未婚の貴族or高名の依頼人 28

 そう、彼女は読者の方々の想像通り、目隠しをされて、例の扉を潜り抜けていたのである。


「……こ、ここは……」


 例の扉を潜り抜け、誰もいない『英仏屋』にたどり着き、目隠しを外されたキティは絶句していた。


 どこの貴族さまのお屋敷の東屋あずまや? えっと、東屋あずまやって壁がないんだっけ? 知らないけど……。


 なにがどうなって、自分がここにいるのかは分からないけれど、とにかく場違いには違いない。女強盗と思われる前に逃げ出さないと! ホームズたちがいるにも関わらず、その立派な店構えに、あわてたキティは、扉を開けて外に出ようとした。


 するとどうだろう、扉の向こうに影が見えて、カギを開ける気配がする。


「先生! ホームズ先生! わたし犯罪者になっちゃ……」


 犯罪者になるのだけはごめんだと言いかけたキティは、その扉が開き、部屋が明るくなった途端、てっきり自分に声を荒げると思っていた、そこに現れた美しいご婦人が、自分の横を通り過ぎると、厳しい顔で、レディ・マリアに向かって歩いてゆき、なにか分からない言葉で、彼女をしかりつけているのをボンヤリみていた。


『わたしのせいじゃないのに――! わたしのせいじゃないのに――! わたしのせいじゃないのに――!』


 マリアはフランス語で、がっつり母親に叱られながら、頭の中でそんなことを考えていたが、母は、『英国の薔薇』は、ホームズたちがいるのに気づくと、にっこりといつもの上品な笑みを浮かべ、「朝のお食事はいかが?」な――んて、実に上品に話しかけていた。


 キティは同じ席に着くわけにもいかないと、ひとりモジモジしていたが、優しくマダムに促されて、ようやく席につくと、まるでうわの空で、周りの会話を、耳を素通りさせながら、生まれて初めてというくらい、おいしい紅茶と朝ごはんを食べていた。


「じゃ、それでいいかしら?」

「はい?」


 まったく話を聞いていなかったキティは、来年の5月頃まで、日本で仕事をするはずが、手配していた仕事も宿がダメになったこと、いまさらイギリスに引き返す旅費もないので、できれば1年ほどここで、住み込みで雇ってもらえないか? 


 そんな話を、ホームズがマダムに、まことしやかにした上で、実に同情深いマダムが、それならこのサロンには休憩室があるから、そこで暮らしながら、うちの仕事を覚えながら手伝ってもらえれば……。


 などと、話が勝手に進んでいることに、気づいていなかったし、マリアは、そういえばテレーゼは、マスグレーヴ家のロンドンのやかたから、いつになったら帰ってくるつもりなのか? などと考えながら朝食を食べ終え、キティの話を聞くと、なんだかよくわかんないけど、わたしもそろそろ部活に行かなきゃだし、傷の話は置いておいて、ひょっとして、ここでキティちゃんが、ママについて修行すれば、ロンドンで一番の紅茶職人になれるのでは? それが狙い? と、ホームズにこっそり聞いてみると、「半分あたりだよ」彼はそんなことを言った。


「たしかに! あのお金を使わずに、なんとかすれば、ティールームができるかも! ほら、えっと、慈善活動? とかなんとか言って、マスグレーヴ卿にも、名前とか場所とか、とか出してもらって!」

「君は思いのほか、抜け目がないねぇ……」


 それから1年間、ホームズは、数か月おきに、ポーキーたちからの手紙を持ってくると、いつもワトスン博士と庭に出て、例の花壇の方にゆき、ウロウロしてから、サロンでキティの淹れるお茶に「もう少しこう……」なんてケチをつけ……いや、アドバイスをしてから、また、もとのベーカー街221Bに帰ってゆく生活を続け、マリアはしばらくして帰って、なにか持って来たテレーゼが、しきりに聞きもしないのに「これは、ただ頼まれただけだから!」なんて、言い訳をしながら、母屋の自分の部屋に行くのを見送り、首を傾げたが、自分は部活の合間に、キティちゃんのお世話に、しょっちゅう英仏屋に顔を出していた。


 彼女は実に勉強熱心で、紅茶の茶葉の種類やら、淹れ方、アフタヌーンティーのスイーツの作り方やら、そのほか、ママが教えたであろうことを、毎日メモしまくって、閉店後に一人で練習もしているのだ。マリアはそんな彼女の質問に答え、復習を手伝っていたのである。


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