朝ごはん・ラプソディ

ヤチヨリコ

朝ごはん・ラプソディ

 三嶋みしま家の朝はさながら戦場だ。台所の主である曾祖母そうそぼ、トシ江の指令に従って、朝ごはん当番は家族全員分の朝ごはんを作り出す。

 三嶋家の朝はおかずを作らない。味噌汁と漬物と炊きたてのごはん。味噌汁が具だくさんのときは漬物はない。それから、納豆やら豆腐やら家族がそれぞれ食べたいものを食べる。

 土間の台所からは炊きあがった米のにおいがする。

 三男が丁寧に出汁をとり、四男が手慣れた様子で具を用意し鍋に入れて煮込み、五男が不器用な手つきで味噌を溶き入れていく。

 出汁のにおい、味噌のにおい……。ホッとするにおいが家中に広がっていく。


 そんな中、私は部屋から出られずにいた。


ふみー! ふみー!」


 ひいおばあちゃん、ごめん。せっかく作ってくれたのに。


「ダメだな、起きてこねえ」


 ダメだって自分でもわかってるんだ。

 起きたいんだけど起きれないんだよ、兄ちゃん。


「まあ、そういうときもあるよね」


 最近、そういうときばかりだって知ってるくせに。



 私は朝ごはんを食べられない。いつからかはわからないがずっと昔からそうだ。炊きたての米の変な臭い、出汁の悪臭、味噌の腐った臭い……。

 なんだか知らないけど耐えられなくって、朝ごはんの時間はずっと部屋にこもって本を読んでいる。寝起きだからか内容もあまり入ってこないのでボーッとページを見つめている。

 そうしていると、ページの上に文字の小人が浮かんできて本の紙魚しみと泳ぎだす。私も泳ぎたくなってきて布団の中に潜って泳ぐ真似をしていると、いつの間にかお昼の時間になっている。

 毎日それの繰り返しだ。


 それに、いつからか朝ごはんの時間にすら起きられなくなってきた。頭だけは起きてものを考えられるのに、何故だか知らないが体が起こせなくなる。しょうがないから布団の中で冬眠中のカエルみたいにジッとしていると、親兄弟が起こしに来る。それでも起きないからみんな諦めて仕事に行ってしまう。

 だから、私は家にずっといる。学校には行っていない。


 何故だかわからないが朝ごはんが食べられなくって、何故だか知らないが朝に起きられない。何故だか学校にも行けてない。

 自分の体のことなのにわからないことばかりで情けない。


 朝じゃなかったら食事もできる。

 朝じゃなかったら起きられる。

 朝じゃなかったら学校に行ける。

 そう説明しても両親は納得しなかった。

「アレルギーがあるわけじゃないんだから食べなさい」

「病気じゃないんだから朝はしっかり起きなさい」

「いじめられてないんだったら学校に行きなさい」

「それが普通」

「それが当たり前」

 両親は私にずっと言い続けた。そう言わせてしまう自分が情けなくって情けない。

 私にアレルギーはない。病気もない。いじめられてもいない。けど、朝ごはんは食べられないし、朝に起きられないし、学校にも行けない。私は普通じゃないし、当たり前じゃない、ダメな人間だ。


 そう思えば思うほどに、朝ごはんは食べられなくなっていくし、朝に起きられなくなっていくし、学校にも行けなくなってくる。

 八人も兄妹がいれば誰かしらダメなヤツが出てくると兄が貶されたことがあった。私はそれを黙って聞いていたが、どうだ。今は私が八人の中で、一等賞だ。もちろんワースト一位の一等賞。そんなものかと思うほどに、どんどん自分がダメになっていくのを心の奥から理解する。


 兄たちは私の分の朝ごはんを残して仕事へ行く。時たまに父と兄たちが言い争う声が聞こえることがある。父は残さなくていいと言い、兄たちは残すと言っているのだろう。それもまた情けない。


