がぶがぶ/21 たまごとひよこ



 あれ数日、初雪の感情は安定している様に見えた。

 だがそれは表面上に過ぎない事を、吉久は知っている。

 だってそうだ、あの日の翌日から。


(…………またかよっ!? いやプレッシャーだよこれっ!? 直接言ってこない分、すっごい質が悪いよねこれっ!?)


 彼は今、ある嫌がらせに悩んでおり。


(直接聞いても笑って誤魔化すだけだしさぁ……、その割には僕の机にも置いてあるし、というか一緒に登校してるのに何時仕込んでるのさコレっ!?)


 教室の机の中に入っていた物、それは本。

 エロ本ではない、しかし人生において家庭を持つならば一度は読むだろうそれ。


(たまごとひよこぉ!! いやたまごは兎も角、ひよこは早いんじゃないの!? たまごも早いと思うけどさぁ!!)


 そう、リビングや玄関、ふとした所に置いてあるのだ。

 まるで吉久に子供が欲しいと催促するように、否、催促しているのだろう。

 だが貧乏学生という以上、現在の彼に出産費用も養育費も稼げるだけの何かは無く、また貯蓄もゼロに近い。


「「どうしろって言うのさ…………」」


「はい?」「うん?」


 被さった声に首を傾げ、思わず隣を見ると。

 そこには、同じくたまごとひよこの雑誌を机から出している紗楽が。

 吉久は非常にシンパシーを感じながら、自分も同じ本を出して。


「君もか紗楽……」


「お互い独占欲の強い恋人を持ってさ、大変だねよっしー……」


「少し前からさぁ、無言でプレッシャーかけてくるんだよ」


「ボクもさ、後ろから抱きしめられてお腹を撫でて来てさ、子供は何人欲しいって囁かれてる。しかも昨日の放課後デートでは赤ちゃん用品を一緒に見た、ボクはまだ妊娠すらしてないのに」


「それなら僕は、ニッコニコの笑顔でコンドームに穴を開けてる姿を見た。だからセックス拒否しといたけどさ」


「「…………」」


 無言で見つめ合う二人、その表情はお互いへの同情心が溢れ出て。

 吉久と紗楽、友情全開で両手を広げ抱きしめあう。


「友よおおおおおおおおおっ!! 苦労してるんだね君も!! そうだよね僕達ってまだ学生だし何なら受験もあるし、なんで今、子供なんだよぉ!!」


「分かるっ、分かるよ友よ!! ボクだって受験あるし、そもそも結婚だって大学卒業後が良いし! いや子供が欲しい気持ちは分かるけど今じゃないと思うんだよっ!!」


「だよねだよねっ!! しかも何か新居の相談とかしてくるんだよ? 子供部屋は幾つ必要でしょうかとかさぁ!! いや必要だしいつかは考える事だろうけどぉ!!」


「分かるっ、分かるよっ、キミも苦労してるんだねよっしー!!」


 何時にもまして意気投合する二人の姿に、ちらほらと登校してきたクラスメイト達は。

 同情的な顔をするも、知らぬ顔。

 特に恋人持ちにとっては他人事ではなく、恋人が居ない者にとっても理解できる苦悩であったからだ。


「ああ、友情に浸りながらもっと語り合いたいけどさ……」


「そうだねよっしー、ボクらには優先しなきゃいけない事がある」


 即ち。


「「どう説得するか、だ」」


 意見は合致した、だが問題は正にどう説得するかだ。

 恋人が不安や独占欲に駆られて、確かな繋がりとして子供を欲しがっている事は理解できる。

 だが、あまりに説得材料は少ない。


「金銭的な事で攻めても、初雪はお嬢様だしなぁ……。お金も出産後のフォローや育児も、何とかなるんだよなぁ……」


「そうなんだよ、カネくんもさぁ。御曹司だからなぁ……、一般的な問題が問題じゃないんだよね」


「ああ、誰か僕ら以外に一緒に住んでくれる人が居たらなぁ……、第三者が居たら、少しぐらい自重してくれると思うんだけど」


「――――なるほど? それならシェアハウスするかい? ボクらとキミらでさ」


 おや? と同時に目が点になった。

 深く考えずに出された言葉であったが、思った以上に効果的な案かもしれない。


「……もし一緒に住むなら、僕が兼嗣を押さえられる、同じ男としてね」


「ボクは初雪嬢を押さえてみせる、同じ女性としてね」


「提案する価値はある、か……」


「二人だけだと暴走するけど、もう一組の恋人達がいるなら反面教師にも手本にもなれる」


 そう上手く事が運ぶ保証は無い、だが賭けてみる価値はある。


(初雪のストレスが溜まって爆発する可能性だって勿論あるさ、でも……皆で共同生活するっていう“普通”以上とも言える青春がさ、心を癒してくれるかもしれない)


 きっと彼女は吉久との二人っきりでの生活を望むだろうし、強硬に反対するだろう。

 でも、それでは彼女の世界が狭まっていくだけだ。

 世界さえも変えてしまう様な何かが起きなければ、お互いに自滅していってしまう。


(分かってる……今の状態が一時凌ぎにしかなってない事をさ)


