第36話 薄紅花魁と福山の若旦那

 紅碧の水揚げしている時に一度だけ花魁道中をしている薄紅花魁の宴席に今宵は出る事になった。

 薄紅花魁の馴染みは彼女が振袖新造からの客で名前を福山ふくやまという。

 どうも今宵の桜華楼は少しどころかかなり慌ただしい。それは何故かというと福山という客は、福山財閥の御曹司であるという情報があったから。

 思わぬ福の神の到来にお妙さんも楓姐さんも若い衆にしっかりと福山財閥の御曹司を饗す用意を入念にさせる。

 薄紅花魁にも己を磨き上げ美しく飾るように言伝がされた。

 

「福山さんってあの福山財閥の御曹司、若旦那だったのですか?」

「そうらしいよ。何でも父親が亡くなって空席だった所をその御曹司が居たから今や福山財閥の若旦那さ」

「結構な話ですな。楓姐さん」

「今宵の面倒見る若い衆は賢治で決まりさあね。あいつはヘマをしないし、姿も申し分ない伊達男だしね」

「あっしは今夜は別の座敷へ?」

「喜兵衛。悪いが今夜は他の遊女への廻し方を徹底的にしておくれ。薄紅花魁と福山財閥の若旦那の面倒は賢治が適任よ」

「わかりました。今夜は変な騒ぎが起きる前に予めその芽を摘んでおくんですね?」

「福の神の到来とあったならそちらを優先するしかないわね」

「わかりました。そこは徹底的にします」


 喜兵衛は少し納得いかない様子ではあったが揉め事のある妓楼に福山財閥の若旦那も顔を出したくはないだろう。

 今夜は変な揉め事が起きない事を柄にもなく神に祈る想いの楓姐さんだった。

 今宵は福山財閥の若旦那が登廊してくる。

 この情報は楼主、稲葉諒の耳にも入っている。彼は丁重に饗すように、しかし横暴を働いた時は御曹司であれど厳粛に対処するよう皆に伝える。 

 世間一般では御曹司などと言われる者はそんな横暴な振る舞いなどしないであろうが、油断大敵でもある。世間一般な評判とその人物の人柄は必ずしも同じではないのだ。

 特に遊廓は金さえあれば何でも出来る、許されると勘違いする輩も多い。

 例え財閥の若旦那であっても横暴を働いたならば、私刑も辞さない覚悟で今宵は迎える諒であった。

 

 桜華楼の慌ただしさは近年にも目覚まし程の喧騒で、俺達芸者衆も準備稽古に余念はなし。流行歌から、お座敷遊びの定番の確認から、着物のしわやたるみも徹底的に直させる。

 芸者衆の幇間である俺達には袴と桜華楼の法被はっぴを着ての酒宴の参加が命じられる。

 夏に近づくに連れて桜華楼の法被も純白に商標の八重桜があしらわれた手の込んだ法被を若い衆は羽織る。 

 こうする事で一目で自分達と他の見世との見分けがつく。若い衆の男達は他の見世とは対して変わらないちょっとした筋者みたいな面構えの連中なのは同じなのだ。

 福山財閥の若旦那がくるという事で食事は本日は少しでも精がつくように魚料理を出していた。

 これだけの人数を抱えるから肉料理は出せないが、魚料理を出してくれた心意気には感謝するよ。

 旦那様も今回の若旦那が只者ではないからこそ、まずはしっかり栄養を取らせて活気をつけよう、そういう気配りだなと俺は想った。

 

 宵も更ける頃に、吉原にくる大尽、福山財閥の若旦那の為に薄紅花魁の花魁道中が、夏の宵に行われる。

 赤みを帯びた提灯が照らされる中、引手茶屋の桜花の里にて待つ福山の若旦那の下へ道中する薄紅花魁。

 それがまた薄暗くなる宵に催されたので、何とも魅惑的な光景だ。

 桜華楼の行灯を持ち先導するのは健太。

 薄紅花魁に肩を貸すのは友吉。

 長柄の傘をさして続くのは賢治で、他に禿を2人連れて薄紅花魁は堂々たる佇まいで聴衆の前を道中する。

 髪に飾られたかんざしも一番豪勢なものにしたのだろう。後光のように刺され、着物は薄紅色では少し気迫が足りないのかほぼ深紅の着物を羽織り、模様には華美な牡丹や鶴が描かれている。

 聴衆はざわめきと共に大きくなる一方。

 この眼で目撃しようと人だかりが出来る。

 そんな中を悠然と薄紅花魁は道中する。

 しかもお職花魁となって初めての花魁道中だ。薄紅花魁にとってもそれは名誉な出来事であった。

 

