未婚の貴族or高名の依頼人 25

「エジプシャン・ホールへ!!」


 ワトスン博士が辻馬車を、どうにか拾っている頃、そう御者に告げたホームズと、馬車に乗り慣れていないので、猛スピードで石畳の上を走る馬車に、もう少しでを上げそうだったマリアが、エジプシャン・ホールに到着したのは、ほぼ同じころであった。


『ここがエジプシャン・ホール……なんかわかんないケド凄い……』


 暗闇の中、ガス灯の光に照らし出される、風変りなやかたをマリアが見上げている間に、ランタンを持ったホームズは、さっさと入場の手続きをしてしまう。無許可で……。


「な、なにやってっ?!」


 人件費削減のせいか、人気ひとけのない正面玄関の扉のカギを、ホームズはさっさと開けて、マリアを扉の中から手招きをしていた。


「早くしたまえ、母上のティーセット、返さないとまずいんだろう?」

「え?! そ、それはまあ、ものすごくまずいケド……」


 そう答えたマリアは、無理矢理この状況に納得すると、ホームズを真似て、こっそり扉の内側に入り込み、エジプトのミイラの入っているらしき棺、エジプトの神様だろう黄金の彫像(にせものっぽい)、さまざまな展示品の間を通り抜けながら、真面目にティーセットを探す。


 そう、雰囲気と勢いに、思わず目を奪われたマリアは忘れていた。そもそも、こんな目にあっている原因が、ほぼほぼ、ホームズのせいだということを……。


 いくつもの、様々な展示品の並ぶ部屋を通り抜け、ようやくたどり着いた先は、緞帳の降りた古びた劇場風のホール。


「ここは、いつも定期的に入れ替えながら、色々な興行をやっているんだ。いまかかっている芝居は……なんだったかな? まあいい。我々には関係のない話だ」

「……じゃあなんでここに?」


 なぜ、ここに来たのか?


 そう聞こうとしたマリアを連れて、舞台に上がったホームズは、上手かみて側に向かって歩いてゆくと、そこから裏に回り、舞台装置の間を抜けて、大道具やら小道具が雑然と積まれている舞台裏を、なにか目的をもって、一心不乱に目を凝らしながら歩いていた。


「厳密にいえば、芝居は関係ないんだよ。芝居には何がいる?」

「え?……えっと、役者さんと、大道具と……小道具?」

「そう、古来より旅をする役者たちは、少々を運んでいても、疑われずに済むので、グルーナーのようなやからに重宝されたものさ……」

「え?……じゃあ、もしかして?」


 ホームズの手には、例の


「このホールは昔ながら……いや、もう、古いものを新しくする状況になくてね。いまだに貴重な道具をしまう部屋に、この百年近くも前のカギを使っているという訳なんだよ!」

「……それって」


 ふたりは目の前に現れた階段をきしませながら、一気に駆け上がると、古びた扉の前に立っていた。


「こういうときのセリフは知っているかね?」

「……Open Sesame!」

「はっ! あの物語は君の世界でも現役らしいな!」


 かちりと音を立てて扉は開き、中を覗き込むと、そこには一見なんの変哲もない芝居に使う道具が並んでいたが、ホームズはそこを行ったり来たりしたあと、やはり古びたマントルピースに目をつけ、そこをよじ登ると、天井近くに巻き上げられていた、どこにもつながっていない呼び鈴のひもを、手を伸ばして床に落とす。


「思いっきり引っ張りたまえ!」

「は、はいっ!! え? ひ―え――!!」


 マリアが落とされた呼び鈴のひもを引っ張ると、はたしてこれはどういうことか、マントルピースは、備え付けられた壁ごと、大きな音を立てて、宙に浮いたマリアを紐にぶら下げたまま、ゆっくりと回転してゆく。壁の向こうには、イングランド銀行の金庫室のように、いかめしい木箱がならんでいた。


「さあ、マリア君、これが本当のOpen Sesameだよ!!」

「わたし、宙ぶらりんで、死にかけたんですケド?!」

「君の身体能力を信じていたよ」

「…………」

「それに君の悩みも解決した!」


 回転した壁の向こうには、グルーナー男爵の所有する『ニセ金貨』と、彼が『非合法に手に入れた美術品』が、ところ狭しと積みあがっていた。 ホームズが開けた箱には、探していたティーカップのセットも入っていたのである。


「ま、まあ、そう……そう、かな? でも、こんなにたくさん、ふたりで持ち出せませんよ?」

「心配ない。運送のプロがついて来ている。そこ! マイクロフトに言われて、ついて来たんだろう?」

「へ……?」


 ホームズが声をかけた暗がりには、あのときグルーナー男爵のやかたで潜んでいた影、くだんの東インド会社のあの人物。


「さすがですね、お任せください。あなた方も急いだ方がいいでしょう。そろそろ、大英博物館に向かわねば、間に合わないかもしれません」

「ああ、言われるまでもないよ。じゃあ、ここは君に任せていいね」

「え? あの、ティーカップ……」

「そちらも、ちゃんとベーカー街に届けておきますよー!」


「あのっ、ほ、ほんとうに頼みますねー!」


 簡単に請け合う彼のうしろに、バラバラと人影が出て来るのを目にしながら、マリアは、何度も何度も彼に、ティーカップのことを頼みながら、再びホームズと馬車に乗り込んでいた。


「人手が足りなければ、もう少しすれば、スコットランドヤードから、誰か来るから手伝ってもらいたまえ!」


 言い残して、大英博物館に向かったホームズの言葉に、今日は紳士然とした格好の彼は、首を振ってから、ため息をついた。


「……それも困ると分かっていて人が悪い。おい、急げ! 誰の目にも止まらんうちに運び終えるぞ!」


 それというのも、彼には本来の任務があったのに、マイクロフトの横槍で、この騒動に巻き込まれていたのである。できうる限り、早くコトを済ませて国外の任地へと、気持ちはあせるばかりだった。


「……兄弟そろってタチが悪い」

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