第8話 牙翼と我欲

「我が……不足…………申し訳ありません、、主よ…………」


 緑翼のミュークが蚊の鳴くような声で主に許しを請うた。そのドラゴンの体躯には、地面から突き出た無数の土塊の槍によって壁に縫い付けられ身動きが全くとれない。

 ミュークの視線の先には、二人の男がいた


「邪竜っていうのは、どいつもこいつも文字通り口だけ大きい奴ばかりだな」


 その内の一人――駿は、フン、と鼻を鳴らし、正面の玉座に座る男にアヴリーバウの銀の刀身を向けた。

 刃の先にいる男、『牙翼の魔王』ラグラムは、足を組み、目の前に広がる愛しきドラゴン達の屍に動じる事なく、ただ真っ直ぐに、勇者と言う名の殺戮者を睥睨していた。


「君は、口ばかりが軽い。よくも、そんな状態で皮肉を言えたものだ」


 たった一人で敵の本拠地に攻め込み、並み居る邪竜を斬り伏せ、しかしその傷跡は生々しく残っていた。炎の息吹を防ぐ鎧も、身体の代謝を早めて傷を治す指輪も、千里を駆け巡る足を得られる靴紐も、その全てが力を使い果たし、壊れ、残る白具は手に持つアヴリーバウのみだった。


「惜しいな。君ほどの男が、人間に味方するなど」

「わからないな。お前ほどの力を持ちながら、どうして人間のくせに邪竜の肩を持つ?」

「どちらが「先」だったかを論じるだけ無駄だろう。人と竜、初めに攻め入ったのはどちらかなど。しかし、事実として彼らは人の手で不毛の大地へと追いやられ、滅びかけていた。私は人間というのにほとほとうんざりしていたから、彼らに共感できた。それだけだよ」

「なるほど。それが今やデカい鳥どもの飼い主ってワケか」

「そういう君は、その鳥の巣に放たれた一本の矢だ。矢は飛ばせば、それっきり。戻ってくる期待などされていない。わかっていて何故来た? 体よく利用されていると理解しながら……」

「お前の首を持って帰れば、ご褒美ぐらいは貰える。その金で一人自由に、気楽に暮らす。単なる我欲さ」


 フッ、とラグラムは苦笑した。その顔にはどこか諦観のようなものが混じっている。


「滑稽だな……お互い。友を守りたいと剣を手にした私は、翼も牙も持たぬ『牙翼の魔王』などと呼ばれ、方や君は勇者と祭り上げられ、ひとり死地に放り込まれる。それでも、君は人の為に戦うか。我欲のためと嘯きながら」

「…………」

「……あぁ、そうだな。喋りすぎた。我ながら感傷的だったよ。いいさ、どうあれ、我々が向かうべき事柄は、一つしかない」


 ミュークの血反吐が混じった咆哮が、玉座の間の空気を震わせた。


「お逃げ下さい、主よ! 失地など幾らでも挽回できましょう! しかし、貴方の、命だけは!!」

「ミューク、それはただの夢見に過ぎない。勇者に侵入を許した時点で、私たちの退路は切れた。おそらく、彼に続いて王国の大軍も近づいているだろう。選択の余地など、もうないのだ」


 そこまで言い、魔王と呼ばれる男は玉座から立ち上がった。

 もはや、語る言葉は残っていなかった。後に交わるのは、剣戟と血飛沫のみ。

 ラグラムは自らの右手、ドラゴンの子の手を移植したそれを唇に寄せ、ふっと息を吹きかける。途端に、鱗に覆われた腕がみるみる形を変え、やがて大剣となった。


 互いの、殺意がこもった視線が音もなくぶつかり合う。

 永遠とも思えるような数秒が過ぎた後、

 二人は同時に踏み込んだ。





「銀一郎、ここまでだ。これから先は僕一人で行く」


 そう言い放ち、駿はコンビニ前の駐車スペースから歩道まで出て、去ろうとする。


「はあぁぁぁっ!? 何言ってんの?!」

 

 素っ頓狂な声を上げた銀一郎は即座に駆け出し、駿の前を遮った。


「咲道が言った集合場所まで一緒に行く! そこまでが俺の仕事なんだよ!」

「必要ない」

「もしかして、俺が異世界あっちに行くの反対すると思ってんの!? 確かに、魔王手助けするのはちょっと微妙な気持ちになるけど、仕事は仕事って割り切ってる!」

「そうじゃない」


 フーッ、フーッと肩を上下させて威嚇する猫のように銀一郎は睨んでいた。


「おっさん、縛りプレイも大概にしなよ。三日櫛に狙われてんだ。ついでに言うと半グレどもにも。どう考えたって、危険だろそれ!」

「危険だろうが何だろうが、誰かの助けを借りる事はない」

「三日櫛相手にだって俺がいたから勝てたってのに!」

「……そうだな。僕が詰めの一手を誤ったのは認めるし、それをフォローしてくれた事については感謝する。だが、一人の行動とは危険を常に孕んでいるものでもある。やるしかないんだ」


 完全なノーミスなどあり得ない。事実、駿も異世界で幾度となく不慮の出来事で死にかけたのは数え切れない。しかし、それと同じ数を生き延びてきた自負があった。

 

「なんだよそれ……どうしてそこまで言えるんだよ。異世界あっちに行ったら、みんなそんな風になるワケ?」

「違うな。異世界あっちがどうとかは関係ない。現実ってのは端から端まで余すことなく酷いんだ。その端を飛び越えた先ですら、変わらない」

「…………意味わかんない」

 