「美しいものだ」 


 福山の若旦那は呟く。

 花魁道中はそうそうお目にかかれない妓楼のサービス。

 向こうは歓迎している。

 そして福山の若旦那と薄紅花魁は何度目かの再会を果たした。


「やあ、薄紅。久しぶりだね」 

「福山さん、久しぶりでありんす」

「突然の変わり様に驚いているようだね」

「まさか福山財閥の御曹司であらっしゃりましたか」

「私も驚いているんだよ。薄紅。でも事実は事実だしね。お陰でこうして君を自由に買える立場になれた」

「でも、わっちの気持ちは心変わりござりんせん。今でもお慕い申し上げしなんす」

「私もそうだよ。薄紅」

「うれしうざんす。見なんし。今宵の星も月も綺麗でありんす」


 桜花の里の二階座敷で彼らは1つ酒宴を催した後に、桜華楼へと向かう。

 かつて伊勢谷半蔵がしたように、福山の若旦那も多数の花魁や禿かむろや振袖新造を供にして桜華楼へ道中する。

 この大正にこのような大尽遊びが出来る御仁が居たのか?

 仲の町を通りすがる一般客の羨望の目が注がれた。

 そして桜華楼へ登廊する。

 楓姐さんも今宵の着物は特別な席でしか纏わない物を誂えたのだろう。

 鶴や梅が刺繍された白が多い着物にて接待する。

 

「これは、これは、福山さん。ようこそ、桜華楼へお越しいただき誠にありがとうございます。靴はそちらの若い衆へお預けになってください」


 革靴を預かる勇太は名前の入った靴箱へ入れる。

 その他の人達の靴や草履もテキパキと入れていた。

 

「揚がっても宜しいかな?」

「どうぞ、お揚がりください。酒の肴も食事の用意もさせております」

「では」

「こちらの座敷へご案内致します」

  

 賢治が桜華の間へ案内する。

 お職花魁となり、薄紅花魁が桜華の間の使用を許可されたのだ。

 桜華の間では既に俺達芸者衆も準備を整えて待っていた。仕出し料理屋からの料理も折りを見て運ばれる手筈。

 そして俺は薄紅花魁の姿をまともに観た。

 まだあどけなさは確かに残っている。だけど花魁になるべくしてなった女性だなと貫禄で判った。 

 孔雀花魁とは別の、少し庶民的な野暮ったい部分はある様子だが、それでも禿かむろの頃からの躾の賜物かな。

 褐色がかった眼と艶のある黒髪。煙管を手にする仕草。禿を従える絵といい、様になっている。

 薄紅花魁も俺の姿を初めて観たのであろう。不思議そうな空気を出していたね。観たことあるような、ただの他人の空似か。優雅には振る舞っていたが福山の若旦那よりも注目して観ていたよ。

 賑やかな酒宴が始まり、しばらくすると、楓姐さんを越させて福山はこう言った。


「今夜はここを惣仕舞そうじまいしていいかな?」


 と、その場で現金500円(当時の相場では200万円相当)を楓姐さんに出した。


「ありがとうございます! 旦那様にもご報告をさせていただきます」


 楓姐さんは一階の内所に入ると諒に手渡された500円の束を観て入ってきた。


「諒! 福山財閥の若旦那が今夜は桜華楼を惣仕舞させて欲しいって! 花代、500円! 頂戴したわ!」

「やるねぇ、福山の若旦那も。惣仕舞するとは。よし、花代は貰ったしさせてやろう。福の神の到来だな」


 薄紅花魁の箔もますますつくってものだね。諒はやはり本日は少し若い衆や女郎達に少し良い物を食わせて正解だったと考える。今夜は少し長い夜になりそうだな……。

 彼は煙管を咥えると煙草を吸い、煙をゆっくりと吐いた。

 二階の桜華の間は今はしこたま元気な宴の音が響いている。

 孔雀花魁はそれに嫉妬しつつも、お職花魁として桜華楼を惣仕舞させた手腕に納得しつつ、今宵は別の客と共に座敷にてついていた。

 相手は中尾裕二だった。

 桜華の間から少し離れた竹の座敷にて、珍しくどんちゃん騒ぎの桜華楼の事を話す。


「いや〜、今夜は賑やかだね」

「はい。今夜は福山様が桜華楼を惣仕舞にするとの事で先程、花代として500円、いただきました」

「福山財閥の若旦那か。何でもいきなり家業を継いだ跡取りだってね」

「豪勢な方に存じ上げます」


 またとんだ大尽が遊びにきたもんだと思う中尾裕二に孔雀花魁はしな垂れかかる。


「そんな事は関係ないでありんす。中尾さん。早く、貴方を感じさせて……」

「そうだね。今は君と愉しもう」


 それぞれの思惑が流れる中、桜華楼の賑やかなな宵は更けていく……。

 

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