こんなモテ期も悪くない

一初ゆずこ

こんなモテ期も悪くない

鎧塚よろいづかさんを呼べ!」

 今日も、誰かが鎧塚美琴みことを呼んでいる。美琴がどこに身を置いていても、切実な声で救いを求める者は後を絶たない。制服のプリーツスカートを番傘ばんがさのようにひるがえした美琴は、クラスメイトたちからの声援を一身に浴びながら、呼び声に従って教室を出る。新しい戦いの場が美琴を呼ぶなら、今日も受けて立つまでだ。

 そう気負いなく思えたのは、数日前の出来事のおかげだ。今日も誰かのために走りながら、美琴はこの高校に入学したばかりの頃を振り返った。


     *


 鎧塚美琴よろいづかみことの高校デビュー計画は、入学三日目にして早くも暗雲が垂れ込めた。

「お願いだ、鎧塚さん。どうか我が剣道部へ入部してほしい」

 昼休み中に一年一組まで来た男子生徒は、三年生を示す青いネクタイを締めていた。剣道部主将だという強面こわもての先輩は、廊下に出てきた美琴へ熱心な勧誘を続けている。

 対する美琴は、「私なんて、お邪魔になるだけだと思います……」とえない言い訳を口にして、相手が諦めるのを待っている。教室に助け船を求めても、さっきまで一緒に弁当を食べていた茉優まゆは、女子グループの輪の中から興味津々の顔を向けるだけだ。熱烈な誘いをのらりくらりとかわす美琴の脳裏を、猜疑さいぎと焦りが埋め尽くした。

 ――なぜ、美琴の素性を知る者がここにいる?

 鎧塚よろいづか家は、あらゆる武術に秀でた家系だ。両親、祖父母、親類縁者に至るまで、剣道、柔道、空手道など、さまざまな武道に長けている。格闘家の経歴を持つ親戚の手ほどきを受けた美琴も、異種格闘技戦の経験が何度もあり、よその家庭でも似たような日常を送っているものだと思っていた。

 認識の誤りには、徐々に気づいた。どうやら世間一般の少女たちは、小学校のいじめっ子を一本背負いで投げ飛ばしたりしないし、給食のプリンをこっそり二つ食べようとした悪童の手首をきわめたりしないし、中学校の通学路に湧いた不審者にジャーマンスープレックスをかけて撃退したりしないようだ。いずれの行為も教師から大目玉を食らって反省したが、同級生たちからは大いに感謝されたので、美琴も気を良くしてしまった。

 幼い頃が、思えば一番楽しい時期だった。厚紙で作った長剣を振り回した美琴は、よく男子たちの輪に交じって遊んだものだ。

 だが、偽物の長剣が剣道部の竹刀しないに変わる頃には、男子たちは美琴から遠ざかった。代わりに、天誅てんちゅうを必要とする悪人ばかりが、誘蛾灯ゆうがとうに誘われる羽虫のように集結したのは、何らかのトラブルが勃発するたびに「鎧塚よろいづかさんを呼べ!」と誰かが美琴を呼ぶからだ。美琴の勝利伝説はいつしか市内にとどろき渡り、札付きの不良もひれ伏す驚異のゴリラとして名をせた。中学校で『鎧塚美琴よろいづかみことファンクラブ』なる怪しい同好会が発足されたと聞いた時には、人生に三回は訪れるというモテ期の到来を予感して胸が高鳴ったが、破壊神はかいしんとしてあがたてまつられているとわかり、美琴はついに決心した。

 隣町の高校を受験して、美琴のことを誰も知らない土地に行く、と。

 怪力と武術を封印すれば、普通の女の子になれるはずだ。あわよくばモテ期も到来すれば、薔薇ばら色の学園生活は約束されたようなものだ。

 廊下で熱弁を振るう先輩を見ていると、対面の窓ガラスに薄く映し出された現在の美琴と目が合った。万年ベリーショートだった黒髪は、毛先をブレザーの肩まで届かせた。くしで入念にいた前髪には、天使の輪が光っている。

 擬態ぎたいは、問題ないはずだ。それでも正体が露見したということは、隣町にも美琴の勝利伝説が伝わっていたのだ。舌打ちして指の骨をバキバキ鳴らしたくなる衝動を抑えながら、美琴は先輩にしれっと嘘をついた。

