第15話「エリートを目指す」の巻

 「祭林課長」

 その声に顔を上げると、自分を会社のソフトボール部に誘った、キャプテンの世良だった。

 「おお、世良君じゃないか。君には特に流星課長と呼んでほしいが、最近、練習に顔も出さずにいる。申し訳ない」

 「実は自分も最近あまり」

「忙しいのか。そういえば、企画課に異動したらしいじゃないか。栄転だね」

 世良はため息をついた。

 「どうしたんだい。浮かない顔をして」

 「流星課長。相談に乗ってもらえませんか」

 「君のようなエリートに、わしのようなダメ課長が相談に乗れることなどあるかな」

 「課長に、そんな風に言われるとつらいです」

 世良は下を向いた。

 「すまん。茶化すつもりじゃなかった。おい、どうした。スポーツマンらしくないぞ」

 祭林は立ち上がり、肩を叩いた。

 「よろしければ、近々、一杯飲みながらでも、愚痴聞いてもらえませんか」

 「よし、今晩行こう」


 祭林と世良は定時で退社し、近所のそば屋に入った。とりあえず、ビールで乾杯したが、しばらく無言だった。祭林は率直に聞いた。

 「仕事、大変なのか」

 「ええ」

 「深夜まで頑張ってるのか」

 「いいえ。退社時刻は営業時代と変わりません」

 「精神的にきついってことか」

 「はい。一言で言ってしまえば、そういうことですね」

 「すまん。一言で言ってしまって。どうぞ、思う存分愚痴ってくれ。覚悟はできている」

 「ははは。祭林課長はやはり癒し系です。こうやって、二言三言交わすだけで、気持ちが楽になってしまう。もう、愚痴らなくてもいいです」

 「そう言ってくれるのはうれしいが、溜めてはいかん。わしが洗面器になるから、吐き出しなさい」

 「課長は素晴らしい人だ」

 世良の目は潤んでいた。

 「企画課に異動してすぐは、確かに誇らしい気持ちはありました。でも、周りはみんな頭のいいやつらばかり。僕のように外回りで色の黒いやつなんかいませんよ。最初はあいつらの話している言葉の意味も分かりませんでした」

 「確かに企画課はうらなりみたいなやつが多いな」

 「家に帰っても仕事が頭から離れず、忘れようとしてほかのこと考えると、抽象化された不安が膨らんで、生汗が出てきたり、息苦しくなったり。コンプレックスとストレスでどうにかなってしまいそうです」

 「そうか。これは頑張れなどと、無責任に言わない方がいいな」

「早く失格のレッテルを貼られて、現場に戻してもらいたいものです」

「しかし、君の外回りの経験は企画にも役立つだろう。君は顧客の生の言葉を聞いてきた人間だ」

 「いえ、企画には、僕がお世話になってきた中小零細の社長さんたちの意見など関係ないんです。理論と数値こそが説得力なのです。感覚だけで仕事をしてきた僕には向いてません」

 そのとき、背後から別の声が話しかけてきた。

 「そんなことは絶対ありませんよ」

 加藤である。祭林は世良に加藤を紹介する。

 「友人の加藤さんだ。今は無職だが、某有名企業の部長として敏腕をふるってこられた方だ。わし一人では心もとないので、お呼びしておいた」

 加藤と世良は握手をした。

 「世良さん。あなたはきっと、お客様の声を肌で感じた人物として企画課に回されたんだ。それを無視するようでは、あなたの会社の企画課はアホバカ課だ。数字なんてただの道具なんですから」

 「世良君。わかったよ。わしはその道具がまったく使えなかったために、閑職に甘んじているというわけか。ははは」

 「世良さん。センスって『才能』みたいな意味で使われていますが、本当は『感覚』っていう意味ですよね。感覚で仕事をしてきたというあなたはセンスのある人なんでしょう」

 「世良君。わしもそう思うよ。社長は人を見る目がある。君は抜擢されたんだ。今、頑張らなくて、いつ頑張る。敢えて言おう。頑張れ!」

 「ありがとうございます。加藤さん、祭林課長。少し勇気が沸いてきました。来週のプレゼンに勝負を賭けてみます」

「よしその調子」

「私は、祭林さんのプレゼンが一級品であることを知っています。指導を仰ぐといい」

「指導って、加藤さん。わしはプレゼンなんかやらしてもらったことないぞ」

「いえいえ、バス大演説、モール祭り理事会、モグラ大王、喫煙梁山泊…すべてプレゼンです」

「ああ、ああいうのがプレゼンなんですか。それなら、指導できます」

翌日、世良が企画書の案を祭林のもとに持って来た。

「甘からず、辛からず、旨からず」

「やはりそうですか」

「表現の稚拙さは素朴で新鮮だが、君らしさがない」

「僕らしさ…」

「職業人として成功する人間には、三つのタイプがある。まず『切れタイプ』。頭が良くて、スピードがある。次に『押しタイプ』。声が大きくて、相手を呑んでしまう力がある。君はどちらでもないな。わしもそうなんだが、君もきっと、『掴みタイプ』。相手に合わせて心を掴むタイプだ」

