第13話 心を無くしていた

 違和感は、ほんの少しだけあった。気づくべきだった。

 咲道との電話での会話だった。


『魔王は……ラグラムとはどういう関係だ?』

『ま……? ?? 申し訳ありません、どなた、でしょうか』


 咲道は、駿の質問に「どなたでしょうか」と答えた。

 だが、ラグラムの正体を知らない人間が、そもそも「魔王」なる単語を聞いて、「誰か」を訪ね返すのは不自然だ。

 普通の人間からすれば、おおよそ場違いな「魔王」なる単語を聞いた時、普通の反応は「誰か」ではなく「何だ」だろう。

 つまりそれは、言い換えれば「魔王」という言葉に馴染みがあるという事に他ならない――。



 


 駿の耳元で囁く声があった。


「ああ……十年、待っていた……この時を」


 それは、咲道の声だった。だが、その声音は女性と獣の唸るような低い声が混ざったような、おおよそ人間とは思えぬものになっていた。

 血に染まった咲道の手は、爪が肉食獣のように鋭く伸び、腕は緑色の鱗に覆われていた。


「ご高覧なさっておりますか、我が主よ! 私は、このミュークは! いま、貴方の怨敵を、この手で!!」

「ミュー……ク…………」


 貫く手が引き抜かれ、力を失った身体が地面に沈む。

 心臓を失い、穴が開いた胸から血が溢れ、地面に血溜まりを広げていった。

 駿の目に映る、咲道――いや、緑翼のミュークは、恍惚とした表情で片手に握った心臓を見つめている。


「うおおおぁぁぁぁっっ!!!」


 銀一郎が雄叫びを上げ、息切れなど忘れたかのように全速力でミュークに向かい、突貫していった。

 ミュークは、銀一郎に向かい口を開ける。開ききった口端がだんだんと裂けていき、頬いっぱいにまで達した。裂けた口の内側にびっしりと生えた鋭利な牙は、まるで爬虫類のような様相であった。


「ゴアァッ!!!!」


 ミュークが咆哮する。それは大気を揺らし、空間を激震させた。


「うわっ!」


 押し寄せる衝撃に銀一郎の身体が吹き飛んだ。次いで、ガラスが割れる甲高い音がそこかしこで響く。


「度し難い。保管人よ。勇者がここまで来た時点で、役目は終わった。後の事柄については無用よ。疾く去れ!」


 銀一郎は受け身を取り、なおも怯まず叫ぶ。

 

「決めるのはお前じゃあねぇーッ!!」


 弓道袋に収納した六面城を取り出し、銀一郎は目の前にそれを立てた。


「おい! おっさんを引き戻せ!」


 六面城の扉が開く。銀一郎は、中にいる人物に命令を下した。


「は……はいいいぃぃっ!!」


 六面城の中――幽閉されていた猫背は、銀一郎に言われるがまま、メジャーから目盛りを射出。伏せた駿の身体に先端が触れ、同時に目盛りを戻して、駿を引き寄せた。


「なに……? 小癪な。白具使いか」

「なな、ななななんスかこれぇぇっ!!?」

「猫背! 出ろ早く馬鹿!」

「自分は猫背じゃなくて羽賀山ですって……うわっ!」


 銀一郎によって強引に六面城から引き剥がされた猫背――羽賀山は、ベタッと前のめりに倒れた。

 銀一郎は駿の身体を後ろから持ち上げ、空になった六面城の中に入れ、扉を閉じる。


「六面城の中だったら、モノの損壊を遅くできる……けど、心臓無くなった人間ってフツーどんだけ保つんだ!?」

「し、心停止だと十分ぐらいでかなりヤバいって聞きますけど」

「心臓取られてんだぞ!? だったらもっとヤバい!」


 中の物質を保護する性質を持つ六面城でも、瀕死状態の人間をどれだけ生かせられるかは未知の領域だった。いずれにせよ、一刻の猶予もない。

 自分の制服にべったりとついた血を見て、銀一郎の焦燥感が増していく。


「フン、まぁよい。凡愚に構うのは後だ」


 ミュークは銀一郎たちに目もくれず、ラグラムのフードを外した。

 そして、ラグラムの頭を空いた片腕で包み込むように抱えると、その頭はあっけなく胴体から離れた。


「ヒエッ!?」


 羽賀山が情けない悲鳴を上げた。しかし、そうなるのも無理はない、異様な光景だった。

 ミュークは、奪い取った心臓を、抱えたラグラムの頭の上で握りつぶし、その血を浴びせた。

 ミュークの、蛇のようにギョロリと大きくなった目に大粒の涙がこぼれ落ちる。


「貴方の仇を、貴方の御前で……この為に、十年耐え忍んだのです……」


 銀一郎には推測する事しかできない。

 恐らく、あの咲道と思わしき人物、ミュークの真の目的は、自らの手で駿を殺し、仇を討つ事だった。

 その為に、魔王を偽り、『編纂人』たちとの繋がりを作り、十年もの間、駿……つまりは勇者を探し、そして他の人間に命を奪わせぬよう、保管人である銀一郎に駿の保護を依頼した。

