 しん………………。


 すべてが停止していた。サイハがリゼットを見る。



「……え? リゼット、え? 何あれ……え??」



「ア゛? バカか? アタシが知るワケねェだろ」



「いやでも、〈ノーブル〉って……お仲間だろ? リゼットお前……変態露出女だとは思ってたが、まさかカエルの親戚だったなんて……どうりで、しょっちゅうまた開いてたのはそのせい……」



「ンなワケあるかバァーカッ!」



いでぇ!」



 ムカッときたリゼットのヒールに、サイハは爪先を思いきり踏みつけられた。



「……ごほん」

 エーミールが仕切り直す。

「随分と仲が良いんだね、君たち……」



「は?! どこがだよ!」

「ア゛ァ?! マジありえネェ!!」



 金髪のチンピラと、銀髪の女豹めひょう。サイハとリゼットが赤髪のエーミールに同時に食ってかかる。



「そういうのを世間では、仲が良いと言うのですぞ?」



 カエルのヤーギルが茶々を入れる。



「「黙ってろ、クソガエル」」



 更にみつくサイハとリゼット。



「ゲロロォ?! な、何たる暴言! 小生傷つきますぞ!?」



「ヤーギル、やめないか。今は言葉の出る場面だろう」



 ミニチュアサイズのステッキをぷんすかと振り上げたヤーギルを、エーミールが制した。


 エーミールの行動力と、それとは相反する沈着ぶり。場面ごとにそれらを切り替える意志の強さ。ヨシュー少年がこの場にいれば「苦労してそうだなぁこの人……」と言っていたに違いない。



「……リゼットと……サイハだったかい? 突然銃を向けてしまったのはすまなかった。こうして面と向かってみれば、話が通じる相手で助かったよ」

 エーミールが、美青年張りの顔をふわりと微笑ほほえませた。

「だから私の要求に応じてくれるなら、暴力は振るわないし、きちんと謝罪したいとも思う」



 軟化したエーミールの声音を聞いて、事態の収束をサイハは予感した。


 要するに、この赤毛の女としゃべるカエル(?)が用があるのはリゼットなのだ。

 これまでの言動でそれは明らか。ならば厄介払いついでにリゼットを差し出してしまえばいいだけのことである。



「こちらの要求は、リゼットの譲渡」



 サイハの打算どおりの言葉がエーミールの口から出た。


 サイハは思わず頬を緩める。

 にらんでくるリゼットの両肩に手を置き、すっと前に押し出した。



「悪く思うな、リゼット。何やらかしたのかは知らんが、自分の尻は自分で拭くもんだ……。さぁ連れてくなら、どうぞどうぞ――」



 サイハが前半の言葉は神妙に、後半は晴れ晴れとした笑顔で告げたところで。



「君もだ、サイハ」



 続いたエーミールのその言葉で、サイハは動きを止めた。



「……は?」

 サイハの表情がにわかにチンピラ色を強める。

「いやだから……オレはこいつとは何も」



「それを判断するのも私の仕事。君の意見は今聞いていない」

 エーミールのそれは、有無を言わせない物言いで。

「以降、不要な発言は敵対の意志ありと判断する。賢明な選択を望むよ」



 銃こそ見当たらなかったが、明確な最後通牒つうちょうだった。

 次の回答次第で状況が百八十度変わる。


 すなわち、服従か、反抗か。


 固まってしまったサイハの手をすり抜けて。端から反抗一択のリゼットが、しおらしくしていれば小綺麗こぎれいな顔面をぐにゃとゆがめて吐き捨てる。



「だァれが! テメェらなンかに――」



 この展開は折り込みずみであったから、エーミールは表情一つ変えなかった。

 が。



「……大人しく聞いてやってればよぉ……」



 終始及び腰のチンピラと。エーミールはサイハをそうとだけ評価していたが。



「こちとら〝納期〟が近くてイライラしてるっつぅのに……これ以上お前ら、、、にオレの時間を横取りされてたまるかよ……」

 ぐっと、サイハが拳を上げて。

「返事がほしいか? あぁいいぜ、くれてやる」



 それだけ言って。

 サイハがぴょこりと、中指を突き立てた。


 それは縛られることを何よりも嫌う、野良犬の顔。



「――おととい来やがれ、乳牛女!」



「にゅっ……!?」



 突然の喧嘩けんか言葉にエーミールが目を丸くして、さっと胸元を腕で隠した。


 空気が凍りつく。そして次第に、エーミールの顔が上気して。



「敵対行為と見なすよ……私が馬鹿だった」

 エーミールの小顔が、怒りに震える。

「もう、容赦はしない!」



 武力による強襲に始まり、対話を経て、そして次に出番が回ってくるのは激昂げっこうと――



「――ヤーギル!」



 バッ!

 エーミールが右手を前に突き出して、カエルの名を叫ぶ。



「ケロォン!」



 応じたヤーギルが、主人の手元目がけてぴょんっと飛びだすと。


 カエルの身体が、青白い閃光せんこうに包まれた。

 その光はみるみる輪郭を変えてゆき――


 ジャキリッ。


 何もなかったエーミールの手に、撃鉄の起きる音が聞こえた。


 ドンッ! ドンドンッ!


 立て続けにとどろく、三発の銃声。


 が、その後には銃撃に倒れる音も、被弾したうめき声も続かない。


 エーミールが銃を抜くより先に。周囲は突如噴出した蒸気のもやで真っ白になっていた。



「……煙幕。やられた……この手際、思っていたよりずっと乱暴な男……」



 荒野の乾いた風に吹き飛ばされて、サイハのぶちまけた煙幕は十秒と持たずに霧散する。


 晴れた視界にチンピラとリゼットの姿はなく、当然の展開にエーミールは驚きもしない。


 ただ、冷静に。リボルバーの銃身を勢いよくたたいて、バコリッ、フレームをハの字に開く。

 排莢はいきょう機構が動作して、露出した弾倉から六発の空薬莢やっきょうが一斉に飛び出し、足元に跳ねた。



「ケロロ……何とも、逃げ足はゴキブリ並みでありますな!」



 その声はヤーギルのもので間違いなかった。

 しかし、カエルの姿はどこにも見当たらない。


 その正体。

 しゃべっているのは、鉄の塊――カエルのヤーギルが変形した、、、、、、、、、、、、、リボルバーであった、、、、、、、、、



「ゴキブリか、確かにね」

 しゃべる銃に弾丸を一発ずつ丁寧に装填しながら、エーミールが言いこぼす。

「それなら、こっちはヤーギルカエルと〈グラスホッパーバッタ〉だ。索敵と追跡は、私たちの専門分野」



 ガチン!

 弾丸を詰め終え、中折れしていた銃身を手首のスナップで元の位置へ。



「ケロケロ、おっしゃるとおり! 虫採りとしゃれ込みますれば、小生の〝権能〟の出番ですぞ!」



 プシュー!

〈霊石〉の高圧蒸気が、クランクシャフトを介して回転運動をバイクへ与える。

 ギュルギュルギュルッと勢いづいた動輪がスピンして、白煙と砂煙を巻き上げた。



「〈解体屋〉の本気を見せてあげるよ……サイハ、リゼット」



 エーミールが握り込んでいたブレーキからふっと手を放す。

 解き放たれた〈グラスホッパー〉が暴れ馬のごとくいななき、前輪を浮かせながら目抜き通りを走り抜けていった。

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