二頭竜の殺し方

ヤミヲミルメ

二頭竜の殺し方

「とうとうオイラたち二本だけになっちまったね、ヤードラ兄さん」

 末弟のコードラのつぶやきに、オレは「ああ」とだけ答えた。

 ヒカリゴケがほのかに照らす洞窟の、じっとりとして淀んだ空気。

 自分たちで選んだ、自分たちの種族にとって心地よいはずの棲み家が、今は気分を余計に沈める。


 最初に死んだのは長兄のヒードラだった。

 もっともオレたちの中での兄か弟かとは、人間のように生まれた順で決まるわけではない。

 オレたちは九本の首と一つの胴体を持つ、一匹のヒュドラ。

 九つの頭が別々の動きを望んだときに、体を支配する力が強い順を、兄弟の順としている。

 コツがあるのか神経の配線でどうしようもないのか、兄弟の順位が低い首には試すチャンスも練習するチャンスも回ってはこず、幼いころに一度だけ競争を許されて、オレが八番目、コードラが九番目に決まったきりだ。

 とはいえ長兄ヒードラの力は圧倒的で、だからこそ前足を支配して、誰よりも早く自分の頭の周りの卵の殻を割って生まれ出ることができたのだろう。

 そんなヒードラと、さらに六本の兄たちと、過ごした数日前までが、はるか昔のように思える。



 麗しきチャーミアは、黄金の檻の中で銀の鞘を抱いて眠っている。

 人間がオレたちを恐れ、差し出した生け贄だ。

 チャーミアがこの洞窟を訪れるまで、オレたちは人間どもの集落に、悪逆非道の限りを尽くしていた。

 金も銀もオレたちが人間たちから奪ったものだし、命も暮らしも遊びで奪った。


 ……人間の女を美しいと感じたのは初めてだった。

 彼女を食料にするなんてとんでもない。

 九つの頭が同時に恋に落ちたのが、共有する心臓を通じて全員に伝わった。


 チャーミアは、九つもの魂と同時に婚姻を結ぶくらいなら死ぬと叫んで、オレたちが意味なく集めてきた財宝の山の中から、宝石で飾られた短剣を手に取った。

 そもそも食い殺される覚悟で、自ら檻に入ってここまで運ばれてきた女だ。

 ただの脅しなわけがない。

 オレたちは必死でチャーミアをなだめ、九本の首のうち彼女にふさわしい一本が決まるまでは決して彼女に手を出さないと誓った。




 最初に死んだのは長兄のヒードラだった。

 黄金のスイカを独り占めしようと丸呑みにして、喉に詰まらせて窒息した。

 ヒードラが、チャーミアの前で弟たちを虐げることで自分が一番強いとチャーミアに示そうとしているのだとわかっていたから、ヒードラが苦しむ様子を八本の弟はゲラゲラ笑いながら見ていただけで、誰も助けようとしなかった。

 ヒードラが本当に死ぬとは、少なくともオレは思っていなかった。


 死んだ首を引きずることの気持ち悪さに耐えかねて、残ったオレたちはヒードラを根もとから切り落とし、傷口を火で焼いて塞いだ。

 魔物には埋葬の風習はない。

 喰える死骸ならば喰うし、喰えなければ打ち捨てる。

 だがこのときは、チャーミアが見ている手前、沼に沈めて弔いとした。

 人の風習に従って祈りを捧げるチャーミアの姿は、見惚れるほどに美しく、オレもほかの兄弟も、もっと見ていたいと思った。


 体の主導権は次兄のフードラが握った。

 次の日、四兄のヨードラが死んだ。

 フードラが、体を動かす練習と称して岩山を飛び回り、大岩と大岩の間のわずかな隙間を通り抜けようとした際に、ヨードラの頭が岩に思い切りぶつかったのだ。

 直前にオレたちは、このところ毎日のことではあったが、チャーミアを巡り口論をしていた。

 ヨードラの口が悪いのもいつものことだった。

 ただ、いつもなら一番悪く言われるのはヒードラだったのが、ヒードラがいなくなってフードラに変わっていた。

 フードラは「わざとじゃない」とくり返したが、誰もフードラを信じなかった。

 オレたちは話し合い、六本の首で力を合わせてフードラ一本を噛み殺した。


 こうしてトップになった三兄のミードラは、終始オドオドしていた。

 ヨードラが死んで、このままでは自分たちもフードラに殺されると脅えて弟たちを焚きつけたのは間違いなくミードラだったが、いざトップになってみると今度は自分がフードラのように殺されるのではと脅えはじめた。


 ミードラは三日三晩、一睡もしなかった。

 眠っている間に殺されることを怖れたのだ。

 眠るまい眠るまいと昼夜を問わず洞窟内を歩き回り、おかげで弟たちも眠れなかった。

 自分が眠らなければチャーミアの寝顔を見ていられる。

 それ自体は嫌ではなかったが、どうにか自分だけこのミードラの支配する体から抜け出して、チャーミアのとなりで眠れないものかと夢想しもした。


 オレがいつ眠りに落ちたのかはオレ自身にもわからないが、目を覚ますと五兄のイードラが血を流して白目を剥き、イードラの首にはミードラが噛みついており、そのミードラに今まさに六兄のムードラが噛みつこうとしているところだった。

