第30話 狙われた芸者

 紅碧の水揚げの一日目が終わり、二日目の昼間。

 俺は桜華楼が気を利かせてくれてまた【桜花の里】にて昼飯として鰻の蒲焼きを食べていた。

 ちなみに本日の昼間の行事は、昨夜、振袖新造から花魁に格上げになった薄紅花魁の花魁道中が催される。 

 そういえば薄紅花魁には会った事は無いな。一体どういう女性だろう…? と鰻の蒲焼きについてきた沢庵と味噌汁を食べて様子を見ていた。

 すると。

 雑踏の様子が騒がしくなり、ある者の声が響く。


「桜華楼の新しい花魁、薄紅花魁の道中だ!」


 昼間に行われた薄紅うすべに花魁の花魁道中は梅雨の合間の晴れ間にされた。

 桜花の里の二階からそれを眺めた。

 薄紅花魁の名に恥じない、薄紅色の着物、桜の花やうぐいすが描かれた着物で、左右には友吉が薄紅花魁に肩を貸して、金棒引きには健太がしていた。

 長い傘を持ち彼女に傘をさすのは賢治だった。呼び込みの十郎太が注目を集める。


「さあ、ご覧あれ! 桜華楼の新しい花魁、薄紅花魁の道中ですよ! 薄紅花魁の心を射止めようという御人方! ぜひ桜華楼にお揚がりくださいませ!」


 薄紅花魁は三枚歯の高下駄を履き、内八文字という歩き方で堂々とした佇まいと、輝かしいばかりの美しさで、観る者の心を釘付けにする。

 頭部のかんざしはまるで後光のように飾られてまるで天女のようだ。

 目鼻立ちはこれまで振袖新造として経験をしっかり積んだ貫禄がある美女だった。

 どことなく、それは活気に満ちた瞳だ。

 そして見合わない男に対する気迫も感じられた。

 "私は安い女では無くってよ"。

 言葉にすればこうであろうか。

 若い衆も服装は桜華楼の法被(はっぴ)を纏い、存分に存在感を出している。夏に近づくにつき、法被は白に商標の八重桜をあしらった涼し気な法被だった。

 そうしてまた夜がしばらくしてやってくる。

 

 そんな紅碧の水揚げの二日目の夜に、また不躾な客がやってきたらしい。

 名前は石井といい、初回の客らしい。

 頭髪は既に哀れハゲ散らかしており、見た目はあまり好まれない。どうやら誰かの太鼓持ちとして揚がったのだろうか。

 坂本という客で一丁前に会社運営をしているらしいが、どうにも腹黒いうわさ話があるらしい。

 見た目は白髪頭に恰幅が良いと言えばそうだが、横柄に感じるね。

 一応、桜花の里を経由して揚がったらしいが、桜花の里の女将、行木なめきさんは若い衆に注意を促していた。見た目こそ信用できるが、桜華楼にて横暴に振る舞うのでは? とのことだ。

 周囲の客に対して気を遣う訳でもなく、遠慮なしに騒ぎまくる坂本と石井の下品な声が桜の座敷まで響いてきた。

 紅碧は思わず、この間の事を思い出す。


「また下品な客が揚がってきた……嫌、もうあんな目に遭うの、嫌っ!」


 桜の座敷にお酌を傾ける俺は胸に抱いた。

 落ち着いて貰う為に、しっかりと胸に抱く。


「大丈夫。俺が奴らに触れさせるものか」



 坂本と石井は共に横柄な態度で芸者衆を呼ばせた。

 

