うさぎぱんだっく

湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)

なんちゃって北京ダック

 北京ダックが好きだった。

 正月にばあちゃん家で食べるオードブルのど真ん中にいたそれは、一番の人気モノでもあった。

 正直、今となってはそれが本当にアヒルだったのかは分からない。

 もしかすれば、ニワトリで作ったもどきかもしれない。

 けれど、そんなことはどうでもよくて。

 ただ――北京ダックと呼んだ、皮で皮を包むアレが好きだった。


 お年玉をもらうのは苦手だった。

 正月くらいしか会わない親戚に、ありがとうと頭を下げて回るのが億劫だった。

 もらったからとそれを開けて、いくらだったと口にすれば母ちゃんに怒られるのも苦痛だった。

 お年賀のやり取りだって面倒の塊だ。

 けれど、どれだけネガティブな感情を抱いても、そこに行く足取りは毎度軽い。

 その理由は――北京ダックを食べたいからだ。


 ばあちゃんが死んで、そんな正月もなくなった。

 ばあちゃんは、一族を包みまとめるバオビンだった。

 死んだらもう、何もかもばらばらだ。

 北京ダックはもちろん食べられない。

 あんな高価な料理が普段の食卓に上がるはずもなければ、そういう店に連れて行ってもらえるでもない。

 そりゃあもちろん、そこまで食べたいのなら自らそういう店に行けばいいのだ。

 けれど、足は向かなかった。ドレスコードなり、作法なり――高級店でのなりふりが分からない。否、そもそも学生がふらりと行くようなところでもないのだけれど。

 ばあちゃん家の邪魔くさいほどに大きな座卓に乗せられたオードブル。

 それを取り囲むのは、程度に差はあれ、血の繋がった者ばかり。

 味噌だれが垂れようが何しようが、母ちゃんに怒られることはあっても、遠く未来まで引きずるほどに恥ずかしい思いをすることはなかった。

 店に行くとなれば、話は別。何かしでかしてしまわないか。そんなことを気にしたままアレを食べたところで、ばあちゃん家で食べたように美味しいと笑える自信は、正直ない。


 正月は実家で過ごすようになり、お年賀のやり取りも自然消滅した。

 面倒ごとはなくなったけれど、何とも寂しい年末年始になったものだ。

 おせちはあっても、ここにはオードブルも北京ダックもない。

 お年玉なんて、親が預かると言ってもともと使わせてもらえていないから、貰えなくなったところでダメージはない。

 ただ、つまらない年末年始を、グダグダと無駄に消費するだけ。


 もうすぐ冬休みが明けるという時、急に妹の優里亜が言った。

「ねえ、お母さん。北京ダック食べたい」

 驚いた。優里亜もアレが好きだったとは思わなかった。

 母ちゃんに、二人でお願いしてみる。

 けれど、返ってきたのは予想通りの一言だ。

「そんな高いもの、無理」

 諦めるしか、ないのだろうか。


 俺の反抗期なんて大したことなかった。

 反抗してやろうと思ったら返り討ちにあって、そのままだ。

 けれど、優里亜は違う。

 同性のくせに、なんて言ったら失礼なのかもしれないが、とにかく母ちゃんとバチバチやっている。

 あまりに取りつく島もなかったのが、よほど気に食わなかったらしい。

 どこかへ出かけたかと思えば、鶏肉を買って帰ってきた。


「高いから無理っていうなら、安く作ってやる」

 俺にはこのやる気の出し方がよく分からない。

 女の子ってこんなものなのだろうか。

 けれど、少しワクワクした。もしかすれば、気楽にまた。皮で皮を包んで食べられるかもしれないのだ。

 コイツは割と器用だから、きっとうまいこと作るだろう。


 さすがに丸鶏はハードルが高かったらしい、皮つきのもも肉に下拵えをして、水飴だか何だかをベタベタと塗ってオーブンに入れる。

 趣味と親がいない時に料理をする程度の素人の調理風景など面白くはないようで、けれど年始の訳の分からない特番よりは見ていて楽しいと思った。

 黒い窓の向こうで、音を立てる鶏。

 ピーピーと鳴いたオーブンの扉を開けば、そこには焦げ目がついてパリッとした皮。

 正直、もうこのままローストチキンとして食べてしまいたいほどに美味そうだ。


 味噌だれは市販品で乗り切るつもりだったらしい。鶏が焼けたと優里亜は満足げに笑う。

「で、皮は?」

「焼けたっしょ?」

「違う違う、皮の皮だよ」

「……あ」

 ダック――この場合はチキンだが――に気を取られすぎていたらしい。忘れられていたバオビン。

