第21話 二日目の朝

 紅葉との初夜を終えた後。

 いつの間にか深い眠りに落ちて、意識も深い所に落ちているのだろう。

 俺はまた夢を見ていた。

 それは俺が誰かを抱いている光景だった。

 でも顔は靄に隠れてよくわからない。

 なあ……君は誰だい? 

 夢の中で俺は聞く。

 靄の向こうからは声が聞こえた。


「忘れてしまったの……? ひどい……。私は一時も忘れた事はないのに……」

「ち、違うよ。俺はただ君の名前を知りたいだけなんだ」


 靄の向こうの女性ひとはそのまま消えてしまい、俺はただ引き止めようとする。


「違う……俺は君を……」


 すると鋭い痛みが頭に走り、意識を取り戻すとそこに居たのは心配そうな表情の紅葉もみじが俺の事を気に掛けていた。


零無レムさん。大丈夫ですか? とてもうなされて……」

「も、紅葉……」

「医者を呼びましょうか?」

「いや……大丈夫。気にしないでくれ。何か私もかわやに行きたくなったよ」

「健太さんを呼びますね。健太さん!」


 健太はすぐ側で待機していたのか、すぐに応対してくれた。


「零無の旦那。おはようございます。厠に行きたいんですね? 他の留袖新造に案内をさせますね。客人用のトイレはこの2階にもありますんで」


 俺がそうして他の留袖新造に案内されてトイレに行っている頃に、紅葉は先程の零無レムの様子が不自然になっていたのを健太に聞いていた。


「健太さん。零無さん、うなされていたんですけど、私が何か粗相をしたのでしょうか?」

「零無の旦那がうなされていた? そういえば度々、あの旦那は夢見が悪いと聞きますぜ」

「悪夢とか見るんですか?」

「そんなものでしょう。ここは紅葉さんの出番です。吉原ならではの極上の夢をみさせてあげましょう!」

「零無さん、朝ご飯はまだです。健太さん、朝ご飯の用意はありますか?」

「ええ。もう用意はしてあるんで、持ってきます」


 トイレに案内された俺はまたしても妙な夢を見た感覚を忘れようと小便をする。

 昨夜は色々な感覚が甦ったな。女性を抱く時のあの感覚。冷めていたはずの情熱が甦るあの感覚。不思議な夜だった。

 しかし。まだまだこれからなのだ。新造の水揚げは今夜も続く。

 そうしてトイレを済ませると、また元の座敷へ留袖新造の案内で向かう。

 桜の座敷へ戻ると朝ご飯が御膳に載せられて用意されていた。

 悪い夢を見てしまったのを気にしてか、白いご飯がお粥になって載せられている。こういう気遣いは助かるよ。おかずもあじの塩焼きと沢庵と味噌汁がきちんと出てきた。

 紅葉は俺が食事している間に、お茶を淹れてくれている。ちなみに吉原では"お茶"と言わないで"上がり花"と言うらしい。

 茶を引くという縁起の悪い言葉があるので、それを避ける為に上がり花とか出花とかでお茶を表現するそうな。茶柱だけは縁起が良いらしい。

 

「昨晩はすっかり良い気分にさせてくれたね。君との一時は極楽だった」

「私も……初めてなのに、あんなに乱れて恥ずかしいです」

「乱れる君は綺麗だった。まだ朝なのに夜の事を話題にするのもなんだね」

「零無さんは夢見が悪いのですか? 健太から聞きましたけど時々、夢見が悪いと聞きました」

「そうだね。時々なんだ。ひどい悪夢を見る時があってね。気分が憂鬱になる時もしばしばだね」


 俺はそんな事を照れ笑いしながら答えてあげた。俺の生前の記憶は、だが、全然戻らない。断片的に思い出すだけで。

 その話をすると鋭い痛みが頭に走る。それがとても不快な気分にさせるのだ。

 話をはぐらかす為に紅葉がここにいる理由(わけ)を聞きたくなった。禁句とは言え興味を反らせたいからだ。


「紅葉は何の縁で桜華楼に来たのかな?」

「私は……借金が理由です。お父様の借金。お母様が重い病気になって、治療費を払おうにもお父様は安月給で。だから……私……」


 代わりに吉原に売られてきた。

 それが10歳の頃らしい。以来、桜華楼にて禿かむろとして遊女になるべくしつけられたという。

 その時はお妙さんとかはここにいたし、楓姐さんとか諒さんが親身に接したとか。

 姉花魁に菖蒲あやめがなり、彼女のもとで修行に明け暮れたらしい。性技も菖蒲直伝。その時の男性が喘ぐ姿は幼い少女ながらなかなか衝撃的だったとか。

 吉原の女郎屋というのは本当に凄い世界だなと俺は思うよ。幼い少女に実践的な性教育だ。しかもそんな免疫などあるわけない。

 朝ご飯は済む頃に俺は楼主に呼び出しを受けた。健太を通して内所に来るように言われる。

 着物を纏って内所の部屋に来る。

 髪型は変えたままで部屋に入った。


「おはようさん。昨夜は御苦労だったな。しっかりと水揚げをしている様子が聞こえたと若い衆から報告が来たから安心したよ」

「水揚げの新しい指示ですか?」

「そんなものだ。若い衆にさせればいいと言う話じゃない。これは大事な儀式だから俺が自らお前に指示を出すのが筋だろう?」

「それで指示は?」

「夜まで暇だろう? 紅葉にも休憩時間は与えたいがせっかくの客人が暇というのもすまないと思う。引手茶屋の【桜花の里】に行ってみろ。丁度良い余興があるんだ」

「余興か」

「桜華楼の振袖新造のお披露目の【新造出し】という道中があるんだ。菖蒲あやめとか孔雀くじゃくとか杜若かきつばたも道中に参加する。新造出しに紅葉も参加するから、しばらくの時間は【桜花の里】で過ごすといい」

「面白そうだね」

「それから今夜は紅葉に見せてやれ。湿深しつぶかな男性という吉原の遊女が嫌がる男というやつを、な」

「禁じ手をしろ、と?」

「それをされるのが嫌だから技術として使える。でもされなければそれもわからないのが人間だろう? だったら今夜、紅葉の為に演じてやれ。そういう客人もいる事も」


 零無は稲葉諒の前で思わず溜息を吐いた。

 そういう男と女が絡み合う場まで己を演じるなど、自分はそういう商売の人間ではないのに、と言いたげな雰囲気だった。

 しかし、引き受けたものは引き受けたものだ。

 途中で投げ出す事はしないでせめて紅葉が売れっ妓になるのを手伝えるのなら悪くない話ではないかな。

 零無はそう言い聞かせるように内所の部屋から出たという。

 彼が出た内所の部屋にて、稲葉諒は呟いた。


「人気者になるなら嫌味の一つも買っておけよ。吉原で人気者になるとはそういう闇も味合わないとな」


 まるで自分自身が体験したように稲葉は、その褐色の眼を内所から観える窓の空を見上げたのであった。

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