「先輩は、人違いをしていると思います」

「え? そんなはずはないよ。鎧塚という名字は珍しいし、剣術家・宮本武蔵みやもとむさしの生まれ変わりとうたわれた最強の女の子を、僕らが間違えるわけが……」

「そっ、そんな人、知りません!」

 ちょうど予鈴よれいのチャイムが鳴ったので、美琴は頭を下げて教室へ逃げ込んだ。「僕たちは、諦めないからっ! 五時間目の部活紹介で、我が部の魅力を伝えてみせる!」と息巻いきまく暑苦しい声が追ってきたが、聞こえないふりを決め込んだ。戻ってきた美琴を迎えた茉優まゆが、小首を傾げていてくる。

「美琴、先輩はなんの用事だったの?」

「人違いだったみたい。それより、みんなで何を話してたの?」

「ああ、速水はやみくんって格好いいねって話」

 速水玲はやみれいの名前は、美琴も真っ先に覚えていた。今も窓際で級友たちと談笑している男子生徒は、爽やかな雰囲気のイケメンだ。誰にでも優しそうな笑みを振りまく速水玲でも、美琴の秘密を知れば表情筋を引きらせるかもしれない。そんな想像をすると寂しくなったが、要はバレなければ問題ないのだ。

 ――そう高をくくった矢先に、事件は起きた。


     *


 照明を落としてカーテンを引いた体育館に、マイクを通した声が響き渡る。新入生に向けた部活紹介は、各部につき一人か二人の代表者によって行われた。このプレゼンテーションを参考にして、新入生たちは今日の放課後から部活見学におもむくのだ。檀上に立つ上級生たちの声が、昼下がりの眠気を容赦なく誘い、出席番号順の一列に並んで座った新入生たちの何人かは、早くも船を漕ぎ始めた。スポットライトを浴びた手芸部部長がおじぎをして、舞台袖に引きげていく。

 入れ替わりで現れた女子生徒が、「文芸部部長です」と名乗った時だった。美琴は、数々の修羅場しゅらばで研ぎ澄まされた危機察知能力によって殺気を嗅ぎ取り、カッと目を見開いた。同時に、舞台袖から黒づくめの服装で目出し帽まで被った不審人物が乱入して、文芸部部長をマイクスタンドから遠ざけるように引き寄せる。青ざめた文芸部部長の喉元には、照明をギラリと照り返す小刀こがたなが突きつけられていた。

「全員、そこから動くなよ!」

 充満していた眠気が消し飛び、暗闇にどよめきが広がった。覆面ふくめんの人物は男の声で、「動いたら、この女の命はないぞ!」と脅している。硬い声音をマイクが拾い、耳障りな響きがハウリングした。その時、美琴のすぐ近くで、一人の男子生徒が立ち上がった。

「よ、要求はなんだ!」

 強張った声で叫び返したのは、速水玲はやみれいだ。茉優まゆも噂していたイケメンが、壇上へ凛々しく声を届けた勇姿を見て、周囲の女子生徒たちが黄色い声を抑えている。――その隙に、美琴も立ち上がった。

 暗闇に紛れて新入生たちの列を離れて、舞台裏に続く扉へ疾走する。風のように階段を駆け上がると、檀上のライトが差し込む舞台袖には、緊迫感が満ちていた。上級生たちは固唾かたずんで舞台を見守り、誰もが立ち竦んでいるようだ。つい義務感に駆られてここまで来たが、美琴は激しく葛藤かっとうした。

 不審者を制圧するくらい、朝飯前だ。ここまで走る間にも、十を超える戦闘パターンを想定して、脳内で不審者をボコボコに叩きのめしている。だが、本当にそれでいいのだろうか。せっかく掴み取ろうとした青春を、衆目の面前で握り潰していいのだろうか――乙女と破壊神の狭間はざまで揺れていると、「鎧塚よろいづかさん?」と背後から驚きの声が上がった。

 はっと振り向くと、昼休みに顔を合わせた剣道部主将の先輩が、剣道衣とはかま姿で立っていた。竹刀まで握っているので、このあと部活紹介を行う予定だったのか、あるいは暴漢に立ち向かうつもりでいるのだろうか。

「なんで君がここに……それより、こんな所に来ちゃだめだ」

 先輩は何かを言っていたが、美琴の目は竹刀に釘付けだった。鎧塚よろいづか家で叩き込まれた鍛錬たんれんの記憶が蘇り、男子たちと手作りの長剣を振り回して遊んだ頃の高揚感も、ちっぽけなコンプレックスでびついた正義感に火をつけた。