「確かに僕には『切れ』も『押し』もない。お客さんからも営業らしくないと言われてきました」

「だが、人並みの成績がある。それは、警戒させない表情、相手の気持ちを汲んだ言葉、そんなものを君が持っているからだろうと思う」

「意識したことありません」

「だからいいんだ。だが、この企画書は企画課のやつらの数字と理論に毒されて、君らしさが出ていない。ボロを出すまいとして、核心を避けているような気がする」

「それはしゃべりで、どんでん返し風に言って、驚かそうとしたのですが」

「それが出来るほど君は饒舌ではないだろう。きっと君は緊張して失敗する」

「確かに」

「小細工をしなさんな。分かりやすい言葉で、飾らずに、順序どおり書いてみてはどうだろう。きっと君はいつも、中小企業の社長さんたちにそうやって話してきたんじゃないのかな」

「祭林課長。そのとおりです。なんか、ひらめいたような気がします」

「そうか。それはよかった。わしには企画書の内容を修正する能力はない。しかし、君が外回りの経験を生かして素直に書けば、企画畑でやってきたやつらの内容を軽く凌駕できると信じている」

「祭林課長はやはり流星課長だ」

 世良は握手を求めてきた。

 プレゼン当日。

 社長をはじめ重役たちが大会議室に入ってきた。あるメーカーへの提案の方向性として、社内の一等案を決めるプレゼンだ。一等案の提出者がこのプロジェクトのリーダーとなる。

 ある社員は、いろいろな数字を持ち出して、巧みに計算をし、将来を推計したうえ、ズバッと確信に迫った。大きな拍手が起こった。またある社員はユーモアを交え軽妙な語り口で進め、最後は逆説的な結論で、出席者を驚かせた。

 そして、ついに世良の番。明らかに上がっていた。壇上で名前を言ったきり、沈黙となった。「おい、どうしたんだ」と専務に言われ、息が止まりそうになったとき、最後列から世良に向かって手を動かしている男が見えた。祭林である。ソフトボールチームのブロックサインだと分かった。

 襟のあたりを触るサインは、こう言っていた。「ストレート勝負。思い切っていけ!」

 世良は息を大きく吸い込み、大きな声で話し始めた。うるさい町工場の事務所で話す声だ。彼の企画書は、他者の物とまったくちがい、数字もグラフもない。中小企業経営者の写真と言葉がリズムよく並べられていた。そこから導き出された結論も少しニュアンスの違うものであった。

 後ろの方で「発想が貧困だ。やはり、外回りから企画は無理だな」という声を、祭林は聞いた。「お前らこそ頭が固いんじゃないのか」と言ってやった。

 世良は一等案を取った。

 推計ではなく実際の声を基礎とする説得力、地味だが実現可能性の高い提案、実直・誠実という創業者の言葉に則った精神が評価された。


 世良はまっ先に祭林に近寄ってきた。

「祭林課長。いや流星課長。ありがとうございました」

 祭林は微笑みながら、興奮ぎみの世良のスーツの襟を指差した。

「襟に糸がついてるぞ。そうか。君はエリート社員なんだ」

「くだらないです。僕はエリートなんかじゃありません。流星課長にそんなことを言われると悲しい」

「そうだな。すまん。…世良君、エリートなんかになるなよ」

 祭林は世良の襟から糸をつまみ取った。

「本当についていたんですか」

「君がプレゼンしてる最中も、一生懸命手振りで伝えていたのだが…」

「あれ、ブロックサインじゃなかったんですか」

「ブロックサイン?」

「祭林課長が『ストレートで行け』ってサインが出してくれたから、僕は思い切り行けたんですよ」

「何のことだ…? しかし、君のプレゼンはまだまだ磨く余地があるぞ」

「厳しいなあ。一等案を取ったのに、褒めてくれないんですね」

「はっきり言って、わしは君に嫉妬している。君の下手なプレゼンを見ながら、今度はわしの番だと燃えてきた」

「そうなんだ。まだ、後身に道を譲るつもりはないんですね」

「あたり前だ。わしは現役社員だ」

「それでこそ流星課長」

「そうだ。今度からわしのことをエリート課長と呼んでくれないか」

「呼びません。絶対に呼びません」

 祭林は大声で笑った。しかし、心の何パーセントかはエリートと言われてみたいと思ったのは確かであった。

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