「小麦粉捏ねて、伸ばして焼けばいいっしょ?」

 もっともだ。けれど、

「今から焼いたらこのパリパリの皮がシナシナになりそうだな」

「北京ダックって皮パリパリだったっけ?」

「ばあちゃん家のは時間たってたからシナってたかも」

「じゃあ、別に今から皮焼いてもよくない?」

「えー?今ここにパリパリの美味そうな皮があるのに、シナシナになるのを見ていろと?」

 優里亜の顔がぷうと膨れた。

「もう、何なのよ!じゃあ、もうローストチキンってことで味噌だれかけて食べる?」

「えぇ、もったいない。なんかいい案ないの?シェフ」


 優里亜は面白いほど煽てに弱い。

 シェフとか言ってやれば、やる気と思考が少しは戻る。そんな、単純でかわいいやつなんだ。

 最近は、彼氏がパン好きだからって自分でパンを焼きだした。

 友達に配り「美味しい」と言われてやる気を出して、ネコの肉球の形にしたクリームパンを配れば「スゴイ!カワイイ!」の大合唱で調子に乗った。

 そうやって、煽てをパワーにぐんぐん芽を出し成長していく、可愛い自慢の妹。

 今では、パン屋さんに行くくらいなら優里亜にお小遣いを渡して焼いてもらいたいと思うほどに上達した、エプロンが似合う自慢の妹。


「あああ!」

 突然、優里亜が頭を抱えて叫んだ。

 最近買ったというウサギの形に焼ける食パン型。何度も何度も失敗をして、ようやくキレイに焼けたという一斤とにらめっこをしている。

 なんでも、彼氏にプレゼントしようと頑張った努力の結晶らしい。

 あまりに眼光鋭くそれを見るから、なぜだか俺までウサギを見つめてしまった。

「ど、どうした?」

「食パンを薄く切って、麺棒で伸ばしたら使える気がする。けど、嫌だ。やっときれいに焼けたウサちゃんなんだ。彼にあげられないだけじゃなくて、顔をつぶすなど……」

「じゃあ仕方ない。パリパリのローストチキンをいただこう」

「待った待った!完全に口が北京ダックなの!」


 泣く泣くウサギにパン切り包丁を入れる。

 薄く切ったそれを、麺棒でつぶし伸ばした。

 フワッフワの毛並みだったウサギは、ベッタベタに真っ平でふんわり感ゼロのバオビンもどきに早変わりだ。

「いでよ!ネギ!」

 やけくそ感を漂わせながらも、ネギを白髪ネギに進化させれば、それっぽさが出てきた。

 潰されたウサギにパリパリの鶏皮とネギ、味噌だれを乗せれば、何とびっくり――なんちゃって北京ダックだ。

「「おおお!」」

 もう二度と、優里亜とこんなことをする機会は来ないんじゃないだろうか。そう思ってしまうほど、キラキラと輝く笑顔で手が痛くなるほどのハイタッチをひとつ。


 頂きますと手を合わせて、食らいつくもどき。

「うま」

「さすがアタシ」

「んで?料理名は?」

「北京ダックでしょ?」

「ダックどこにもいないし、この味噌だれ、名古屋のやつ」

「じゃあ、名古屋チキン」

「跡形もないな」

 優里亜の頬がまた、ぷうと膨れた。

 かわいい目で、睨まれる。

「うさぎぱんだっくでどうだ!」

「……は?」

「うさぎぱんの皮でダックの皮を巻いてるから、うさぎぱんだっく!」

「いや、だからこれチキンだし。それを言うならウサギパンチキンじゃないの?」

「うるさい!バカ康太!」


 結局、名古屋チキンは優里亜の提案通りに「うさぎぱんだっく」という名前に落ち着いた。

 ちなみに、可愛いから、という理由で書くなら平仮名らしい。

 何となくハマってその後も何度か作ってもらったけれど、ウサギパンは手間がかかるからって、途中から何の変哲もない四角い食パンを使いだした。

 挙句の果てに、呼び名は「ぱんだ」に省略。優里亜が言うには、北京ダックは中華料理なんだからこれでいい、らしい。


 今日も今日とて、ぱんだを食べる。

「ちょっと腕上げたな」

「でっしょー?」

「んで、彼とはどうなの?」

「ん?ふつー」

 かぶりついた口、周りに味噌だれを付けたまま、間抜けな顔をして優里亜が言う。

 その様が変にツボに入ってしまって、ゲンコツまで美味しくいただく羽目になった。

「お前、将来良い嫁さんになれると思うぞ」

「えー、アタシ婿欲しい」

「は?」

「苗字変えるのめんどくさ」

「そんな理由?」

「……まぁ、今の苗字好きなもんで」

 母ちゃんとはバチバチやっている割に、俺にはこんな笑顔を見せてくれるんだな、なんて勝手にうれしくなる。

 苗字が好き、か。

 彼の苗字、今の苗字よりもお前に似合っている気がするけれど。