 ――ここで人命ではなく青春を選べば、美琴は間違いなく己を軽蔑する。他人からゴリラ呼ばわりされることよりも、曲がったことが大嫌いな己を殺して生きるほうが、何よりも大切な誇りにそむく行為だと、この土壇場になってようやく気づけた。

「先輩、竹刀を借ります!」

「えっ?」

 狼狽うろたえる先輩から、美琴は竹刀を奪い取った。さようなら、青春。さようなら、普通の女の子になろうとした美琴。いや、違う――これが、私の、普通だ。闘志の炎を瞳に燃やして、甘ったるい砂糖のような理想のコーティングを蒸発させて、戦うことに純粋な楽しさを見出していたあの頃の心を取り戻す。手のひらにしっくりと馴染んだ武器を携えた美琴は、一息に舞台へ躍り出た。

 不審者は、新たな闖入者ちんにゅうしゃに面食らったようだ。文芸部部長の喉元から刃物が離れた隙を見逃さずに、美琴は竹刀を電光石火の勢いでしならせる。切っ先が小刀をぱしんと弾き飛ばし、たたらを踏んだ不審者の脳天めがけて、続けざまに竹刀を振り下ろそうとして――ぴたりと止めた。不審者が、床にくずおれる。どうやら気絶したようだ。

 わっと新入生たちから歓声が上がり、スポットライトと拍手喝采かっさいを浴びた美琴は、視線を意識して顔を赤らめた。そして、羞恥を誤魔化すように文芸部部長へ「大丈夫ですか?」と訊ねた時に、何かがおかしいことに気づき始めた。

 不審者から解放されたにもかかわらず、文芸部部長の表情は晴れなかった。喉に魚の小骨でも刺さったような顔で、足元で伸びている不審者を気にしている。美琴は目出し帽のそばに落ちた小刀こがたなに目を留めて、「あ」と間抜けな声を上げた。

 ――もっと早く、気づくべきだった。竹刀で小刀を弾いた時に、手応えがあまりにも軽かった。教師陣が事態の収拾に乗り出す気配も一切なく、美琴が違和感の数々を見逃したのは、目先の青春にうつつを抜かして、鍛錬を怠った所為に違いなかった。

 小刀の刀身には、アルミホイルが巻かれていて、の部分は厚紙でできていた。

 照明をギラギラとチープに反射させているそれは、美琴が小学生時代に男子たちと振り回した長剣にそっくりな、まごうことなき偽物だった。


     *


「じゃあ美琴は、文芸部、演劇部、剣道部が結託けったくした部活紹介に、何も知らずに乗り込んじゃったの?」

 打ち明け話を締めくくると、茉優まゆは腹を抱えて笑い出した。「あはははっ、天然すぎる!」と叫んだので、「しっ、声が大きい!」と訴えた美琴は、教室じゅうの視線を気にした。

 事件翌日の昼休みは賑やかで、誰も美琴たちの密談に気づいていない。だが、一人の男子生徒だけは、もしかしたら気づいているだろうか。穴があったら入りたいくらいの羞恥心がぶり返して、美琴は昨日の椿事ちんじを回想した。

 ――『俺、この高校で演劇をやりたくてさ。上級生の部活紹介が始まるよりもずっと前に、演劇部の部室まで見学に行ったんだ』

 そう言って体育館の舞台袖ではにかんだのは、クラスのイケメンの速水玲はやみれいだ。壇上で繰り広げられたショーに場が沸き立つなか、美琴のようにこっそりと新入生の列を抜けてきて、何も知らない美琴に事件の裏側を教えてくれたのだ。

『もう入部する気でいるって伝えたら、今回の計画を知らされて、協力することになったんだ。早期に入部希望を出した生徒に、根回しをする伝統なんだって』

『ほら、部活紹介の時に眠そうにしてる新入生、けっこう多いからさー。各部活の得意分野を活かして、場を盛り上げたってわけだよ』

 剣道部主将も、なぜかノリノリで説明した。文芸部部長の女子生徒も、申し訳なさそうに微笑んで、『先生たちもシナリオは了承済みだけど、今回の鎧塚よろいづかさんみたいに誤解する子が出たら大変だから、明らかに演劇だと分かるように、小道具はえて下手に作ってあるし、演劇初心者の速水はやみくんにも協力してもらったの。あと、機材を壊したら放送部に怒られるから、マイクスタンドからすぐに離れる手筈てはずだったのよ』と補足したので、合点がいった。あの不審者の一挙手一投足には、ちゃんと意味があったのだ。まがい物の殺気を本物の殺気と勘違いした美琴は、頬の火照りを冷ますのに必死だった。