 少年が整った顔立ちを歪ませ、拒絶するように首を振る。意地でもついて行く。そうとも言いたげな表情だった。彼には彼の、祖父から受け継いだ保管人としての責務があるのだろう。

 奇しくも、銀一郎の年齢は駿が異世界に転移した時の年齢と一緒だった。しかし、かつての駿と銀一郎では、何もかもが、まるで違っていた。境遇もそうだが、何よりも意思だった。


 自らの仕事を果たす為に、この少年は身を犠牲にしてまで駿を守ろうとした。それほどまでに彼は双間家としての使命に純然たる精神を持っている。

 その強さがあまりにも眩しく。

 そしてどこか腹立たしかった。

 駿は意を決したように一息つき、おもむろに語り出した。

 

「……十年前。僕がまだ異世界に行く前、高校生の頃だ。惨たらしい毎日だったよ。取り柄もなく、背だけがやたらデカかった僕は、すぐさまイジメの対象になった。それから毎日毎日、殴り、蹴られ、たかられ、……特にな」


 そしてふと、銀一郎を、正確には肩にかけている弓袋を見た。


「ロッカーだ。図体が大きいせいか、よくロッカーに無理矢理嵌め込まれて笑い物にされたもんだよ。痛くて、狭くて、生き地獄のようだった。そんな僕を助けようとする人間はいなかった。家ですら居場所もなかった。わかるか? 母親が代わる代わる連れてくる男の、煙草の臭いだ。家の匂いがな、いつも変わるんだ」

「………………」

「生きる希望もなく、かとって死ぬような覚悟も持てず、ただ無為な毎日を過ごしていた」


 誰かに身の上を話すのは、生まれて初めてだった。思い出したくもない記憶だったが、語らなければならない。何故だか、そう感じた。


「ある日の事だ。僕はいつものように、いじめっ子達にロッカーに詰められていた。ロッカーに閉じ込められて、情けなくて涙をかみ殺している僕を笑う声が聞こえていた。でも、それが突然悲鳴に変わったんだ。疑問に思って、小窓から外の様子を伺った。教室の中心に知らない男が立っていた。手にはそれぞれ銃と、何故か西洋剣があった」

「……どっかの密輸組織の三下だ。捌いてる麻薬に手を出してラリって、密輸入してた銃と好事家に売りつける為の盗品の剣を持って、学校に侵入してきた」


 どうしてそこまで知っている? と、駿は目を丸くするが、すぐに思い至る。

 

「ああ、そうか。そりゃ、事件になって当然だな。今更、あの男の正体なんてどうでもいいが」


 駿は苦笑すると、まるで資料を読み上げているかのように抑揚のない声で続ける。


「男には返り血がついていて、既に何人か殺めていたようだった。いじめっ子の一人に拳銃を突きつけて、教室にいた生徒達を脅していた。あの時ばかりは、僕を苦しめるロッカーの中が、まるでシェルターみたいに感じた」

「……それで……?」

「男は僕の存在に気づいていないようだったが、いじめっ子がふと僕が潜んでいるロッカーを見た。目が合った。その目を見て……見て、僕は……」


 あの日の記憶が、昨日の事のように鮮明になっていく。震える手を抑えるように、駿は固く拳を握った。乾いた喉から、声を絞り出す。


「どうして、そうしたのか今でもわからない。あのままロッカーにいれば、やり過ごせたかもしれない。でも、僕は咄嗟にロッカーから飛び出して、男に飛びかかっていた」


 声がうわずるのをなんとか抑えようとする。一言発する度に、身体の奥底にある、柔らかくて脆い何かが膨らんではち切れていくような気がした。


「呆気なく失敗した。痛みでうずくまる僕を見て、男は脅していたいじめっ子に剣を手渡してこう言った。「俺とこいつ、どちらか殺せば、見逃してやる」と」

「っ!」


 銀一郎は息を呑んだ。昨晩、駿が見せた頭の傷を思い出していた。

 つまり、それは――。


「許してくれ、とすら言わなかった。銃を持った男に斬りかかるのか、ただの木偶の坊を斬り捨てるのか、比べるまでもなかったのかもしれない。僕は、剣を――アヴリーバウを振り下ろされ、視界が真っ白になって、気づいた時には見知らぬ場所で倒れていた」

「じゃあ、おっさんの剣って……」


 勇者は刃を無くした剣を取り出し、目を眇めた。

 自分の命を奪おうとした死神

 異世界へと誘った案内人

 そして幾度となく命を救った相棒の残骸を見て。


「……弱ければ、縛られ、蔑まれ続ける。誰かに見返りを期待しても意味はない。だから、僕に降りかかる全ての事柄は、僕自身の手で、僕の勝手で受け止めるべきなんだ」

「……………………」


 二人の間に重苦しい沈黙が流れる。銀一郎は何かを言おうとして、しかし言葉を見つけられずに逡巡していた。

 駿は何も言わず、その場を立ち去ろうと振り向こう


「あんのぉ……すみません」


 とした瞬間だった。



「は?」

「な!?」



 突然、何の前触れもなく、二人の間に猫背の男が立っていた。顔立ちは若いが、髪は整えられておらずフケだらけで、血色も良くないため不健康な印象を受ける。


「あの……まず、すんません」


 猫背がボソボソと言った途端、駿は自分の脇腹に冷たい何かが入り込んだ感覚を認識した。

 続いて、そこを中心に奔る激痛。


「刺しちゃってすんません」


「なん、だって…………!」


 駿は、己の脇腹にあるそれを、

 捻り込まれた折りたたみ式ナイフを見て、呻くように言った。

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