「おう! バンバン芸者衆を越させろ! 今夜はパーッと遊ぶぞ!」


 その座敷に呼ばれた芸者衆は、池本と酒井と中村と夏村だった。

 彼らは早速、場を盛り上げ始める。

 賑やかな酒宴がされ、妙子のお酌で、いい気になる坂本。石井もデレデレして口元を嫌らしいそうに歪めて、お酌をする夏村に舐めるような視線を送った。

 池本による流行歌が歌われる頃に、石井はよりによって夏村を口説き始める。


「綺麗な芸者さんですね」

「わたくしはまた、座敷ばかりの儚い芸者の身の上故、例えどのような訳でも芸者は抱えのあの人達には勝てないのがくるわの慣わしですわ」


 座敷には2枚目花魁の孔雀花魁がいた。

 彼女の厳しい視線を感じる夏村は、事もなげに孔雀花魁に声を掛けたらどうだ? と促す。


「孔雀花魁の方がどんなに美しいでしょうか? 今夜は孔雀花魁と過ごされたらいかがです?」

「人の見てない所で一緒にしようよ」


 と、馴れ馴れしく芸者の着物のあわせに手を入れる石井。

 その手を振り払う夏村。

 

「いい加減にしてくださいな」

「おい! 生意気な芸者! 石井を無下に扱うとは生意気だぞ!」

「お静かにしておくんなんし」


 孔雀花魁は堂々とした態度で注意を促す。


「坂本さんが終わったら石井さんの所にと寄ってあげます故に。騒ぎを起こして貰ったら気がつまりんす。この座敷は事に及ぶ場ではごさりんせん」

「そんな堅い事を言うなよ、孔雀くじゃく〜? 石井もここが色っぽい所だから」

「何をおっせぇす。余りにも眼につくようなら、今夜はわっちも貴方に抱かれとうごさりんせん」

「……何を生意気言ってんだ! このアマ!」


 坂本が怒鳴った。

 片方の石井はしつこく夏村の着物越しに体を弄る。

 夏村は助けを呼んだ。


「誰か! 誰か助けて!!」


 その声が桜の座敷にも聴こえた零無は、思わず紅碧に断りをいれて出ていく!


「夏村さんの声だ! すまない! 紅碧べにみどり、すぐに戻る!」

「は、はい!」


 桜の座敷を飛び出すように出る零無は、助けを求める声の座敷へ走る。途中で若い衆の健太に会った。


零無レムの旦那!」

「急ごう!」


 石井は発情した猿のように下半身の獣を出して、夏村の着物の裾を捲り上げて、今にもそれを入れようとしている。

 思わず夏村は暴れて肘打ちで石井を殴る。

 孔雀花魁はそんな喧騒の座敷から自室へと悠然と戻る。

 

「乱暴しないで僕と愉しもうよ」

「ふざけないで!」


 ニヤニヤと下卑た顔になる石井。

 坂本もニヤニヤして手慰みに夏村を犯そうとする。

 周りの芸者衆は猛然と抗議だ。


「何を考えているんだ!? あんたらは! ここは吉原の大見世だぞ! そんな横暴が曲がり通ると想っているのか!」


 池本は夏村を庇っている。

 抱きしめて、彼女も睨んだ。


「うるせえよ、芸者衆が生意気なんだよ!」

「芸者でもね、選ぶ権利はあってよ? あんたみたいな奴を誰が選ぶものですか!」

「気に入りましたよ。何としてもあなたは追いかける事にしましょう」


 石井の顔が愉悦に歪んだ。

 そんなときに零無レムと健太が駆け付ける。

 

