未婚の貴族or高名の依頼人 17

「ここに、グルーナー男爵なんて呼びたくないね」


 やかたで開く夜会を想像し、マスグレーヴは、そう言いながら、思いっきりいやそうな顔をしていた。


「う――ん、じゃあ、ほら、君のコレクションを収めている別館か、サザビーズで開いてくれ! ほら、早く手配してくれたまえ。ヴァイオレット令嬢は、グルーナー男爵を引き留めようと、父親に“さるぐつわ”をかませてでも、彼を代理に連れてくるだろうから」

「だ、か、ら、グルーナー男爵なんて、二度と会いたくないと……」


『人の話を聞きたまえ……いや、無理な話か……』


 こうなったホームズに、なにを言っても無駄だと理解している、つきあいの長いマスグレーヴは、少しブランデーを飲んで、気持ちを落ち着かせることにした。


 そこにいつも冷静沈着な執事が駆け込んで来る。マスグレーヴは、頭に浮かんだあらゆる悪夢に目がしらを抑え、ブランデーをもう一杯、勢いよくあおる。


「ご、ご主人さま! 大変でございます! シャーロックが取り戻したレディ・マリアの荷物が、ここへ運ばれる途中、また強盗にあったと知らせが!」


 一瞬、ホームズの顔に浮かんで消えた、小さな笑みを見逃さなかった彼は、素早くあれこれを考えて、ホームズ兄弟の兄の方を向く。そして、表面上は申し訳なさそうにしている、しかし、視線で強力に協力を要請するマイクロフトを、冷たい態度であしらってから口を開いた。


「わかった……仕方ない。国家の危機だ。ホームズ、夜会の件は引き受けたから、後始末はしろよ?」

「理解が早くて助かるよ! さすが僕を除いてイートンで一番の良かった男だ!」

「…………」


 そう、マスグレーヴが、なんとなく察した通り、いやに身なりを整えたポーキーたち(実は、ホームズが持ち出していた、マスグレーヴ家の制服である。)は、ベーカー街221Bの前から、ここに到着する途中、わざとグルーナー男爵の一味に、荷物を強奪させていたのである。これはもしも、ニセ金貨うんぬんの拠点が、ロンドン、否、イギリス国外にあった場合の、ホームズの『グルーナー男爵に着せる罪状』を、念を入れて重ねさせ、その上で、彼を花瓶に執着させる保険であった。


「ちょっと……わたしの荷物ってなに?」

「……ティールームにあった、ママのお気に入りの展示品、ティーカップコレクション、その他、めぼしい品を、ほぼ一切合切。姉さん、もう、この事件が終わったら、あの扉を板と釘で閉じた方がいいわ。キティの話は聞いてる。あの事件よね? でも、人助けはいいけど、あの男、我が家にとっては立派なドロボウよ?」

「そうね……」 


 小声でマリアたち姉妹が、そんな話をしている頃、ポーキーは、なにか聞き出せる話題はないかと、自分たちを取り囲む記者たちを相手に、ホームズに言われたとおり、どんよりと暗い表情で、またしても、高価な東洋の茶器が力及ばず、いくつか盗まれたこと、しかし、『とてつもなく珍しい花瓶』は、先に運んでいたので助かったことを、ペラペラペラペラ話していたのであった。


 窓の外の騒動に、マスグレーヴは明日の新聞の見出しが脳裏に浮かび、“ため息”を大きくついてから、夜会の手配を組み出していたし、内心、自分の事件は思ったより早く片がつきそうだと、喜んでいるマイクロフトは、マスグレーヴに丁寧に謝罪して、できる限りのバックアップを約束していた。


 そしてテレーゼは、冷めきったスクランブルエッグの皿が、執事の素早い指示で取り換えられ、無事に空腹が満たされ、大いに呆れ気味ながらも、姉の様子も落ち着きだしたことで、少しばかり気を持ち直し、実に同情した目でマスグレーヴを見ていた。


 そう、事前に彼女が頼まれていた、いま手配されようとしている『夜会への身代わり出席』の役どころは、徹底的にヴァイオレットとグルーナー男爵のプライドに傷をつけ、彼の専門分野でケンカを買わせて、ホームズが男爵のやかたを家探ししている間、その場にできるだけ、足止めをすることだった。(花瓶はそのために用意した大ネタだ。)


「君以上の適材はいないだろうよ」

「ふん! 生まれてから一度も味わったことがないくらい、ずったずたに神経を撫で斬りにしてやるわよ。ねぇ、ヴァイオレットと男爵が気絶したときのために、ブランデーを何本か準備した方がいいわよ?」

「君の知識は半端ないからねえ。グルーナーが脳溢血で倒れても、ソレはソレで構わんよ。好きにしたまえ」


『最高に素敵だけど、ちょっと変なところのある姉のお守り……からの、完全におかしい探偵の手伝い。そしてまさかのヴィクトリア時代に、タイムスリップ……神は才能に溢れたわたしに、その対価だと言わんばかりに、試練を持ってくるわね。それにしても、マスグレーヴ卿が、こんな大変な目にあっていたとは! やっぱり、ワトスン博士は、ホームズの推し活……本の内容が偏っているのね! わたしならこのお話のタイトルは、“マスグレーヴの悲劇”にしたわ!』


