第9話 恋なんて、しばらくいらない

「では、以上の通り。よろしくお願いします」


 ミーティングを終え、颯爽と席へ戻る。あれからもう二ヶ月。後ろは見ないと心に決めている。仕事が忙しく、考え込んでしまう時間がないのも幸いして、樹里は立ち止まらずにいられた。今は、『隠れた名店の味』というレトルト商品を出す企画のリーダーを任されている。今回のテーマは、パスタソース。今日は、これまでの調査店について話し合ったところだ。

 恋愛自体を諦めたわけではない。けれど、必死に見つけなくてもいいのではないかと思うようになった。わざわざ時間を割くのが勿体ない気がしてしまうのだ。それならば、朱莉と出掛ける方が今では有意義だと感じる。あれ以降、随分仲良くなった朱莉。服を買いに行き、美味い物を食べ、美味しい酒を飲む。恋人のいない生活も、なかなか悪くはない。

 それでも残念なのは、完全に吹っ切れたとはまだ言い切れないことだ。千裕を思い出してしまう瞬間は、今もある。その度に、グッと堪えて踏ん張って来た。そんな自分を褒めてやりたいくらいだった。あれから何度か電話を寄越した千裕。もうそれが煩わしくて、メッセージアプリのブロック、更には携帯番号も全部変えてしまった。本当は引っ越しもしたいが、仕事が忙しく出来そうにない。昼食を摂りながら部屋探しをして、新しい生活をイメージすることが、今は何よりも楽しかった。


「樹里さん、今後の調査店のリストアップなんですけど。味の系統とかはどうしますか。決めてかかります?」

「あぁ、いや。今まで通りで、もうちょっとやってみようと思うの。それからもう一度ミーティングかけて、方向性を決めようかな」

「分かりました」


 ミーティング終わりに声を掛けてきた男――平野ヒラノ大樹タイキは、まだ学生のような面持ちをしている。一生懸命にやるが、肝心なところが抜けてしまう。そういうちょっと残念な男である。樹里のチームの若い子たちの中で、最も不安なのがこの男だった。


「平野くん、落ち着いてやったらいいからね」

「はい。ありがとうございます」

「他の仕事との優先順位も忘れずにね」

「はい」


 もう三十になろうかと思うが、ちょっとした時に甘えた性格が出る。それでも最近、後輩の評価が気になるようで、今回はいつになくやる気を出していた。だからこそ、樹里の不安は拭えない。頑張ります、とやる気に満ちた大樹の表情に、つい苦笑いした。


「大丈夫かな……」


 何とかチームを纏める位置に立った。転職組、それから女。足枷になる要素はそこそこ持っている。そんなもの今では昇進に影響のないことだが、人間関係はというと微妙なところであった。

 スマートウォッチが受信を知らせる。就業中だというのに、朱莉からだった。


『今週末、映画観に行きますよ』

『土曜と日曜、どっちがいい?』


 それを読んで、フッと笑みが零れる。映画を見るのは決定事項なんだ、と。


『それなら土曜じゃない?』

『映画観て、飲みに行こうよ』

『で、何の映画?』


 そう問うと、朱莉はすぐにサイトを送って寄越した。どうやら、ヤクザ映画のようだ。こういうのも好きなのか。彼女の指定する映画は、正直言って好みではない。けれど、安易に拒否はしなくなった。実際にそれを観て見なければ、面白いのかは分からない。そう考えられるようになったのだ。

 自分だけの考える狭い世界では、見ることも、知ることもなかったもの。樹里にしたら朱莉の趣味は新しい発見で、新しい物に出会うのも面白くて、刺激になっているのだと思う。千裕との終わりは散々だったが、こんな友人を見つけられたことは幸せだ。やっぱり、恋なんてしばらくいらない。

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