未婚の貴族or高名の依頼人 4

〈 強情令嬢こと、ハイバー峠の英雄、マーベル将軍の娘、ヴァイオレット嬢のこと 〉


「若く美しく聡明で、非の打ちどころがない令嬢です。しかしながら、すべての令嬢にとって最大の弱みを握られておいでです……」


 デマリー大佐はそう言い、ワトスン博士は答えた。


「愛ですな……」


 そのやり取りを聞きながら、マリアは「そんないいもんだっけ? あの無礼者の強情令嬢のことだよね?」などと、失礼なことを思いながら、ヴァイオレットのことを、再び一生懸命に記憶のすみっこから引きずり出し、自分のちょっと前の過去を振り返り、顔だけのとんでもない京男(※京都出身の男性)に夢中だった自分を大いに反省していた。


『う――あ――! でも、顔はこの世のものとは思えないイケメンだったから、私の方がマシよねきっと!! いや、ひょっとして男爵の実物は、とんでもないイケメンなの?』


 まあ、とにかくドラマの通り、デマリー大佐が説明するところによると、非の打ちどころのない、ご令嬢のヴァイオレットちゃんは、あの頃のわたしと一緒で、頭にバカの花がパンパンに詰まっているようだった。


『しかし、ほぼ確定の殺人のうわさのある人間と結婚するって、すごいなぁ……、口が上手いんだろうけどさ……』


 あと6週間くらいで結婚……そりゃ焦るわ。それにしても、ここまで周りが心配してくれても耳をかさないっていうのも、すごいなぁ……。


「謝礼は心配しなくてもいいよ。マーベル将軍の財産の一切合切を、手放してもいいと、公正証書をもらっている。あの、レディ・マリア、次は先に軍記物を訳していただいてもかまいませんか?」


 マスグレーヴは聞いていたのか聞いていなかったか、猿蟹合戦の翻訳を読み終わり、ホームズに連絡がついたから、もう自分には関係がないとばかりに、そんな希望をマリアに告げてから、「ちょっと失礼を……」そう言うと、話の途中にも関わらず、部屋から出て行った。



〈 大佐と話し合いながら、ホームズが話を詳しく頭に叩き込んでいる頃 〉


 強情令嬢こと、ヴァイオレットは、例の『鍵付きのヤバい手帳/手に入れて殺した女の収集手帳』を手にしたにも関わらず、男爵にうまいこと言われて、「あなたのプライバシーは尊重しますわ……」なんて言って、「あなたは、まさに完璧だ……」なんて言われ、せっかくの決定的証拠を、あっさりと返してから、彼のの陶磁器コレクションを、うっとりと眺めていた。(そう、実は中国ではなくて、彼の専門は、の陶磁器コレクションだった。)



〈 再び場面は、ホームズたちがいる客間に戻る 〉


「もう、手の打ちようがないのです……成人ですから、結婚も止められなくて、御父上も寝込んでしまう始末で……」

「彼の住所は分かりますか?」

「男爵の住所は、ケンジントン近くのヴァーノン・ロッジ、大邸宅ですよ」

「相場師がひと山当てましたな」

「…………」


 その後、大佐は頭を抱え、顔をしかめたまま帰ってゆき、マリアはどうするのかなと思っていたが、そこはやはり本物の英国紳士、引き受けることにしたホームズの厳しい横顔を見て、物語の進行上、一応ざっくりと分かっているとはいえ、「命の危険にさらされている令嬢のために、やっぱり引き受けるんだ!」そう思ったマリアは、ちょっとホームズを見直していた。


「それでは失礼します」大佐がそう言って帰ったあと、ホームズは勝手に部屋の隅にあった豪華なライティングデスクで手紙を書いて、直立不動で控えていた(もしくは見張っていた)執事に封をした手紙を手渡していた。


 彼はしばらく、いつものように、しかしながら、いつもとは違う豪華な椅子の上で、パイプをくわえたまま、膝を抱えて考えこんでいたが、しばらくしてから、「おそらく正面からは、なにを言っても無理だな。闇の世界から手をまわした方がよさそうだ……シンウェル・ジョンソンに連絡をつけよう。令嬢は殺人は容認しても、ささやかなつまらぬ犯罪は認めんかもしれん」そう言った。


「シンウェル・ジョンソンに手紙を書いたのか!」


 ワトスン博士はそう言いつつ葉巻に火をつけてから、燃えかすのマッチを灰皿にきちんと入れていた。ベーカー街の部屋では火のついたマッチも床に投げ捨てていたような気もしたが、(ホームズだけだったっけ?)さすがにこのお屋敷ではしないらしい。


『TPOを心得ている』


 マリアは思った。そして疑問を口にする。


「そういえば、シンウェル・ジョンソン……その人だれですか?」


『そういえば……?』


 ホームズは、マリアの言葉に少し引っかかったが、この先、彼女の協力も必要になるかもしれないと、手短に説明をする。


「シンウェル・ジョンソンという男はね、このロンドンの地下犯罪社会で僕の協力者として、非常に役に立ってくれている男なんだ。彼は元犯罪者だったが、心を入れ替えて、いまでは僕のよき協力者として、アヘン窟やナイトクラブ、街の賭博場、あらゆる闇がからむ場所に出入りして、必要な情報を集めてくれているんだよ」

「へ――!」


『きっと、かわいそうなモデルさん……たしかキティちゃんを連れて来ていた、ポーキーとか言う人だよね……』


 それからしばらくして、マリアが言っていた、そして物語に登場する重要なふたり、キティとポーキーは、マスグレーヴのロンドンのやかたへと、連れ立ってやって来たが、門構えとやしきの豪華さに圧倒されて裏門へ回り、郵便配達員が持ってきたホームズの手紙を、不審そうな下働きの使用人に手渡していた。


「英国屈指の家柄にして最高の大物独身貴族、マスグレーヴ卿の恋人ついに発覚……お相手は、日本との貿易で巨万の財を成した、元フランス貴族と英国貴族の母を持つ絶世の美女ねぇ……ヴァイオレットでのは少し早まったかな? どうやって始末するか……」


 ヴァーノン・ロッジの大邸宅の一室で、グルーナー男爵こと、オーストリアの殺人者は、あらゆる新聞に目を通したあと、まだ顔写真がなく、影絵で表現されている『マリア』の挿絵を切り抜き、そんなことをつぶやきながら、それを例の手帳に、丁寧に貼っていた。


 そう、危機は思いもかけず、予想もできずに早まり、ヴァイオレットだけでなく、マリアの上にも訪れようとしていたのである。

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