 あの首だけになった亡骸。自らの主である魔王の目の前で復讐を果たす為に。


「猫背、逃げるよ!」

「はぇっ!?」


 目的は理解した。駿を不意打ちした今、彼女の目的は殆ど達成されたようなものだろう。だが、まだ死んでいるワケではない。銀一郎に諦めるつもりは毛頭なかった。

 何がなにやらわからないままの羽賀山は言われる通りにするしかなく、六面城を背負って走る銀一郎の背中を追う。

 二人は工場から外に出て、無我夢中で走る。

 この時間帯で、心臓をなくした人間を処置できるような病院があるだろうか。そもそも、病院まで駿が保つのかすらわからない。

 不安を振り払うように、銀一郎は六面城に保管された駿に向けて声をかけた。


「おっさん、生きてる!? 死んでも返事しろよ!」

「…………う……」


 六面城から微かに声がして、銀一郎は安堵する。


「ぎんいち…………どうして……」

「いまそーいう事訊く!? マジで面倒くさいおっさんだな!」

「う……やめろ…………おまえには、かんけい……」

「またそれかよ! いっつもいっつも一人でやろうとしてさ! それが楽ならともかく、ずっと不機嫌そうにふて腐れてるみたいな顔するし、見ててイライラすんだよ、そーゆーの!」

 

 銀一郎が溜まっていたものを吐き出すようにまくし立てる。

 そして、さらにあらん限りの大声で、叫んだ。


「構われたがってるガキかてめーーーーは!!!!」





 何が欲しかったのだろうか。

 誰にも押しのけられない力だったろうか。確かにそれは欲しかった。しかし、それ自体にはさして魅力は感じていなかった。

 イジメられていた時、何も出来なかった。誰かに助けて欲しかった。

 殺人犯が教室でイジメっ子を人質にした時、思わずロッカーを出た。彼を救えば、自分の惨めな気持ちも救われると思った。

 だが、結局それは自分の自惚れだった。

 自分も救えない人間が誰かを助けるなど、おこがましい話だった。

 異世界で、自らの愚かさを悟り、自分の力は自分だけの為に使うと誓った。

 他人に期待なんてしない。いずれ必ず裏切られる。

 だから、自由に生きる。自由に生きている。

 自由。

 ………………。

 それが、本当に僕が欲しかったものか?





 六面城の中は、全速力で走る持ち主の振動を全く通さず、見た目とは裏腹に暖かく、冷えつつある駿の意識をなんとか現世に押しとどめていた。


「っ……うっ……」


 駿の頬に暖かいものが伝う感覚がした。口に入ったそれは、しょっぱかった。涙が自然と流れていた。

 止めようと思っても、涙は止まらなかった。異世界に行って以来、泣いた事は無かった。十年分、溜まっていたものがあふれ出ていた。十年、自分の時間は止まったままだった。

 銀一郎の言うとおりだった。

 誰かに助けて欲しかった。認められたかった。

 本当はわかっていたはずだった。でも、自分の本心を見たくなかった。

 だから、他人を拒み続けた。

 そうやって、自分の弱いままの心を守っていた。

 ロッカーに閉じこもるように、ずっと。


「おっさん……? ちょ、大丈夫!?」


 駿の様子を不穏に思った銀一郎が言った。

 返答はなく、呻くような声が聞こえるばかりだった。


「やばい。なんか、呪おうとしてんのかな」

「いや自分に聞かれても……」


 心配げに喋る二人だったが、とりあえず、駿が生きている確認は取れるだけ良かった。

 二人は工場の敷地の端まで近づいている。フェンスがうっすらと見えかけていた。


「ん?」


 フェンスの手前で、何かが見えたような気がして、銀一郎は目を凝らす。

 それは人影だった。

 向かってくる二人に、大きく手を振っていた。

 輪郭が明確になっていき、やがてその姿を確認――


「おーーーーい、銀一郎くぅぅぅ~~~ん」


 神経を逆なでする甘ったるい猫なで声。今ここで、ある意味一番聞きたくない声だった。

 にこやかな笑顔で出迎えようとする、異常に前髪が長い男に、銀一郎は血管が千切れそうなほどの怒号で叫んだ。

 

「みぃぃぃぃぃぃかぁぁぁぁぁぁぁぐぅぅうぅぅぅぅしぃぃぃぃぃ!!!!!」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る