第20話(上)
辺り一面の人。
そして、目の前の真っ暗な湖。
湖は穏やかに波打ち、木々が風に吹かれてザザーっと吠える。
後ろでは子供たちが走り回り、母親に叱られている声も聞こえて思わずクスッと笑ってしまう。
「——どうかした?」
「……いや、なんでもないよっ」
「?」
「ほんと、なんでもないから……」
腑には落ちていなかったが葵は渋々視線を湖に戻した。
屋台の灯りが一つ一つ湖に反射し、ゆらゆらと揺らめく幻想的な景色を眺めていると、アナウンスが再び流れた。
「本日はご来場、誠にありがとうございます。4年に1度の花火の祭典も始まりまで残り1分となりました。間もなく、花火の打ち上げが始まりますので、星が煌く夜空にご注目ください――」
アナウンスがなり終え、ブツッとマイクが切れた音がすると同時に周りの人々が騒めきながら空を見つめる。家族ずれは楽しそうに指をさし、カップルは仲良く手を繋ぎながら一緒に見上げる。
そんな周りの流れに二人も遅れるわけにはいかず、夜空を見上げた。
数秒ほど経ち、間が空いた葵の顔をチラリと見る翔。彼女は口を小さく開けて、目をパチパチさせながら上を向くのが見える。
こういうところは純粋だな、と思った束の間だった。
――その瞬間。
ひゅ~~~~~~~~~~~~パァンっっ!!!!!!!!!!!!
花火特有の破裂音が真夜中の綺麗な星空に鳴り響く。
あまりの迫力に肩がビクつく翔に対し、葵は肩をちょんちょんと叩いて小さな声で——
『————綺麗ぃ』
と呟いた。
指をさし、空を見つめて次々に放たれていく花火にかき消されそうな声が耳元で響いた。
翔はその言葉にハッとして、すぐさま空を見上げると——
そこに広がっていたのはまるで星空のような無数の花火だった。
ただの花火、そう分かっていても見惚れざる負えない色彩豊かな粒々が湖上の開けた空に解き放たれる。
山中で綺麗に輝いていた星々もいつの間にか灯りを消して、星々もそれを眺めているかのように夜空には極彩色の火花が咲き誇っていた。
乾いた音が鳴り響く、そして流れ星のように落ちていく。
一連の流れを数分。
翔も葵も口を開けっぱなしで見惚れていた。
先ほどの気まずい空気なんて無くなってしまったかのようで、束の間の安らぎを深々と感じる。
一気に打ちあがり、一面に咲き誇る虹色の花畑。
「……ぁ」
声にもならない、言葉にもならない音が二人の間で霧散する。
何もかもが聞こえない世界に包まれて頭を空っぽにして、花火が彩る世界しか見えなくなっていた。
端から端まで色とりどりな花が見えて、爆ぜて、そしてまた消えていく。
「……ぉ」
「……ぁ」
またもや、ぼそっと漏れる。
まっすぐと尾を描いて、消えていく
二人の周りはと言うと、様々な人がいた。花火の音に慣れて、友達とお話しする人がいて、後ろで綿飴を持ちながら楽しそうにはしゃぐ子供の声が響き、家族仲良く談笑しながら空を見上げて指さしていく。
煌いた赤色焼き色が煙に反射して、まるで雷のように轟音を鳴らす。
永遠と続くそれを眺めて、もう何発打っているのかもわからなくなっていて。今自分がどこにいるかすらも危うくなっていく。引き込まれていくように、霧のように消えていくかのように。
そんな騒がしい花火が今の自分のように見えて、翔は何とも言えない気持ちを抱いていた。
(……俺は、何してるんだろ)
ふと、疑念が募る。
気が付けば俺は隣に座っている幼馴染の告白をしっかりと受け止めることもせず、逃げるようにここまでやってきた。何度も思い出したあの日の夜は確かにお互いに落ち度があると思う。でも、俺とは違って、葵は逃げていなかった。
葵は葵になりに、たまにちぐはぐすることもあったけど、それでも彼女はただひたむきに俺と向き合おうとしていた。
頑張って、頑張って、頑張って。
だから今日の旅行だって誘ってくれたんだろう。考えてくれて、一生懸命におめかしして、一緒に行く時思ったけど今日は少し雰囲気がうわづいていた。温かい手に触れて、感じていたはずじゃないか。
なのに、俺は——
逃げてばっかりだった。
直感で言う? 否定する? ほんとに好きか分からないだ?
