ラグラ

花見川港

第1話

「ほおそうですか。領主様の意向でこんな村にまで視察に」


「ええ。ここはいいところですね。このまま休暇としてのんびり過ごしたくなる」


 領主の遣いだという青年を自宅に招き入れた村長は、滅多に来ない役人が何を、と強張っていた肩を緩ませた。


「ははは、ありがとうございます。領主様のおかげで村は平和です」


 付き添いを断り、一人で村の中を歩きながら青年は、本当に平和だと目を細める。


 このところ、ある魔獣が人里を襲って回っていた。普通の兵士では歯が立たず、領内の視察のかたわら腕利きの戦士を探しており、この辺りには凄腕の双剣使いがいると聞いて来たのだが、いざ現地に来てみればまったく手かがりがない。


 被害は日々拡大しており、ひとつ前の村では山や森に近づくことすら恐れ、生活もままならない状態で村人たちはやつれた様子だったのに、ここの住民の顔に不安がまったくない。あまり被害が出ていないのだろうか。村長も魔獣については何も知らない様子だった。


 そんなことを考えながら歩いていると、角を曲がってきた少年と危うくぶつかりそうになった。


「わっ! すんません!」


「いやこちらこそ」


 荷車を引いていた二人の少年。彼らの片腕に自然と目が向かう。


 隻腕。


 声を上げた少年は右腕が。その右隣にいるもう一人の少年は左腕がなかった。余った片方の袖がそれぞれ彼らの間でひらひらと揺れている。彼らは二本の腕だけで荷物を乗せた荷車を引っ張っていた。


「よければ手伝おうか?」


「え、いいんすか!?」


 反応したのは片方だけで、もう一人は人形のように静かだった。


 すれ違った女が声をかける。


「ラグラ、これ持っていきな!」


「あんがとーおばちゃん!」


 左腕の少年は、人懐っこく笑う。


 家の前の椅子に腰かけていた老人が声をかける。


「ラグラ、この間はありがとうな」


「…………」


 右腕の少年は、無表情のまま頷く。


 青年は荷車の後ろを押しながら、目の前で次々と起こるやりとりを不思議に思う。


「ラグラというのは」


「俺たちの名前」


「君がラグラ」


「そっ」


「彼は」


「こいつもラグラ」


「本当に同じ名前なのか」


「ああ。俺たちはもともと一人だから、名前も一つなんだ」


 青年は呆然と瞬きをする。


 正反対に見えるこの二人は実の双子だという。彼らが片腕を持たず生まれたのは、胎の中で二つに分かれてしまったからだと思った母親は彼らを一人の人間として扱った。


「それは……ややこしくないかい?」


「そんなことねーっすよ? 俺たちいつも一緒だから、片方呼ぼうが、両方呼ぼうが変わらねえもん」


 ラグラ、と呼ばれれば二人は揃って反応する。呼ぶ方も慣れたように二人と話す。青年がいくら違和感を抱いても、双子にとっては生まれたときからそれが当たり前で、村全体に定着していた。


「いやー、助かりましたおにーさん」


「たいしたことはしてないよ」


 荷車を押して山道の坂を登り切った青年は、ちゃんと手伝いになっていただろうかと、曖昧に微笑する。ほとんど負担を感じなかったのだ。


 それだけ、前を引っ張っていた少年たちが見た目によらず剛力だったということだろう。


「それにしても君たちは村から離れたところに暮らしているんだね」


 山寄りの森の中に立つ一軒の二階建て。


「俺たち猟師っすから」


「猟師?」


「っす。あ、こう見ても腕前は村一番なんすよ? 猟師だった親父に徹底的に仕込まれましたから」


 両親はとうの昔に亡くなっており、今は兄弟二人で暮らしているという。


 荷物を運ぶの手伝い、入った家の中は意外と綺麗に整理整頓されていた。


「あ、よかったらお茶でも飲んでいきます? 大したもんは出せないっすけど――」


 右腕の少年が兄弟の袖を引く。あ、と何か気づいたように左腕の少年は眉尻を下げる。


「そうだった。これから罠を見に行かなきゃいけねえんだ」


「罠?」


「山に仕掛けた獣を捕まえるための罠っす」


「へえ……それ私もついていっていいかい?」


「別にいいっすけど」


「……」


「仕事でね、あちこち隅々まで見て回らなきゃならないんだ」


 左腕の少年とは違い、右腕の少年は無口な代わりにこちらの一挙一動を注視していた。害意はないと頰笑んでみるが、まったく表情が動かないので何を考えてるのかさっぱりわからない。反対するようすはないので、ついていっていいのだろうと勝手に判断する。