「今度さ、」

 まだ味噌だれを口端につけた可愛い奴が言う。

「ばあちゃんのところに持って行かない?ぱんだ」

「お、いいね。一番でっかい弁当箱に詰めていこう」

「じゃあ、その時ばあちゃんに相談しよ」

「ん?」

「苗字、どっちがいいと思う?って」

「……お前、マジで結婚決めてるの?高校生で決めるとか、早くない?」

「夢見るだけなら自由でしょ?いいじゃない、別に」


 すっかり上手に焼けるようになった、ウサギパン。

 ばあちゃんに持って行くなら正規品をとわざわざ焼いて、フワッフワのそれをベッタベタにつぶす。

 せっかくのパリパリが持ち運ぶ間にシナシナになってしまうのは致し方のないことだ。ばあちゃんはそれくらい、きっと許してくれるだろう。

 墓石を拭き、線香をあげ、弁当箱を広げて、組み立てる。

 名古屋のたれではない、自作の味噌だれでウサギに描く、パンダ。どうせ見えなくなる自己満足の絵だ。その上に、シナシナの皮とネギを乗せて、巻く。

「これぞ正真正銘、うさぎぱんだっく!」

 掲げ、ドヤ顔を決めた優里亜は、ばあちゃんに語りかける。

「ばあちゃん、アタシは大丈夫。康太にいい女見つかるように、見守ってやってね!」

「ちょいちょい、なんかおかしい……」


「あれ?康太と優里亜?」

 名を呼ばれて声の主へと視線を動かせば、そこには父ちゃんの兄ちゃんがいた。

「どうも、お久しぶりです」

「墓参り来てくれたんか。ありがとうな」

「ばあちゃんに康太にいい女見つけてやってってお願いしに来たんですよ。ほんと、彼女出来ない奴で」

「おいおい、だから――」

 伯父さんは近づくなり、弁当箱をじーと見つめる。

「北京ダック……じゃあないな」

「ふふふ、アタシが作ったんです。北京ダックもどきのうさぎぱんだっく」

「え、優里亜が作ったんか。料理上手だなぁ。母ちゃん……君らからしたらばあちゃんか。北京ダック好きだったから、喜んでいるよ。きっと」

 墓石を見つめ微笑む伯父さんの瞳は、どこか違う世界を見ているようだった。きっと、ばあちゃんと会っていたんじゃないかと思う。

「伯父さんも食べます?」

「あぁ、ひとつ頂こうかな」

 ばあちゃんが好きだったという北京ダック――ではないけれど。うさぎぱんだっくが血の繋がる俺らを、笑顔でも繋いでくれた。

「優里亜、味噌だれついてるぞ」

「あはは、お行儀悪いの恥ずい~」

「まぁ、言うてもばあちゃんと伯父さんの前だ。気にせんでええよ。美味しく食べるのがいちばんさ」

「伯父さん、いいこと言う~」

 やっぱり、ばあちゃんはみんなを優しく包んで繋いでくれる、温かくて優しい――バオビンだ。


 ばあちゃんも食べてる?うさぎぱんだっく。

 優里亜、すごくいい女になってるんだぜ?

 俺は……相変わらずだけどさ。



   †



 それから、命日に近い休日は、毎年親戚が集まってわいわいと語らいながらうさぎぱんだっくを食べるようになった。

 別に強制されたわけでもないのに、よっぽどのことがない限り、みんな来る。

 親戚付き合いがひどく億劫だった記憶があるけれど、俺も俺とて成長しているらしい。

 うさぎぱんだっくを食べながら語らうのは、苦痛じゃない。

「そうそう、私結婚するわ~」

「優里亜、結婚するんか!おめでとう!」

「康太、先越されたなぁ」

「結婚は生まれた順にしなければならないものではないですからね」

「にしても、少しは焦ってもいいんと違うか?」

「あぁ、とりあえず。彼女探します」

「「そこからか!」」

 次の命日も、こうやってうさぎぱんだっくを食べられるのだろうか。

 優里亜が結婚して、例えば子供を産んだりしたなら。

 ここでこんな他愛もない話をしている余裕なんて、ないだろう。

 でも、まぁ。その時は北京ダックを買って持ってくればいいか。ちゃんとした、アヒルのやつを。

 もう、俺だって社会人だ。

 親戚一同に北京ダックを振る舞うことくらい――少しきついけれど、年一ならできる。


 次来るときは、彼女の話をしたいな。

 ああ、でも――彼女出来なくてもまた来るね、ばあちゃん。

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うさぎぱんだっく 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya

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