彼方なるハッピーエンド

青条 柊

『終わらない終わりはありますか?』

 例えば、とある高校に文化資料室という名前の部屋があったとしよう。

 その部屋で活動をしている文芸部があったとしよう。

 文芸部の部員は二人だ。

 別に太っていないし、眼鏡でもないが、なんとなく雰囲気に面倒くささを醸し出しているオタクかなという感想を覚える男子と、おそらく他者を鑑みることよりも自分の中の世界に没頭するのが好きなタイプの読書家だろうというメガネを付けた女子の二人組だ。

 一応男子は二年生で部長だ。この春に三年生になる。

 女子の方は一年生で、副部長兼書記だ。会計は部長の男子が兼任している。

 

 うららかな春の午後、学年末考査が終わった日の放課後。

 顧問に部活しますと伝えれば部活という名目で読書をしていられる。

 どちらが部活をしようと言い出したわけでもなくテストが終わったしあるのだろうと適当に部屋を開けて入ったら揃ったというだけだ。何かしらの用事がありどちらかが来れない時は一人で本を読んでいるし、どちらも用事があればやらないだけの緩い部活だ。

 主な活動は図書室にある蔵書の書評を書くか創作活動に励み部誌を配布するかと言ったところだ。

 そのペースも部誌の配布は半年に一回と言ったところで、割と楽なものだ。

 書評などは暇なときにやっているだけである。

 十月の文化祭と四月の新入生歓迎祭の時に部誌は出すもので、四月に出す部誌の内容はもう作り上げ終っているので暇なものだ。

 雑誌上に整えるのはもう少し先でいいし。

 

 文化資料室は上履きを脱いで入る畳敷きの部屋である。

 創立98周年を迎えるこの高校の特徴としていろんな部屋が畳敷きなのだ。

 授業を行う教室や理科実験室、職員室などは畳ではないのだが、生徒会室や保健室、校長室は畳なのだ。書道室や運動部の部室、資料室や図書室も畳敷きなので、当然文化資料室も畳敷きだ。

 この文化資料室は部屋の両側の壁に学校や地域の文化についての資料が並ぶ大きな書架が置いてある。その間になぜか座布団に座るタイプの足の低いテーブルがある。そこで資料を読めと言うことなのだろうが、寡聞にして文芸部の部員は両方資料を読むために入っている人間を見たことがない。

 一応二人とも資料の大半に目を通しているが、それは秋に暇だからという理由で読んだだけである。

 実は今学校にいる中で一番学校の歴史に詳しいかもしれないなどというのは言い過ぎか。実は言い過ぎではない。公立なので。教師には異動があるのだ。

 

 女子は背筋を伸ばして座布団の上に正座し、カバーを付けた新書を読んでいる。天板の下に足を入れるのを躊躇うのか、体とテーブルは少し離れた位置で静止している。

 男子の方はというと、女子の座る側とは反対側の部屋の隅で窓の桟に頭を付けてもたれかかっている。こちらは右足を曲げ、左脚を大きく伸ばした完全にだらけた格好である。

 構図だけ見れば明らかに真面目と不真面目、優等生と問題児といった様な格好だ。この高校が私服登校を許可しているのもこの印象に一役買っている。模範となるかのようにぴっちりと制服を着こんだ女子とジャージのズボンに灰色のフード付きスウェットを着た男子ではそうなるのも仕方なし。

 男子が読んでいるのはハードカバーの大きなラノベだ。

 

 三寒四温のうち、今はあたたかい方の周期であるという陽気の下でのんべんだらりと過ごす二人のいる文化資料室はぺらりぺらりとページをめくる音しか聞こえない。男子の方は流し読みなのか速読なのか手の動きが多いが、女子の方はゆっくりしている。

 しかし、どうも女子の方が早く読み終わりそうだ。

 男子の方は文化資料室に入ってから読み始めたのか半分以上のページが残されているが、女子は途中まで読んでいたものを読んでいるようでもうあと数ページと残っていない。

 窓の外では運動部の練習の声が聞こえ、春を告げる鳥たちが鳴き、道路を走る車の音が響いている。扉を開けば、すぐそこの音楽室から吹奏楽部の音色が届くだろう。だが、閉め切っている部屋の中はいやに静かに感じる。部屋の中由来の音が極めて少ないからだろう。

 

 ぺらり、と女子の本をめくる指が止まった。

 丁寧に最後のページまで読み切ると、音もたてずに読んでいた本を閉じた。その本を鞄にしまい、一つ息をつくといそいそと座布団ごとテーブルに近づき、組んだ両手を天板の上に置いた。

 「終わらない終わりはありますか?」

 男子の方を捉えるでもなく、視線は組んだ両手の中心を見るようにうつむきながらぽつりとつぶやいた。

 

