お怒りの姉妹

 ゴールデウィーク明け、最初の登校日。ホームルーム前の教室内は、大半の生徒がゴールデウィーク中どう過ごしたのかを話題にしていた。


「ねえねえ、真澄ちゃんはゴールデウィーク中どこか遊びに行ったの?」


 教室内がゴールデンウイークのことで盛り上がる中、そう訪ねてきたのは珍しく早めに登校した綾音。彼女は教室に来るなり、真澄の元へと向かってきてゴールデンウイークの話題を振ってきた。


「水族館に行きましたね。真那と陽翔君と三人で」


「へえ、陽翔も誘ったんだ。水族館、どうだった?」


「とても楽しかったですよ。見たこともない魚や、綺麗な展示物がたくさんありました。それに三人で記念写真まで撮ってしまいました」


 あまりに楽しくて時間があっという間に過ぎてしまった水族館での一日。また行きたいと、そう考えてしまうほどあの時間は楽しかった。


 その証拠に、真澄はあの時三人で撮った写真を写真立てに入れて自室の目に届くところに飾ってあるのはここだけの話。


「真澄ちゃん、本当に水族館が楽しかったんだね。表情で丸分かりだよ」


「……そんなに顔に出てますか?」


「うん、凄く顔に出てるよ。真澄ちゃんって、そんなに水族館が好きだったの?」


「いえ、そういうわけではないですけど……」


 綾音の疑問に答えようとするが、上手く言葉にならずに終わる。


 確かに水族館は楽しかった。けれど水族館そのものが好きかと言われると、答えは否。


 だから思い返して表情に出てしまうほど楽しめたのはきっと、水族館が好きだからではなくもっと別の理由。


(陽翔君が一緒だったから……)


 時間も忘れて楽しめたのは、きっと彼が一緒だったから。あまりにも自然にそう結論を出してしまった自分に、真澄は驚くと同時に頬に熱が集まるのを自覚した。


 陽翔のおかげで水族館が楽しかったことが分かっただけなのに、なぜだか今すぐ自分の顔を両手で覆い隠してしまいたい衝動に駆られた。もちろん実際にはしないが。


「そ、それよりも、綾音さんはゴールデンウィーク中はどういう風に過ごされたんですか?」


「え、私? 私はねえ……えへへへへ」


 綾音の表情が、これ以上ないくらいダラしなく緩む。ゴールデンウィーク中何があったかなんて、訊くまでもないくらいの緩みっぷりだ。


「ええと、まずゴールデンウィーク初日にね――」


 そこから始まったのは、綾音のゴールデンウィーク中の出来事に関する話。ゴールデンウィーク中の出来事といってもほとんど大地とデートをしていたので、実質ただの惚気話だ。


 陽翔なら強制的に終了させるだろうが、心優しい真澄はそのような真似もできず聞き役に徹することにした。


「あ、そういえば話は変わるんだけどさ。真澄ちゃんって、もうプレゼントは用意した?」


「プレゼント? 何のことですか?」


 唐突な脈絡のない話に、真澄は首を傾げる。


「陽翔にあげるプレゼントの話だよ。もう少し先の話だけど、真面目な真澄ちゃんならとっくに用意してるかなって思ったんだけど……その様子だとまだなのかな?」


「陽翔君へのプレゼント? すいません、綾音さん。いまいち話が見えてこないんですけど……」


 綾音の説明を聞いても、真澄の疑問は深まるばかりだ。そもそも、何の理由があって陽翔へのプレゼントを用意すのかが不明だ。


 陽翔だっていきなり理由もなくプレゼントを渡されても、喜ぶよりも困惑してしまうはずだ。


「……もしかして真澄ちゃん、知らないの? もう少ししたら陽翔の――」


 綾音の続く言葉に、真澄は大きく目を見張った。


 まず最初に彼女を襲ったのは驚愕。綾音からもたらされた情報は、真澄を驚愕させるには充分なものだったからだ。


 けれど時間経過で落ち着きを取り戻すと、次に彼女の胸の内を支配したのは……明確な怒りだった。






 ……何かがおかしい。


 陽翔がそう感じたのは、いつも通り黒川家の部屋を訪れて十分ほど経った頃のことだった。


 別に何かが普段と比べて大きく違うというわけではない。真澄はいつも通りキッチンで夕食の準備をしているし、真那は陽翔と一緒にソファーに座っている。


 一見するといつもと変わらぬ光景だ。唯一違う点を挙げるとすれば、この場を満たす張り詰めた空気。些細ではあるが、明らかにいつもと違う。というか、陽翔の気のせいでなければ二人は怒ってるように見える。


 しかし二人は怒ること自体が稀だし、理由もなく怒るような理不尽な性格もしていない。まず間違いなく理由があるはずだが、残念なことに陽翔には心当たりがない。


(うだうだ考えても仕方ないよな。こうなったら、直接訊くか)


 本人から話を訊いた方が手っ取り早いという結論に達する。もちろん、バカ正直に「何で怒ってるんだ?」訊ねるのではなく、あくまで遠回しに訊いて探るような形でだ。


「なあ真那、ちょっと訊きたいことが――」


「陽翔お兄ちゃんのバカ」


「……え?」


「陽翔お兄ちゃんのバカ」


 いきなりの罵倒、しかも二回。真那はいつもの愛らしい顔をムっとした表情に変えると、プイっとそっぽを向いてしまった。


「…………」


 ちょっと声をかけただけで、こんな仕打ちを受けるとは思いもしなかった。取り付く島もないとは、まさにこのことだ。


 ここまでの対応をされるということは、二人の怒りは相当のものなのだろうが……今の陽翔はそれどころではなかった。


(……真那にバカって言われた)


 普段から「陽翔お兄ちゃん」と呼び慕ってくれる真那の罵倒は、思いの外陽翔にダメージを与えているのだった。


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