 つまり、今回の出来事は、三つの部活による過激な部活紹介であり、文芸部部長が刃物を突きつけられた直後に速水玲はやみれいが声を張ったのも、演劇部の仕込みだったのだ。

『俺が『要求はなんだ』って台詞を噛みながら言ったあと、鎧塚さんは聞いてなかったみたいだけど、刃物を突きつける不審者役を務めてくれた演劇部部長の台詞は、こう続いたんだ。『入部届の欄に「演劇部」と書け』ってね。そこで、剣道部主将が不審者をやっつけにくるシナリオだったんだけど……』

『そこで、私が割り込んだのね……』

 目出し帽を被った演劇部部長は、美琴の登場をサプライズだと思ったらしい。しかし、竹刀で迫る美琴が鬼神そのもので、恐怖のあまり気絶したという。目を覚ましてからは「あの逸材いつざいは、いつ入部するのか!」と元気に騒いでいたそうなので、怒っていないことに美琴は心底ほっとした。結局、美琴の早とちりを知る人間は、ごく僅かな上級生と速水玲だけなので、恥が高校じゅうに知れ渡らずに済んだことにも安堵している。

 ただ、不安がゼロになったわけではない。まだ笑い続けている茉優まゆに、美琴はおずおずと小声で訊いてみた。

「茉優は私のことを、ゴリラとか破壊神って言わない?」

「なんで? 強くて格好よかったよ! 速水くんから乗りかえる子も多いんだから!」

「それ、喜んでいいのかな……?」

「美琴はすごいよ、入学早々モテモテだね!」

「モテモテ? 私のモテ期って、これなの?」

 がっかりした美琴は机に突っ伏してむくれたが、確かに美琴はあれからも、さまざまな部活に勧誘されている。剣道部だけでなく柔道部や陸上部といった運動部に、今回の椿事で大迷惑をかけた演劇部からも「君は希代きたいのアクションスターだ」と熱烈なアプローチを受けていて、文芸部からは「戦う女の子が主人公の物語を書くから、ぜひインタビューさせてね!」と言われている。自然と笑みが零れた時、窓の外が騒がしくなった。

「なんの騒ぎ?」

「喧嘩だってさ」

 横合いから爽やかな男子生徒の声が聞こえて、どきりとした。いつの間にか机に長身の影が落ちていて、顔を上げると速水玲はやみれいが立っていた。爽やかで整った笑みを浮かべた速水玲は、きな臭い空気を和らげるように、穏やかな声音で言った。

「上級生同士で、口喧嘩が少しエスカレートしたみたいだ。もう先生も向かってるのが窓から見えたし、放っておいても大丈夫だと思うけど……」

 その台詞が終わるか終わらないかといったところで、誰かが窓の外から切羽詰まった声で「鎧塚さんを呼べ!」と叫び始めた。美琴は、溜息を吐き出した。恥は広まらずに済んだようだが、勝利伝説は現在進行形で広まり続けているようだ。

「呼ばれてるから、行ってくる。私が行けば、喧嘩なんて秒で止まると思うから」

「美琴が言うと、貫禄かんろくがすごいね。頼もしいなあ」

「鎧塚さん、ヒーローみたいだな」

 二人からしみじみと言われて、美琴は目からうろこが落ちる思いだった。――ゴリラでも破壊神でもなく、ヒーロー。思えば小学生時代に男子たちと作り物の長剣を振り回していた時も、ヒーロー気分で走っていたはずだ。

 あの頃から美琴は何も変わっていないし、これからも変わらなくていい。まだ心の片隅をびつかせていたコンプレックスが剝がれ落ちていくのを感じながら、美琴は心からの笑みで「すぐに戻るから」と言ってきびすを返した。茉優まゆは手を振りながら「昼休みの間に帰ってくるんだよー」と快活に言って、速水玲は少しだけ心配そうに微笑んだ。

「怪我にだけは、気をつけて」

「う……うん!」

 初めての女の子扱いに、不意打ちで胸が高鳴った。これからも、日常でトラブルが勃発するたびに「鎧塚さんを呼べ!」と誰かが美琴を呼ぶのだろう。けれど、以前と変わらない日々を送っているようで、本当は少しずつ変わっているのだろうか。

 だとしたら、こんなモテ期も悪くない。そう素直に思えた美琴は、己を必要としている新しい戦いの場に向かって、生き生きと力強く走っていった。

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