 「先ほど読んでいたもの、言葉の非絶対性についてのものなのですが、大半の言葉には矛盾するものが存在するというのです。……私にはよくわかりませんでした。物質と自然的な現象を表す絶対性の存在する言葉を除くすべての相対的な言葉は矛盾するものが発生するそうです。例に挙げられていたのが反応しないという化学反応。反応とは何かしらのリアクションを返すことを説明する〝言葉〟だというのに反応しないことも化学反応に含めてしまえるというのです。特に訳が分からなかったのは、『始まらないという始まり』というフレーズです。始まらないことによって始まることもあるという説明のみされていましたが、何を言っているのでしょうと思ってしまったのです。ただ、それは並行世界理論のものを読んでいた時に、何かが起こる世界と起こらない世界で二つに分かれる。よってすべての事象においてそれが確率的に発生した時、世界の数は無限になるという文章があったことを思いだして納得は出来なくもないのです。

 ですが、終わらない終わりというのは存在しないのではないでしょうか。確率によって発生する選択肢が始まらない始まりという謎を生み出すのだと百歩譲って理解しましょう。それでも、終わりは確率に支配されているのかというとそうではないと思うのです。終わりとは明確な発生をもってのみ存在する事象だと思います。終わりをどこに取るかは可変ではありますが、終わらないという終わり方はそれは未だ続くということで終わっていないではないですか。

 なので私に教えてください、部長。

 

 ―――『終わらない終わりはありますか?』」

 

 ゆっくりとスライドするように女子の顔がそちらへ向く。

 窓際で、女子が喋り始めてからも委細我関せずと読書に邁進していた男子の方へ。

 ああ、面倒だと言わんばかりの渋面を作り、眉間に皺が寄ったまま、竹細工の栞を読みかけのラノベに挟んだ。

 立ち上がり移動したかと思えば、女子の正面に胡坐をかいて座った。

 ラノベをまるで聖書でも、聖典でも扱うかのようにテーブルの上に優しく置くと、女子と目線を合わせた。

 

 「後輩。何で俺に聞く。自分で考えろ、と言いたいところだ」

 まるでやさしくない。が、それだけでもないことを知っている女子――後輩は男子――部長に対して反駁すべく口を開こうとした。しかしそれには及ばないと人差し指で後輩を指した。

 「だが、てめぇなりに考えて俺に聞いたみたいだから答えてやるよ。――終わらない終わり?いくらでもあるよ」

 三白眼と言うのかほんの少し悪そうな印象を植え付けるその目を更に細くして答えた。突きつけていた人差し指を自分がそれまで読んでいたラノベに向けると、立て板に水とばかりに喋りだした。

 

 「俺みてぇなオタクに取っちゃあ終わらない終わりっつーのはごく身近にあるもんだ。俺たちが嗜む様な作品の中にあふれんばかりにあるんだよ。…例えばこいつはエタってる。ああ、エタるってのがどういう意味か分かんねえか。eternal――永遠っつー意味の英単語は分かるよな?それをもじった言葉でな。基本はウェブ小説の更新がされなくなっちまうことを言うんだ。そう言うのはすでに終わっているけども終わりは見えてない。俺たちが終幕を見ることが出来てないんだ。こういうのは言うなればエンドロールに到達しない映画だ。読者はそれを恐怖し、好まない。だが、有名じゃない、売れてない、反応が得られない、そんなありふれた理由でモチベーションが失われる作者ってのはいくらでもいるんだ。俺たちは短編しか書いてないけどもそれでも作者の端くれではある。だから分かるはずだ。自分で書いた小説に希望が持てなくなる、書くことがなくなっちまうってのは。俺なんかは一年の夏に何書けばいいか分からなくなってカブトムシ視点の人間観察日記なんて迷走したこともある。……なにそれ読みたいみたいな顔すんな。それはいいとして、そういうスランプやモチベの低下なんかでエタる作品こそ終わらない終わりと言えるだろうよ」

 

 後輩は部長の朗々とした語り口を聞ききってもなお不思議そうな顔をした。それに気づいて部長はほんの少し嫌そうな顔をした。

 経験として知っているのだ、彼は。

 こんな顔をするとき彼女は最初の質問とは異なる疑問を抱いた時だということを。

 

 「終わらない終わりというのが存在していることは理解しました。確かに打ち切りになった連載小説などは終わらない終わりと言えますね。ですが、…そのエタる?という状況になるというのが嫌い、ではなく好ましくないなのはどうしてですか?それに部長自身はあまりエタることについて悪感情を抱かれていないようにも思います。作者視点なども語って擁護するようなことを言っているのですから、何か理由があるのですか?」

 

