第3話



 う、ぁ……?


 身体中に走る鈍い痛みで目が覚める。


 空は、満天の星を浮かべて黒く染まっていた。


 身体を動かそうにも、指先を少し動かすだけで激痛が走る。どうやら、怪我の具合は相当に悪いみたいだ。


 その痛みを堪えて、顔だけを動かす。


――パチパチと、焚き火の音が聞こえるその方へ。


 そこには黒い全身鎧で身を包んだ、いかにもな黒騎士が倒木に座っていた。


 片手に持った小枝を焚き火に放る姿は、野営に慣れた故の独特の動きが垣間見える。


 現に、焚き火から薄っすらと立ち上る煙は、僅かな果実の匂いを放ちながら宙に消えていく。


 ブドウか、リンゴ……?


 ほんのりと香る、甘い匂い。


 カサリ、と身じろぎと共に枯れ葉が揺れる。


 それと同時に、私の顔と騎士の顔で目が合った。


「良かった、目が覚めたか」


「う……ん……」


 騎士の声が、頭に響く。


 声に答えるが、口を動かすと身体中から痛みが響き出す。


 思わず顔を顰める。それで、騎士も私の状態に気付いたようだ。


「あぁ、そうだった。ちょっと待ってくれ、今ポーションを用意する」


 ガサゴソと、黒革の鞄の中から淡い緑色の液体が入ったガラス瓶が取り出される。


「さぁ、少し身体を持ち上げるぞ。ほら、口を開けて……」


「う、ん……」


 口元に触れたガラス瓶から、ゆっくりと薬液が口内に注がれる。


 見た目は薄い色だが、思った以上に苦味がある。ただその味は……お茶に近い。


「……その、苦くないか? 飲ませた私が言うのもなんだが、我々騎士でもあまり好んで飲もうとしない薬でな。その分効果は保証するぞ」


「……うん、大丈夫。ありがとう、ございます」


 確かに苦いと言えば苦いと思うけど、現実でそれなりにお茶は好きだし、ホントに苦い物は舌が痺れて使い物にならなくなるから……


 でも、効果は確かな薬だった。ほんの少し飲んだだけで身体中の痛みが静まっていく。全て飲み干した時には、激痛が嘘のように消えて無くなっていた。


 身体中に走った痛みが過ぎた後に感じたのは、小気味いい音を立てた空腹感。


「……ふふっ、ご飯にしようか。大したものでは無いけれどね」


「……はい」


 クルル……と鳴った腹の音に、顔が赤くなるり


 それでも、空腹感が消えることはない。


 薬まで使われて大変申し訳無いのだが、ご相伴に預からせてもらおう。


「ほら、熱いから気をつけてね」


 焚き火の周りにあった程よい大きさの石に腰掛けると、騎士の手から串に刺さった焼き魚を渡された。


 焼き魚から香る芳ばしい匂いが、鼻孔をくすぐる。


 私は、戸惑うこともせずその身に歯を突き立てた。


「……おいしい」


「ふふ、それはよかった」


 淡水魚特有の白身は、口内に熱い脂を行き渡らせながら、噛む度に味を色濃く残してくれる。


 ハグハグと、夢中になって食べていたらあっという間に一匹分を骨にしてしまった。


「薄味だけど、これも飲むといい」


「あ、ありがとうございます」


 渡された器には、肉や細やかな野菜が浮いたスープが盛り付けられていた。


 それを一口。塩味が効いたスープが、身体中に染み渡っていく感覚がした。


「そういえば、君は何処から来たんだ?」


 穏やかな食事を続けていると、騎士から私が何処から来たのかを聞かれる。


「あ、私は、ファワンの方から」


「ファワン、始まりの街からか。随分と遠くから来たんだね。ここから早馬で3日は掛かるよ」


 崖下の大河に落ちたとは思っていたが、どうやらかなり遠くまで流されていたらしい。


 でも、それはそれでいいのかもしれない。


 街の中は雑音で満たされている。彼処に私の居場所はないだろう。


「……何やら、事情がありそうだね。話すだけ話してみたらどうだい?」


……それもいいだろう。私の苦しみが分かる相手などいないし、話すだけなら問題もない


 向こうがいいと言っているのだから、遠慮なく話させてもらおう。


「……そうですね。私は音楽が好きだったんです――」


 そこからは、ただ延々と現実で起きたことを話していた。


 好きに歌って好きに演奏していたこと。それでちょっとした賞を受賞したこと。家族や友達が笑っているのが嬉しかったこと。


 嫉妬されて、いじめられたこと。大切にしていた楽器を壊されたこと。罵声が聞きたくなくて外に出るのが怖くなったこと。


 そして……


「精神的な病だと言われましたね。私は、家族の声すら聞き取れなくなりました。人の声が、金属音やノイズに変わってしまったんです」


 発症したとき、あまりの煩さでベッドの上で悶え苦しんだことを今でも覚えている。


「それは、さぞかし辛い日々だったろう。歌を好く者から耳を奪うなど、正しく悪魔の所業だ」


「今は、家族や親しい人の声はなんとか聞き取れるようには。ですが、外に出れば私の耳を逃れられぬ雑音が襲います」


「その割には、私とはしっかりと対話できているようだがね」


「それはきっと、私の体が仮初めの物だからでしょうね。同じ仮初めの体を持つ者の声は、私の耳に雑音を送りつけて来ましたから」


「……成る程、異界人故の違いか。確かに我々と異界人では見た目以上に差があると言うからな」


 どうやら、向こうも私の体の病を理解だけはしてくれたらしい。


「さて、そうなると始まりの街からできるだけ離れたいだろうな。しかし、あまりに近い街だと異界人はすぐに立ち寄るだろう……」


 少し考え込んだ騎士だが、何か案があるのかこちらと目を合わせる。


「私の友人に今から連絡を取ろうと思う。もしかしたら、君の病をこの世界ではどうにかする手段を知っているかもしれないからね」


「え! 本当ですか!?」


「彼女は長生きだからね。私が知らぬことも彼女に聞けば答えてくれる。とりあえず、夜明け頃にこちらに来るよう頼んでみるよ」


 今の時間はよくわからないが、身体に程よい眠気を感じている。起きる頃にはその友人もこちらに来てくれるのだろう。


「じゃぁ、少し眠らせてもらっても?」


「あぁ、回復したばかりだしゆっくり休むといい」


 私は初期装備の鞄を枕に、ゆっくりと目を閉じる。


 そこから私が意識を失うのに、大した時間は掛からなかった。

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