 初雪の心は愛と憎悪で破裂寸前だ、それを何とか口に出させて僅かな延命をしているだけだ。

 彼女は絶対に吉久から受けた陵辱の痛みを忘れない、そして同時に愛しているのに憎んでいる自分を受け入れる事が出来ない。

 ――少なくとも、今のままでは。


「どうしたんだい、いきなり黙り込んでさ。初雪嬢の事がそんなに恋しいかい?」


「そんな所だね、じゃあ細かい話を詰めようじゃないか。僕らが一緒に暮らす話をね」


 そう吉久が笑った瞬間であった、

 背後から冷え冷えと、そして刺々しい空気が流れてきたと思えば。


「へぇ、興味深い話っすねクソ男先輩? 俺の紗楽とどうするって?」


「是非、お聞かせ願えますかお二人とも。――親友二人で同棲? その様に聞こえましたが…………、裏切るおつもりです?」


「ふぁっ!? は、初雪っ!?」


「カネくんっ!? いったい何時から聞いていたんだいっ!?」


「どっからでしょうねぇ~~、今の俺に理解できる事は、クソ男先輩と紗楽が浮気してるんじゃないかって事ですかね? ははッ、もしかして俺はとんだピエロでしたか? …………俺を捨てるなんて許さないですよ」


「ねぇ吉久君? ちょっと二人っきりで、鍵のある部屋でじっくりお話がしたい気分なんです。――勿論、いつ出られるかは私次第ですが」


(なんか凄い誤解されてるううううううううううううううううううっ!? ど、どうするっ!? いや正直に言えば分かってくれる筈だっ、そ、そうだよな? そうだよねっ)


 ここは協力して、お互いの恋人を宥めるべきだ。

 吉久は紗楽にアイコンタクトを送るが、返ってきたのは。


「(ここは一度撤退だよっしーっ!! 時間を置いて冷静になるのを待つんだ!!)」


「(分かったよ親友! キミの提案に乗ろう! 僕も今の状態で説得出来るか不安だったんだ!!)」


「は? 目と目だけで分かり合ってるんですかねクソ男先輩? かってに紗楽とそんな事をしないでくれます??」


「私を差し置いて……紗楽も、そして何より吉久君も…………良い度胸をしていますね」


 お互いの恋人は導火線に火がつくどころか、爆発寸前だ。

 紗楽と吉久は青い顔で頷きあうと、足に力を貯めて。


「うおおおおおおおおおっ! 自由への脱出だ!! すまない初雪!! また冷静になってから、具体的には夜にでも会おう!! マジで誤解だから!! 本当に誤解だから!!」


「ちょっとカネくん、キミに冷静になる時間が必要だと思うんだ!! だから今は逃げさせて貰う! 言っておくけど誤解だからな、本当に誤解だからな!」


「ッ!? しまった紗楽っ!?」


「きゃッ、吉久君ッ!?」


 二人は脇目もふらず猛烈に走り出す、逃げるが勝ちという言葉がある。

 だからこれは敗北ではない、決して嫉妬や独占欲で嫉妬が怖いからではない。


「ぬおおおおおおおおおおっ、とっ、所でシャラっ!? 僕ら何処へ逃げたら良いと思うっ!?」


「ボクに案がある――――よし今手配したっ、裏門にタクシーが五分後っ!! それまで学園内を逃げ回る!!」


「そうと決まれば校舎の外だっ! まずは表門に行くと見せかけて二手に分かれて教会で合流! その後は散開と合流を繰り返しながらジワジワと裏門へ行くっ、僕も協力してくれそうな人に呼びかけるから――――」


 二人はその後、何とか時間を稼ぎタクシーに乗り込んで。


「待ってました!! これで助かるよ!! 早く出してください!!」


「ああ運転手さん、事前に言った通りに駅へ行って欲しい」


 ドアが閉まり、ほっと一息をいきたい所であったが。

 吉久は致命的なある事に気づき、苦虫を噛み潰した顔で問いかけた。


「…………いやちょっと待ってシャラ? 何でキミってばガスマスクしてるの??」


「違うねよっしー、良く見るんだ運転手さんもだろう?」


「あ、ホントだ。じゃあもう一つ聞いて良いかな?」


「何でも聞いてくれ親友」


「何かガスが出てきてるしさ、ドアが開かないし、車のエンジンは掛かってないし、外では初雪さんが満足そうに笑ってて、兼嗣がすまんって感じで手を合わせてるんだけど??」


「――――子供の名前の案は、ボクらも考えて初雪嬢へ出しておく」


「くっ、謀ったねシャラっ!? 僕をこの年でパパにするつもりかっ!? そ、そんな――――がくっ…………」


 眠りに落ちた吉久に、紗楽は申し訳なさそうに両手を合わせて。


「すまない親友……、こうもしないとカネくんと卒業前に結婚決定で大学に行けなくなるんだよ…………親友を売り飛ばしたボクを後で責めてくれ!!」


 そう、全ては罠だったのだ。

 次に彼が目を覚ました時、そこは見知らぬ和室の座敷牢の中で。


「目が覚めたかね婿殿?」


「――――…………ぁ、ぇ、っ!? り、理事長っ!?」


「ようこそ婿殿、我が一族の屋敷へ」


 牢の外では、彼女の父である一条寺吹雪が申し訳なさそうな顔で笑って立っていたのであった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る