 ぱん、と額に手を当てて天井を見上げる仕草を取った部長ははぁ~、と大きくため息を吐いた。それはもう深い深い溜息を。

 丁度外ではチャイムが響く。五時だ。

 本来この文芸部の活動は五時半までとしていて、五時ごろから感想などの時間とすることが多い。

 もうそんな時間か、と夕焼け空をちらりと見ると背筋が伸び、もとの体勢に戻った。

 「俺はエタることに恐怖を抱いている。だが、読者としても作者としても嫌悪をしていない。諦めのいい方で性格的にあまり執着しようと思ったことがないからかもしれないが、途中で放り出してしまうことが良くある。この恐怖というのはあれだ、最後まで読めなくなってしまうことへの恐怖だ」

 「そうなのでしたら、何故嫌悪しないのですか?」

 「そう急くなよ。これは俺の持論になるし、他者に押し付けようとは一切思わないことだが、エタってなお楽しむことが出来るというのが一流の読者だという信条がある。俺は本来読者だ。作者側の人間というには才能の限界が全く足りていない。ただ自分が読みたい妄想を垂れ流す上に作品自体の完成度も微妙な作者に過ぎず、同じような小説があるのなら喜んでそちらを読むだろう。だからこそ言える勝手な意見だが……俺は〝次〟を妄想することに小説の楽しみがあると思っている。次はどうなるのか、次の瞬間にどう変われば楽しいのか、そう来るとは思っていなかった次も楽しみだ。こういう感想が与えられる小説をこそ読みたい。短かろうが長かろうが、そのストーリーの中でどんでん返しが起きたり、それとは逆に大山鳴動して鼠一匹と言う様な有様になるものだったり、というのをこそ楽しみたい。……今は小説と限定したが、小説に限らず、いかなる作品――創作物であろうと〝次〟の妄想、そしてそれとの乖離を見るという楽しみは存在しているだろう。アニメだろうが音楽だろうがそうだろう。そして次が見れるというのは自分の妄想との答え合わせがされるということだ。お前はテストが帰って来るまでの間、今まさにそうだが、点数はどうだろうかと不安に思いながらこんなに良い点数だったと自慢できるような妄想をしたことはないか?百点を取れたと、学年で一番だったと。それと同じだ。答案が帰って来て答え合わせがなされるまでは全て自分の想像の元に作品は躍る。完結したということは、一度終わってしまったということは、それ以上の広がりは存在しないんだ。二次創作という方法で妄想をひろげることは可能であれど、それが答え合わせされることはない。例えるなら完成された城の中のアンティークを飾り付けることは可能でももはや城に見たことのない部屋は無いという状況になってしまう。だが、完成されていなければ?

 ――俺はそこに自由を感じる。エタってしまった。その悲しさは、虚しさはあれども己の妄想が果てしなくなるという大草原に放り出されたような感覚にもなる。完結された方が美しく、楽しめることは確かだ。

 だが完結していない、それこそハッピーエンドが彼方にある様な作品を、己の手で、引き込むのを楽しめたなら、この世に星のようにある作品たちの全てを楽しむことが出来るんじゃないか?

 傲慢で頭の悪い屁理屈だろうが、これが俺の考えだ。

 終わらない終わりを得た作品のエンドロールを近づけるために。『彼方なるハッピーエンドを楽しめる読者でありたい』」

 

 語るべきことは語ったと胡坐をといて立ち上がる部長を見上げる。背中は何も語らない。後輩は知っている彼が持論を強固に持つ類いの人であることを。

 部長は偉大な先輩というには俗的過ぎるひとだが、面白い先輩であることに否やはない。

 

 とある一日放課後の終わりに向けて吹奏楽部が輪をかけて音を奏でている。

 文化資料室を出て鍵をかけ、職員室へと鍵を返しにむかうとき、後輩は少し振り返って変哲もない扉を見る。斜めに入ってくる黄昏の模様が彩るその扉は何となく美しい。

 彼女も持論を持っている。

 人生も一つのストーリーであり、人生を生きる全ての人は創作者であるというものだ。

 ――部長はさっき言っていた。すべての作品は次を想像することを楽しむことが出来ると。

 

 未来は分からない。いきなり大好きな小説の続きが読めなくなるかもしれない。急激な変化が起こり予想だにしなかった立場に立たされるかもしれない。

 それでも未来を妄想し、空想して可能性の種を潰さないでいることは出来るだろう。

 肩掛け鞄の持ち手を両手でしっかりと握り、彼女は少し微笑んだ。

 光の入っていない廊下を進む部長に追いつこうと足を出す。

 

 ――願わくば、私のハッピーエンドは彼方にはありませんように。

 次の作品は恋愛小説にして部長に読んでもらいましょうか。

 

 春の陽気に、彼女の声は消えていく。

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