 あとで元の世界に戻ったら、真実を書き留めて、電子出版しなければ……。


「やり過ぎちゃダメよ?」


 小さなマリアの注意の声なんて、聞こえちゃいないテレーゼは、そんなことを考えていた。


「と、言うわけで、レディ・テレーゼを頼んだよ、マスグレーヴ……マスグレーヴ?」

「ああ……やはり、こちらに頼もうかな?」

「???」


 知らないところで、テレーゼに同情されているマスグレーヴといえば、「やはり、こちらに頼もうかな?」そう言いながら、初めてそのとき、テレーゼをしっかりと見つめていた。


 姉のマリアと同じようで、中身の全然違う彼女。そして、自分が求める鑑定眼と、深い知識を持っているらしき彼女。


「どうかなさいまして?」

「いや、私の友人のせいで申し訳ない。お詫びにはなりませんが、あとで我が家のパリュールparure(上流階級に必要不可欠なジュエリーのセット)のひとつを届けさせます。決してあなたの美しさに引けはとらぬと自負いたします」

「はあ……?」


「は……?! ご主人さま、いま、なんとおっしゃいました?!」


 母上が一番大切にしていた、やかたの金庫にある、『パリュールparure』を、テレーゼに用意するようにと言い出した、彼女をじっと見つめている主人の言葉に、執事のウィルソンは、まさか姉君から妹君乗り換え? 顔はそっくりだし、どう見ても性格が良さげなのは姉なのに? などと、また、誤解に誤解を重ねて、天国から地獄に一気に落ちたメンタルの……いわゆる心労がたたり、文字通り腰を抜かして、息子のリチャードは慌てて支え、結局、彼が代わりに届けると、金庫のカギを預かって、パリュールparureを持ち出していた。


『マスグレーヴ家の女主人だけが、代々身につけるパリュールparure』を。


「まあまあ、もう、何十年もしまい込んだままですから、若いレディにつけていただければ、真珠のメンテナンスになると、ただのそんなお考えだと思いますよ? プレゼントな訳はないでしょう。ここだけの話、当日は、レディ・マリアは、なにか別の重要な案件で、シャーロックさまに同行するそうで、レディ・テレーゼが、『レディ・マリア』として、代わりにご当主さまのパートナーをなさるそうですから」


 マリアとテレーゼが入れ替わる秘密は、もう漏れ出していた。やかたの使用人の中で、メイドたちに一番人気の彼のところには、少しでも彼の気を引こうと、『すべてのここだけの話』が集まるのである。


 息子から、ふたりのすり替わりの話を聞いて、執事はハッとした表情をしてから、わたしとしたことが……。そんな苦笑いをベッドの上で浮かべ、大いに安堵していた。


「ふむ、それなら分かる。確かにあの真珠のパリュールparureは、若いレディに一度つけていただいた方が……。未来の女主人の妹君ならば構わないと、お考えになったのだろう。身代わりならば、アレはをつけていれば真実味が増す。一石二鳥、さすがはご主人さま……」


 この当時、真珠は若い女性がつけると、輝きを長く保つ、輝きを取り戻すなど、そんな都市伝説じみた言い伝えが、まだ消えずに存在していたのである。


 ちなみにマスグレーヴの心境はと言えば、もうここまできた以上は仕方がないと、気を取り直し、マリアよりも審美眼がありそうなテレーゼに、できるだけ恩を売っておいて、あとで東洋の間の『不肖の弟のしでかし』を、白黒つけようと算段したのであった。


 ホームズといい、この男といい、マイペースな男たちである。


 その頃、ワトスン博士は、なんとか容体の落ち着いてきた警部の横で、お腹が空いた……と思いながら、『証拠物件』と貼紙のついた、例のケーキを残念そうに、ながめていたし、キティといえば、暇過ぎて仕方がないと、誰も聞いていないのに、自分で自分に言い訳を、必死に言い聞かせながら、パン屋の女将さんに差し入れてもらった毛糸で、なにやらわからないを、この世に作り出していた。


~~~~~~


【小話 イートンの思い出@マスグレーヴ編】


寮長「点呼に来たが、ホームズはどこかな?」マスグレーヴがひとり本を読んでいる。

マ「もう寝ているが?」ベッドに枕で作ったホームズのダミーに視線を投げている。(ただいま、柔道の稽古にお出かけ中)一番下級生なのに高飛車。

寮長「これでは、いるかいないか……」部屋に入って、シーツをはがそうとする寮長。

マ「わたしが読書の邪魔をされるのを、一番嫌っているのを、理事や学長はご存じだと思うが、君は知らんのだな……」暗雲の立ち込めた不機嫌な顔の子ども。

寮長「~~~いや結構! 君がそう言うのなら、そうなんだろう! ホームズは就寝中っと!」焦ってドアを閉めて消えた。

マ「ふん……」ホームズがどこに行っているのかは知らないが、彼がいつか借りは返すと言ったので、誓約書をとっているマスグレーヴ君でした。(小さい頃からしっかりしている。)


~~~~~~


※真珠のパリュールのメンテナンスうんぬん話は、ちょっと正解な時代資料が見つからないので、設定程度でお願いします。(イギリスのお話は、お話だったはずなのですが、ヴィクトリア朝ではなかったかもなので💦)

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