俺は何を言っていたんだ。
ただ、真剣に考えもせずに、考えているふりをしていただけじゃないか。それで、告白を受け入れようだとか、好きじゃないかも知れないから怖いだとか。
何を考えているんだ。
あの時、約束したじゃないか。
ぐるぐると回る思考。
急速に血液が流れるのが分かる。
ならば、言うべきことは——と立ち上がろうとして。
思い立った直後のことだった。
ひゅーーと長く伸びる大きな尾びれが付いた火花が3発打ちあがる。
きらきらと散っていく花火の欠片をパチパチと交わしていき、黒くて大きな塊が夜空のてっぺんで止まったかと思えば――
————最大級の弧を描いて、爆散した。
「——っ」
その瞬間、余りにも大きな花火と音に驚いたのか葵がビクッと翔の方へ肩を寄せた。ベンチに置いていた翔の手をぎゅっと握り締める。
「うっ……」
「——あ……ごめんっ……」
かき消されている声がなぜか聞こえて、二人とも何とも言えない表情になる。
しかし、そんな表情が翔の根底に眠っていた思い出を呼び起こした。
(……見たことがある)
初めて葵の浴衣姿を見た小学6年生の夜の話だ。あの日は浴衣を見て、綺麗だなと不思議になっただけで終わったわけではない。
あれには続きがあった。
花火なんて行くのが久し振りだったからなのか、浴衣姿の鮮烈さにかき消されていたのか、それすらも忘れていた。
ただ、葵の恥ずかしそうに、それでいて悲しそうな表情を見てすぐに思い出した。
行ってきていいよと親に背中を押されて、俺は浴衣を着ている葵にさりげなく手を繋いで前日に見つけた花火が見やすい位置まで引っ張った。
「こっちの方が見やすいんだよ、葵」
「人、少ないよ……ここ、入って大丈夫なの」
「うーん、多分? まぁ、大丈夫でしょ! きっとさ」
「う、うん……」
「そんなに不安かぁ?」
「べ、別に……そう言うわけじゃないけどっ」
「あっ! お母さんに怒られるのが嫌なんでしょ!」
「……ち、違うし……」
「あはははっ‼‼」
ひとしきり笑って俺は再び葵の手を引っ張った。
気まずそうに頷いた彼女に目もくれず、俺はシートを敷いてそこに腰を降ろさせる。始まるまではくだらない会話をして、学校の話とか修学旅行の思い出とかを話してから数十分後。
アナウンスが流れ、花火が一斉に打ちあがった。
とある市内にある大きな川で行われる花火大会で、反対側の河川敷にはかなりの人が並んでいる。勿論、屋台も出て、市内の人で川に近い場所に住む人なら家の屋上やベランダからも見えるくらいで、次の日の学校は花火の話でもちきりになるほど有名だった。
だからこそ、みんながみんな笑顔で、楽しそうに眺めるのが普通だった。
しかし、その時も葵は何か違っていた。いつもなら浴衣すら着ないのに、親だって一人で行かせることだってなかった。でも俺は何も思っていなかった。
今考えてみればきっと、あの頃には転校することが決まっていたのだろう。色々あったから中学1年の中盤辺りで転校してしまったが、もしかしたらあの日からすぐに転校してしまう話もあったかもしれない。いや、そうでなければ辻褄が合わない。
「綺麗だなぁ」
「だね……」
夜空を見上げながら、空に消えていく花火をじっと見続ける。
「来年も見れるかなぁ」
葵がボソッと呟いた言葉に反応して、俺も呟く。
「見れるよ、きっと」
別に確証なんてない。葵はいつも隣にいるのだ。だから、見れるでしょと考えていた。
「だよね……」
悲しそうにそう言って、彼女は俺の手を握る。
「——ん?」
「……絶対、見ようね?」
涙目で、今にもかれそうな鼻のように苦しそうな笑顔を向けられて、握られた手をさらに強く握りしめられる。
何とも言えない表情に驚きながらも、見れるよと俺は言ったのだ。
きっと、今も不安なのだろう。
このままもしかしたらフラれるかもしれないとチクチクと胸を痛めながら握った手を離そうとしているのだろう。
嫌な考えが過ぎって、自分の見っともなさに嫌気が差して、居てもたってもいられなくなって――
なぜだか俺は葵を抱きしめていた。
「————ごめんっ‼‼‼」
「え——」
「俺さ、葵の事好きだ……めっちゃ好きだ!! じゃなきゃ二人でこんなところ、来ないよ!!」
「~~~~っ⁉」
「なんか、引きづってごめん……ほんとに、ごめん……」
「……ぇ……そのっ」
「告白、受け入れるよ……俺も、大好きだっ!」
ぎゅっと、噛み締めるように葵の身体を抱きしめる。大きな胸が俺の胸板に当たっていることが分かったがそれでも引かずにぎゅっと、ぎゅっと、潰しちゃうほどに抱きしめる。
乱れうちの花火が辺りに轟音と閃光を広げて、二人の言葉はかき消されてた。
「……いいの、かなぁ……」
すると、さっきまで平然を保っていたはずの葵が肩で嗚咽を漏らしていた。
「いいよ……」
「私……っ、よ……よわいん、だよぉ……」
「逃げてた俺の方が弱いよ……」
「っ……う、ぅ……っ……ぁぁ……」
溢れて流れる涙。
花火の光が涙にも反射して、きらりと煌く。翔の胸で泣いた葵を強く抱きしめて、花火の音だけが響く世界に瞳を閉じたのだった。
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