悪党の予感

キロール

予感

 どうにも良くない。


 何というか予感って奴か、そいつの具合が宜しくねぇ。虫の知らせって奴だ。こういう何とも言えねぇ予感を覚える時は大抵良くない事が起きる前触れだ。


 俺はこの予感に身を委ねてここまで成り上がった。悪い予感を覚えた時は打てる手を全て打って切り抜けて来た。だから、今回も上手く行くはずだ。それに今の俺に何が起きるってんだ? もう俺は地べたを這いずる虫けらじゃねぇ。


 そうとも、この街ローウは俺の物だ。そして、誰も俺が街の支配者ロデリックだと知りもしねぇ。いや、実際には片手の指の数程度はそいつを知っている奴らはいるが、あいつらが俺を裏切る筈はねぇんだ。あいつらの方が失うものがデカいんだからな。


 じゃあ、商売はって言うと順調そのもの。何人かの上玉をシャーラン国の王家に売りつける事すらできた。あの女どもを売っちまうにはちと惜しかったが、王家にコネを作れるとありゃ安いもんだ。商売ってのは太く手広くやらにゃぁならねぇからな。王族って言う上客を得られるならば大抵のもんは安い経費さ。


 ……或いはそいつをやっかんだ同業者が殺し屋でも差し向けたか? それはあるかも知れねぇな。


「おい、アッシャー! ボーっとしてねぇでしっかり皿を洗え!」

「分かってますよ、マスター」


 おっと、考え事が過ぎて仕事の手が止まっちまったか。俺を現実に引き戻した子飼いの部下にそう返事を返して皿を洗う。酒場の冴えない皿洗いアッシャーが街の支配者ロデリックだと気付く奴はいない。そして、酒場ってのは色々な噂が行き交う場所だ、商売は元より身の安全に有益な情報が転がり込んでくる。


 俺の感も外れる事はそれなりだ、今回もそうかも知れねぇ。そうさ、今のまま何の問題もなく過ごしていける。そう考えながら皿を洗い終える頃、酒場の扉がゆっくりと開いた。


 黒い髪の鋭い目つきの男が金髪の五歳ほどの娘を片手に抱えて入ってきた。奇妙な親子だ。娘の様子から察するにあれは何か目的があって借りて来たガキじゃねぇ、それなりの年数を共にしてる親子か、それに準ずるものだ。つまりは、その結びつきに損得がねぇ。


 子連れの男なんざ怖い筈がねぇんだ。だが、そいつらを見た瞬間俺は予感が的中した事を知った。男の放つ存在感とでも言うべきある種の凄みに、とある刺客の話を思い出したからだ。


 殺し屋じゃねぇ、刺客だ。殺しを金で請け負うのに変わりはないが外道殺しを主に請け負い刺客を名乗るふざけた野郎がテイルの街を根城にした悪党ジョン・ブライマーを殺したと聞いた。あの抜け目ないジョン・ブライマーを殺した刺客は子連れだったそうだ。


「いらっしゃい」

「ロデリックを知っているか?」

「そ、そりゃ、この街のボスの名前くらいは知ってるよ」


 野郎はカウンター越しに俺に問いかけた。酒場の主じゃなくなんで皿洗いの俺にそんな事を聞きやがる……。バレているのか? いや、バレるはずがねぇ。俺は街の支配者に恐れを抱いたようなふりをしながら答えを返すと、視界を遮るように酒場の主が、部下が割って入った。


「お客さん、困るんですよ。何も頼まずおっかない奴の話をいきなり振られるのは。ほれ、お前は奥でゴミの片づけでも」


 酒場の主人は俺を裏方に行かせようとする。こいつは察しが良いから重宝するぜ。


「奇特な男だな。皿洗いと私のに割って入るとは」

「あんた、何を言ってるんだ? いちゃもん付けようったって――」

「邪魔をしたな」


 部下が戸惑いを感じながら言葉をつづけたのを最後まで聞かずに、男は金だけ置いて店の外に出ていく。男は背を向け威圧的ともいえた存在感が減じたかと思えば、抱かれた娘は緑色の瞳でじっと俺を見据えていた。途端に背筋にぞわりと冷たい物が走り抜けた。なんなんだ、あの親子。親父もそうだが娘もおかしい。その眼がまるで長年、戦場を渡り歩いた戦士のような眼をしていやがる。


 ……何なんだ、あいつらは。本当にジョンを殺った刺客なのか……。あんな奴を送りつけてくるなんて、何処のどいつだ? 俺は商品を買うのにもしっかり金を払ってやってるんだ、恨まれる筋合いはねぇ。金がねぇ連中から女子供を買い取って何が悪い……。


「ゴミの処理はどうしたもんかなぁ」


 酒場の主が困ったように告げるのを聞き、俺は天を仰いで。


「燃やすなりしたら良いでしょう」


 俺はそっけなく答えを返した。ロデリックを狙うってんならしばらく宿にも泊まるだろう。寝込みを襲う必要もねぇ、夜半に宿に火を付けりゃそれで終いだ。少しばかり過剰とも思えるが、悪い芽は摘んでおかねぇとな。


 それからは普段と変わらぬ日常が過ぎ去り、夜半に宿の方で火の手が上がったらしく、煌々と夜空を赤く染めた。親父の方はともかく、娘の方は妙なガキだったがガキはガキ。ちょいと可哀想な事をしたかもなと思わねぇでもないが、これも俺の為さ。


 その筈だったが、悪い予感はまだ消えなかった。火事だ、火事だと騒ぎ立てる街の連中の声を聞きながら俺は眠る事も出来ずにいた。そして不意に気づいた、火事特有の臭いが一切ないことに。そして、微かな悲鳴に。


「なんだっ!」


 窓を開けて宿の方へと身を乗り出す。と、火付けを命じた荒くれどもが一人の男に斬られていく場面が視界に飛び込んだ。その周囲には松明を持った街の連中。


 不意に男に抱かれた娘が俺へと視線を寄越し、人差し指を向けて告げやがった。


「ロデリック」


 それは死刑宣告に似ていた。


 街の連中が一斉に俺を見る。


 ああ、これが最後か。


 手を打って切り抜けた筈の悪い予感が、バラした筈の連中が片手、片足失いながらそこにならんでやがる。


 切り抜けて上手く行ったと思っていた俺が間抜けだったわけだ。あの刺客の親子は所詮は最後のピース、俺の破滅は大分前から決まっていたって訳だ。


 俺は酒場を取り囲む連中に笑いながら言った。


「今さら気づいたのか、馬鹿野郎どもがっ!」


 今さら言い逃れもできねぇだろうからな、悪党らしく死んでやろうじゃねぇか。


 連中は無言で松明を酒場に投げ込んだ。


「ははっ、お前らごときに殺されるくらいなら焼け死んでや――」


 俺がそう告げる前に、いつのまにか目の前にいた刺客の男が刃を腹に突き立てやがった。倒れて悶える俺を尻目に刺客の男はご丁寧に窓を閉じてはなれた。


 痛みと出血で掠れる視界には燃え盛る炎。焼け落ちる、俺の命と共に築き上げた物が。俺はもう地べたを這いずる虫けらじゃ……。



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