 せっかく残しておいてもらったのに、食べるのは昼。

 今日の朝ごはんはたけのこごはんと具だくさんの味噌汁だったみたいだ。

 たけのこの旨みがごはんに染み込んでいて、また、たけのこのシャキシャキとした食感が楽しい。味噌汁のほうもやわらかくて甘い春キャベツが入っていて、季節が感じられる。

 けれど、冷めたのをレンジで温めて一人で食べるのはどことなく寂しい。

 添えられた「今日は入学式ですヨ!」のメモを見て、涙が出た。


 今年の4月、私は地元の中学に進学した。

 友だちを作れと祖父母にも言われ、「今日ばかりは寝坊しないでね」と両親にも念押しされた。兄たちには「頑張れよ」と…………。


 涙がこみ上げて、ついには自己嫌悪におちいった。

 自分だけのことしか私は考えられなかった。

 学校に行けない。それでいいのか。

 朝に起きられない。それでいいのか。

 朝ごはんが食べられない。それでいいのか。

 親を困らせたいだけなんじゃないのか。

 学校にわざと行かないなんて不良なんじゃないか。

 朝ごはんを食べないのはひいおばあちゃんが嫌いだからなんじゃないのか。

 情けない。情けない。情けない。

 どんどん自分が嫌いになっていく。

 心では大人のつもりだったのに、情緒は子供っぽいままで、それもまた情けない。


 部屋に戻って夜になるまでずっと泣いた。

 そうしているうちに家族みんなが帰ってきた。

 私はわざとなんでもないように「おばんです」なんておどけた。

 みんなは私がなんでもないように見えたのか、いつもどおりに接してくれた。

 入学のお祝いに外へ食べに行こうと言われたけど、入学式にさえ行けなかった自分が行っていいのかわからなくって「行かない」と言ってしまった。

 情けなくって、心がごちゃごちゃになる。

 夜も眠るまで泣いて、次の日もまた朝ごはんが食べられなくって、朝も起きられなかった。


◇◇◇


 春。

 とにかく貝がたくさん出る。炊き込みごはんや混ぜごはんもよく出る。

 アサリの味噌汁。アサリの炊き込みごはん。これは格別。

 新わかめと新玉ねぎと新じゃがの味噌汁、豆ごはんはこの季節の楽しみ。

 担任が家に来て、「学校に来ませんか」と言った。この担任の顔が恐ろしく見えて、夢にまで悪夢となって現れた。学校には行けなかった。


 夏。

 夏野菜がよく登場する。

 夏野菜の入った味噌汁。暑いときは冷や汁が美味しい。

 シソやミョウガが入った混ぜごはんも美味しい。というより、薬味のさっぱりとした味がうんざりするほど暑い田舎の夏の暑さを和らげてくれる。

 漬物も美味しい。祖母が漬けた梅干しは夏の間になくなる。

 世間は夏休みになったようで、高校生の兄二人は家にいることが多かった。兄たちが家にいる日は二人で昼ごはんを食べた。ある日、昨日の晩のカレーを食べたら、三人いっしょに腹を下した。


 秋。

 秋は実りの秋とはよく言うもので、この時期から味噌汁が具だくさんになる。

 秋ナスの入った味噌汁が出ると、ああ、秋なんだなと思う。

 キノコ採りの名人である祖父が腰を悪くしたので今年のキノコは買ったもの。

 さつまいも、里芋の入った味噌汁は絶品だ。

 栗ごはん、さつまいもごはんも美味しい。

 担任が学年主任を連れて家に来て、「文化祭に来てください」と言った。父に行けと言われたので行くと、クラスに連れて行かれて腫れ物扱いのような扱いをされた。よく知りもしないクラスメートと写真を撮らされて、このクラスが嫌いになった。担任も嫌いだし、クラスメートも嫌い。学校にはもう行きたくない。


 冬。

 冬野菜がよく登場する。

 豚汁がよく出るようになる。作る人の個性が出ていて面白い。

 葉物野菜の味噌汁も美味しい。

 白菜漬けは冬が一番美味しい気がする。私はキムチが好きだ。

 味噌汁の鍋が台所に冷めたままぽつんと置いてあって、何故か悲しくなった。

 冬休みに入るので、学年だよりが家に届けられた。文化祭のときに撮った写真にクラス全員が仲がいいという印象を受ける文章が添えられていて、ますますあのクラスが嫌いになった。



 昼に朝ごはんを食べていると、なんとなくわかってくることがある。

 曾祖母はボケてきて、曾祖母が作ったものは味にブレがある。

 祖母が作る漬物の種類が少なくなってきているのは年齢のせいだろう。

 祖父は料理下手で、祖父が切った野菜は大きさがバラバラですぐにわかる。

 両親は忙しくて朝ごはんは作っていられないのか、担当の日は菓子パンが多い。

 兄たちが喧嘩した日は朝ごはんはない。


 別に私だけがダメなわけじゃない。

 ごはんを炊くのだって誰かが失敗して、ごはんが臭くなっているときもある。

 味噌汁だって美味しい日と美味しくない日、不味い日がある。

 菓子パンだって食卓に上がるし、なければ自分で昼ごはんを作ればいい。


 でも、このままじゃダメなのはわかってる。

 曾祖母、祖父母はいつかは亡くなる。

 両親からもいつかは独り立ちしないといけない。

 兄たちともずっといっしょにいるわけにはいけない。


 だから、冬休みの間、台所に立つことにした。もちろん、朝じゃない。

 昼ごはんと夕ごはんを祖母に教わりながら作ることにした。

 当然、散々失敗した。米を研ぐときに洗剤を入れてしまったり、出汁をとらずに味噌汁を作ってしまったり、酷いときには味噌汁の鍋から目を離して鍋を焦がしてしまちゃこともあった。

 今までやってこなかったのだから当然だ。それでも自分ができないことが情けなくってしょうがなかった。



 大みそか。

 年越しそばを作らせてもらえることになった。……とは言っても、乾燥麺を茹でるだけなのだけれど。それでも、認められたような気がして嬉しかった。

 天ぷらを作る兄の隣で肩を並べてそばを茹でた。

 年越しそばは特別に美味しくて、初めて自分で自分を認められたような気がする。

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