第20話(下)
翔の胸の中で泣いてしまった葵を抱きしめていると花火はすべてうち終わり、気づいた頃には終わってしまっていた。
ただまあ、こうして一つのカップルが実ったと思えばチケットをくれたおばあちゃんも本望だろう。
「……」
「……」
十分ほど車を走らせているが車内はとても静かだった。
別に何か話さなきゃいけない理由があるわけでもないのだがなぜか声が出なかった。夜道だから集中して運転しているって言うのもあるけど、それにしても落ち着いていた。
夜のラジオが車内に響いて、月明かりで照らされた道を走る。伝統もあったため、一定のリズムで電灯が車内を照らし、その度に葵の何とも言えない表情が目に映る。
彼女は寝ることもせずに外の風景を眺めていて、何かを考えているように見えた。この後どうするか、それとも二人の今後についてなのか――考えても出てこない問題に翔は頭を悩ませる。
ただ、やはり恋が実ったというのにさすがに無言を貫くのは変な気がして翔が口を開いた。
「付き合ったんだよな……」
「っ……」
翔がそう言うと葵は呆気にとられたかのように顔を見つめる。流石に不味ったかと思って、言い直そうとするとクスッと笑いながら言い返した。
「何を今さら」
(……何言ってんだよ、俺)
「そうね、私たちは付き合ったのよ」
情けない表情の翔に対し、葵は少し気取ったように言う。
「なんか、実感湧かないよな……」
「うーん、そう?」
「あぁ。湧かないよ、全然さ」
「別に、私はそうでもないけど……何か不満でもあるの?」
「いやいや!! 別に不満なんてないよ? ただ、なんか幼馴染と恋人同士になったからと言って何かあるわけでもない気がして……こう、変化がないていうか?」
「変化が欲しいの?」
「え、いやぁ……そういうことじゃなくてさ」
「……もう、何よ。ハッキリ言ってよ」
「……俺もよく分からないんだけど、その、さっ。こ、今後、どう……触れて行けばいいのかなって?」
情けない表情で訊いてきた翔の言葉に彼女はまたもや驚いたかのような表情を浮かべる。
翔としても今までと違うように接したいわけではない。もちろん、彼だってまた普段の可愛らしい葵が好きなのだ。
だが、恋をしたのは葵同様、初めてだった。それに葵とは違って高校時代にモテ捲っていたわけではない。告白をされてさらりと流せるほどの余力もあるわけではなかった。
だからこそ、いざ付き合ってみてどうすればいいか分からなかったというのが彼が抱いている気持ちだったのだ。もっと早くから真っ当な恋愛をしてこれたらこうはなっていなかったと翔は今しがた後悔をし始めている。情けないと分かっていてもそう思ってしまう自分を隠せない。
返事を言ったのはいいものの、場の収め方も分からなくてただただ惨めな気持ちになる。
(……だせぇ)
しかし、彼女も言われてみれば腑に落ちるところがあった。
最初は付き合う意味なんて全く分からなかった。自分に告白してくれる人とは大して親しくもなくて、いつも上辺だけの姿を見て、少し話したくらいで告白してくる。
そんな毎日が退屈で、おかしくて仕方なかった。
でも、彼らの気持ちは尊重したいと真摯に向き合おうと色々と考えることにした。恋人同士になったらどうなるのか、と。
結婚は何となく分かる。
実家にいるお父さんとお母さんは二人ともいつも楽しそうに会話してるし、とても魅力的に見えていた。きっと、それが凄く良いことなんだろうと子供ながら分かっていたつもりだった。
じゃあ、恋人はどうか?
そう問われれば答えは微妙で、分からなかった。
ただ、それも大人になった幼馴染に出会ってからすぐに吹き飛んだ。運命を感じた。神様のおみくじだとか、運勢だとか——そっちの効果もなかったわけではないと思う。
でも、一目見た瞬間。
私は虜になっていた。
見るだけで惚れた。
惚れてしまった。
騒がしかった昔の面影はとうに消えていて、大人しくて、落ち着いていて、それでいて感情豊かで、顔だってカッコよく見えた。
親友ではなく、異性として。
幼馴染ではなく、恋人して。
いいなと思った。
そう思えることができたおかげで何となくではあったが理解できたのだ。
葵は向き直り、窓に肘を当てて外を眺めながらこう言った。
「別に、今まで通りでいいわよ」
「……今まで、通り?」
「うん。わ、私はその……翔の普段の姿を見て好きになったんだから。別に今から何かを変えようだなんて考えなくていいわ、まったくね」
しばし無言が続き、翔はニコッと笑みを浮かべる。
「そっかぁ、そうだよね」
「そうよ、むしろ今まで通りでいてほしいわ」
「……おう、ありがと」
何気なく言ってくる彼女に少し安心して、翔はしばらく運転を続けた。
またも車内が静かになって、気になってチラッと横を見ると電灯に照らされた葵の表情が窓で反射して一瞬だけ見える。彼女はと言うと、さっきはあんなにも強がって真面目そうに答えていたのに今は何を思ったのか顔が真っ赤だった。
そこで、彼は再び口を開いて。
「でも、そうだね」
「ん?」
「今まで通りならデートとかはしない感じかなぁ」
今度は翔がいたずらに笑みを浮かべながら意味ありげに呟いた。
しかし、そんな言葉にびっくりした葵がすぐに翔の方を向いて悲しげな様子で叫ぶ。
「——な、なんでよ!!」
「だって、いつも通りでいいって言うからさぁ」
「べ、別に————そ、そういうつもりじゃ……」
「葵が言ったんだもん、仕方ないなぁって。個人的には葵がしたそうなことし様かなって考えてたんだけど」
「ち、違う!! そ、その……ぁ……ご、ごめん!! 嘘だから!! 違うからぁ‼‼‼」
悲壮感漂う表情に流石に可哀想になってきて、今にもつかみかかろうとしてくる葵にすぐに訂正する。
「————あはははっ‼‼ 冗談だよ、冗談っ。葵も可愛いんだねっ」
「っな!」
「いやさぁ、だって真面目に言ってくるもんだからついね。揶揄っちゃった」
「——も、もう‼‼」
翔の言葉に面食らって、彼女は顔を真っ赤にしながらそっぽを向いた。
(……な、何よ! なんで、そんなことしてくるのよ、もうっ! 私は本気で心配したのに‼‼)
「でも、まぁ……ありがとな」
翔は続けて、ぼそっと呟く。
すると、葵の方が少し揺れて——数秒経って小さな返答が届いた。
「……そ」
小さな声はラジオにかき消されて、その後は温泉宿に着くまで静かになったままだった。
(そう言えば……混浴ってまだやってるかなぁ……)
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