 ミードラは「イードラがボクを殺そうとしたんだ」と叫んだ。

 ミードラは嘘をつくようなやつではなかったが、被害妄想か、夢でも見たのかもしれない。

 ミードラを罰したい。ムードラを止めたい。二つの気持ちが同時に湧いて、オレたちは乱闘になった。

 イードラが手遅れになるまで誰もイードラを手当しようとしなかった。


 ミードラが死んだとき、なぜか七兄のナードラも死んでいた。

 いつの間に誰がやったのかはわからない。

 残ったのはムードラと、末弟コードラと、八兄のオレ。

 足が四本にしっぽが一本の合計五本の主導権をムードラが握っている。

 ムードラはもともと短気で喧嘩っ早く、それでいて六兄では体を主導できる機会はなかなか回ってこず、いつもイライラしていて陰気なやつだった。

 今ならムードラだけでオレとコードラ二本を殺せる。

 そのことにムードラが気づく前に、オレとコードラで目配せを交わし、ムードラを噛み殺した。


 こうして体の主導権はオレのものになった。

 コードラを殺そうと思えばいつでも殺せる。

 いや、今のうちに殺しておかないと、オレが眠っている間にオレのほうがきっと殺される。

 だが今すぐは駄目だ。

 ミードラ以下五本にコードラを加えた六本の首の屍を、オレ一本で処理したくない。

 オレはどうにかコードラをなだめすかした。

 そもそもオレたちが争わなきゃいけない理由って何だったんだ。

 ヒードラの死は事故だったが、途中で助けようとしなかったのはチャーミアのことがあったからだ。

 フードラもミードラも。

 チャーミアさえオレたちの前に現れなければ……

「全員の埋葬が終わったら、チャーミアを人間の里へ返そう」

 オレの心にもない言葉にコードラがうなずくのを、内心でほくそ笑み、同時にオレは腹を立ててもいた。

 この野郎、この程度にしかチャーミアのことを好きじゃなかったのか。

 そんなんでよくもオレと張り合いやがったな。

 まあいい。これでオレはコードラを殺すのをためらわなくて済む。


 コードラと手分けして、死んだ兄たちの首を落とす。

 いかにヒュドラの牙といえども、同じヒュドラの首を骨まで噛みちぎるのは厳しく、コードラは、どこで拾ったかももう覚えていない、伝説の勇者とやらが隠した光の剣を口にくわえて振るう。

 オレは口から吐く火で傷口を焼いていく。

 光の剣は、ヒードラを切り落とすのに使ったあと、しまうのも面倒くさいなと思っているうちにフードラ、ヨードラの血で汚れ、洗いもせずにミードラたちに使っているので、さすがに脂と刃こぼれで切れなくなってきている。

 そんな剣で口をふさいでいるので、今のコードラはオレに噛みつくことも火を吹くこともできない。

 コードラがナードラの首を切ろうと夢中になっている隙に、オレはコードラ目がけて前足を振り上げた。


 次の瞬間、オレの後頭部をオレのしっぽが打ちすえた。

「やると思ったぜ、ヤードラ兄さん。いや……末弟ヤードラ!」

 オレの二本の前足がオレの首を踏みつけ、オレの全体重をかけてくる。

 ここまでされてようやくオレは、この体の主導権がオレにはないと気がついた。

「ずっと待っていたんだ。いつかこの日が来るって。子供のころに競争したの、覚えてるか? オイラたち兄弟の順番を決めたとき。オイラ本当は三兄ぐらいに入れてたんだぜ。でもな、わざと負けたんだ。三兄じゃいざチャンスがきたときに、ミードラみたいな死に方するってわかってたからな。だから一番安全な最下位について、バカどもが自滅したあとに一番のバカが油断するのを待ってたんだよ」

 コードラがくわえた光の剣が、オレの右目に突き刺さった。




「やっとふたりきりになれるのネ」

 すぐそばで聞こえたチャーミアの声。

 だけどそれはオレに向けられたものではない。

「ワタシ、最初からずっと、あなたのことが好きだったノ」

 いつの間に檻から出たのか、チャーミアは人間らしく宝石で体を飾り立てていた。

 頭につけた、大きなかんざしが二本……人間の美的センスはわからない……だがチャーミアならば何を身に着けても美しい……

 チャーミアが自害用の短剣を投げ捨ててコードラに駆け寄り、コードラの口もとがだらしなく緩んで光の剣が落ちる。

 チャーミアの、抱擁を求めるがごとく広げられた両腕は、引き抜かれた二本のかんざしをそれぞれに握り、かんざしはコードラの両眼に突き立てられた。

 コードラの絶叫が響く。

 それはかんざしではなく突剣だったのだ。

 やはり人間の装身具はわからない……

 時間が流れてオレの視界が暗くなり、チャーミアの姿が消えていく……

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