「夏村さん! 大丈夫ですか!? 池本さん、他の座敷へ逃げてください! 夏村さんも連れて」

「なんですか? あなた?」

「夏村に何をした?!」

「僕はなんにもしてません」 

「嘘を吐いてんじゃねぇよ! 夏村さんを強引に犯そうとしたじゃないか!」


 酒井はこの目で目撃したそのままを怒鳴る。

 零無が少し怒りを出した。


「また、権力を傘にして、手籠めにしようとした奴がきたか。腐ってやがる」

「幾らでも吠え面をかくがいい。金こそすべてを支配するんだ」

「だから芸者を手籠めにしようとしたのか?」

「僕は知りません」


 石井はこの期に及んでとぼけるつもりだった。

 しかし。


「冗談過ぎるね、坂本さん、石井さん」


 この事件を余すことなく見つめていた若い衆がいた。喜兵衛きへえだ。

 実は喜兵衛は静かに事を見つめて、言い逃れしようとする客を逃さない人物でもある。この間は杜若の件で失態を冒したが、今回は失態する訳にはいかない。


「石井さん。アンタは芸者の夏村さんをこれから付け回す気だろう。そうはさせないよ? 妓楼として、そんな客をおめおめ逃がすと思っているのかい?」


 楓姐さんと諒も竹の座敷にきた。

 諒は憮然と腕を組み事態を見守る。 

 楓姐さんは客の坂本と石井に問い詰めた。


「何の真似ですか? 坂本さん、石井さん」

「何の真似って……」


 その間に喜兵衛から詳細を聴く諒。

 諒は頷き、喜兵衛にある用意をさせる。


「楓。そいつを"いい所"へ案内してやれ」

「あの部屋ね。ちょっとツラを貸して貰いましょうか?」

 

 思わず駆けつけた零無に諒は優しく促した。


「すまないですね。あなたは紅碧と一緒でしたね。座敷にてお楽しみください。この件は処理しておきますから」


 竹の座敷は閑散とした空間になり、隣の座敷で騒いでいた客も思わず外に出た。

 しかし、若い衆は気にしないで楽しんでくださいとそのまま営業を続行させた。

 桜華楼の一階のとある部屋に折檻部屋がある。

 そこに案内されてしまった客の坂本と石井は、そこで世にも恐ろしい目に遭う。

 木刀を持つ健太。楓も短刀を片手に、諒も木刀を肩に担いでいる。


「な、何をする……つもりだ?」

「僕をどうする……」


 そこで健太が木刀で顔を殴った。思い切りだ。石井の顔が苦痛で歪む。

 石井が地面に倒れる。


「起きろや、コラ」


 健太が胸ぐらを掴むと無理矢理立たせて、今度は肩を殴る! 脇腹へ一発入れた!

 稲葉諒の冷酷な声が響く。

 健太に常に嫐らせながら、淡々と話す。


「あの竹の座敷を汚そうとした罰は受けて貰うよ。金を持っていれば何でもできる? 自惚れるなよ。健太。金玉も潰していいぞ」

「オラァ! オラァ! もっと叫べや! クソが!!」

「ぐあっ! ぎゃあああ! ぐあっ!」


 地面が血飛沫で汚れていく。

 木刀は顔を、脇腹を、腹を、脚を、あらゆる場所を容赦なく叩き、血に塗れていく。

 楓姐さんは侮辱的な言葉を吐く。


「下半身猿め。ハゲ散らかした馬鹿は血まみれにしないとねえ」

「坂本さんも今の内に念仏でも唱えておいてくださいな」

「汚らわしい金玉は私が潰してやるよ」


 健太から木刀を借りると楓姐さんは下半身を容赦なく20回叩いて、金の玉を潰した。


「ひぎゃあああっ!!」

「どうせならぶっ殺しますか?」

「殺せ。三ノ輪の浄閑寺へ放り込めばいいだろう?」


 健太は木刀で石井が苦痛で喘ぎながら、徐々に命を散らしていかせる。坂本は真っ青になり、腰を抜かしながらそこから逃げようとするが。


「何処へ行く? お前の処刑はこれからだ」


 程なく石井は血みどろの海へ沈み、死んだ。坂本は命乞いをする。


「すまない! 金なら幾らでも払う! 払うから命だけは! 助けてくれ!」

「馬鹿な事を言ってんじゃないよ。お前も残らず無縁仏に送らないと割が合わないじゃないか」

「死ね」


 その日に登廊した客は一向に帰ることなく、血まみれになった彼らは、浄閑寺へと放り投げられた。 

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