 当初の目的である魔獣の調査もあるが、彼らがどのように狩猟を行うかという好奇心も少しあった。


 二人は剣を腰に差す。左腕の少年は鉈のような、右腕の少年の方は普通の剣とそう変わらない長めの二種類の剣。


「それは?」


「親父んっす。少し大きいけど、熊を解体するとき便利なんすよ」


 この兄弟は大型獣も扱うのか。




 残念ながら山に仕掛けてあった罠はどれも空振りで、左腕の少年は石と紐の投石道具で枝の上にいた鳥を撃ち落とした。弓を使えない彼らでもこれなら遠距離に届く。


「大したものだ」


「にしし。――にしても、罠が一つも掛からなかったなんて変だなあ」


 撃ち落とした獲物を拾い上げながら左腕の少年は呟く。


 その横で右腕の少年が飛んでいる鳥を落としていて青年は目を見開いた。なんという命中率。


 落ちた鳥を拾いに行った先には、川が流れていた。少年たちはついでに獲物の処理をここですることにした。生業としているだけあって、実に鮮やかな手並み。


「今日は焼いて食べようぜ。おにーさんもどうっすか?」


「いいのかい? なら――」


 異様な気配を感じた。全身の毛が逆立つほどの悍しい殺気。勢いよく振り返った青年は、岩の上からこちらを見下ろすギョロリとした蛇のような目を見る。


 魔獣だ。


 熊よりも巨大な四つ足の獣。口は長く前に突き出ていて、鋭い牙がはみ出ている。黒々とした岩のような肌。蛇のような目がこちらを見下ろし、長い尾が地面を叩き、抉った。


「君たちさが――」


 子どもたちだけでも守ろうと前に出た青年の後ろから飛び出し、二人は解体に使っていた狩猟用の剣を振り上げた。


「待ちなさい!」


 魔獣は普通の獣とは訳が違う。鉄のように頑丈さはさることながら、火を吐くなど特殊な能力を持っているのだ。


 魔獣の喉が丸く膨らむ。


 危険だ!


 少年たちを引き戻そうにも、彼らはすでに魔獣の爪が届くところにいた。


 血が噴き出し、地面が染まる。


 前足から崩れ落ちた魔獣の頭に二人はのしかかった。


 その首に刃が落ちる前に斬られてない方の前足で体を起こした魔獣は、全身を震わせて兄弟を振り払う。


 呆然としていた青年は、ハッと我に返る。


 奇妙な戦い方だ。


 二人は二手に分かれることはせず、同じ場所から、同じ方向を向いて同時に動いていた。腕のない方の半身をくっつけて、左腕の少年が左側から圧を受ければ右腕の少年が支え、右腕の少年が右側から圧を受ければ左腕の少年が支える。どんなに息の合った仲間だってそんな風には戦えない。体が別々にある以上、個々の範囲を考えて動いてしまうはず。


 なのに。


 駆ける速さ、着地、斬りかかるタイミング。寸分違わない息の揃いようはまさに一心同体。それぞれ片手に持った左右の剣を振るう姿はまるで、一人の人間が双剣を振るようではないか。


 左で・・殴りかかってきた尾を弾き、右で・・魔獣の目を潰し、膨らんだ喉元に両剣を突き刺し、左右に広げて引き裂いた。


 どばどばと落ちて、赤黒い水溜まりが広がる。


 息絶えた魔獣の体を少年が検分する。においを嗅いで「うぇ」と左腕の少年は顔を顰めた。


「ああ気をつけて。そいつは確か毒を持ってるはずだから」


 努めて冷静を装ったが、いま目にした光景が信じられない。


 魔獣を少年が、それも隻腕の、いや、もうあれは片腕の動きではない。人間にはもともと腕が二本ある。そう二本の腕で倒したのだ。なにもおかしいところはない。


 いや待て待て、と頭を振る。混乱する己を鎮め、改めて魔獣を目にする。


「あ」


 これは、件の魔獣じゃないか。




「いいのかねえ、あんな食いもんにもならねえもんでこんなたんまり報酬もらって」


「魔獣は、防具や薬に使えるらしいからいいんじゃないか」


 思わぬ臨時収入を得て、とある村の隻腕の猟師の夕食がご馳走になった。どこに入るのか不思議になるほどテーブルいっぱいに乗せた量を難なく体に収めていく。




 のちに「双剣のラグラ」という猟師の名が広まり、領主に仕える青年が再び訪れ、今度は正式に魔獣討伐の依頼をしてくるのは、そう遠い話ではないのであった。

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ラグラ 花見川港 @hanamigawaminato

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