姉妹ゲンカ
「お姉ちゃんのバカ!」
それは、ホワイトデーから数日後の昼過ぎのことだった。
外出していた陽翔が自分の部屋の前まで戻ってきたところで、隣室――つまり黒川家の方から大声が外にまで響いてきた。
次いで隣室のドアが勢いよく開かれ、中から真那が姿を現した。真那は眦に涙を溜めており、いつもの天真爛漫さは鳴りを潜めていた。
「お姉ちゃんなんて大嫌い!」
そう吠えてから、真那は陽翔の存在に気付くこともなく、エレベーターの方へ走り去ってしまった。
「……何だったんだ?」
あまりにも急なことで、呆然と成り行きを見守ることしかできなかった。
いったい何があったのかは分からないが、ただ事でないことだけは明らかだ。
「あ、戸倉君……」
真那のいなくなった方向を見続けていると、今度は開かれたドアの向こうから真澄が姿を現した。
「よう、黒川。真那が今出て行ったけど、ケンカでもしたのか?」
「はい、少し口論になってしまいまして……もしかして、聞こえてましたか?」
「ちょっとだけな。真那が凄い剣幕で出て行ったから、何事かと思ったぞ」
真澄がバツの悪そうな顔をする。
「……お恥ずかしいところを見せてしまいましたね。騒がしくしてしまって、すいません」
「別にあれぐらいのことで文句を言うつもりはねえよ。それより口論の原因は何だったんだ? 真那があそこまで言うなんて、余程のことだろ」
「……大したことではありませんよ。戸倉君には関係のないことですから、気にしないでください」
陽翔には触れてほしくないのか、少し冷たい物言いだ。
口論の原因が気にならないと言えば嘘になるが、あまりズケズケ踏み込むのも良くないだろうと断念した。
「追いかけなくていいのか? 今ならまだ追いつけると思うぞ」
「……しばらく放っておきましょう。今追いかけても、また先程の続きをすることになるだけでしょうし。あの子も暗くなる前には戻ってくるでしょう」
過保護な真澄にしては珍しい、突き放したような発言。それだけ真澄もお怒りということだろうか。
陽翔としてはいなくなった真那のことが心配ではあったが、真澄の言うことにも一理ある。ケンカの後は、少し時間を置くことも必要だ。
真澄の言う通り、暗くなる前に帰ってくれば問題ないかと結論づけて、真那を追おうとはしなかった。
――後にこの時の判断を後悔することになるとは、今の陽翔はまだ知らない。
「戸倉君、真那はそちらに来ていませんか?」
夜闇が空の大半を覆う時間帯。珍しく陽翔の部屋を訪ねた真澄の第一声は、妹の所在を問うものだった。
「来てないけど……まさか、まだ帰ってないのか?」
「は、はい、いつもならケンカをしても暗くなる前には帰宅していたのに……もしかして何か事件に巻き込まれて――」
真澄の声は微かに震え、顔色は真っ青になっていく。普段の冷静な姿からは想像もつかない様子だ。
真那が出て行ったからすでに数時間は経過していおり、外はすでに暗くなっている。少なくとも、小学一年生の女の子が一人で出歩いていいような時間ではない。
大事な妹が未だに帰宅していないのだ。平静でいろという方が無茶な話だろうが、慌てても何も始まらない。
「落ち着け、黒川。まだ真那に何かあったって決まったわけじゃないだろ。悪い方向に考えすぎるな、ひとまず冷静になれ」
真澄の両肩に手を置き、言い聞かせる。
陽翔の言葉が通じたのだろう、未だに顔色は晴れないが「……はい」と小さく頷き多少の落ち着きを取り戻してくれた。
「とりあえず真那を探してみよう。どこか真那が行きそうな場所に心当たりはないか?」
「すいません、心当たりはちょっと……ただ、あの子には普段から知らない場所には行かないよう言い聞かせていましたから、そこまで遠くには行ってないと思います」
「そうか、なら近場を探し回ってみよう。もしかしたら、意外と近くにいるかもしれないしな」
今後の方針を決めてから、陽翔はスマホを取り出して電話をする。相手は綾音と大地だ。
陽翔と真澄の二人だけでは人探しをするには人手が足りなすぎるので、二人の手も借りようと判断してのことだ。こんな状況だ、綾音たちも嫌だとは言わないはずだ。
早速綾音と大地に連絡をして事情を話すと、突然のことであったにも関わらず二人は二つ返事で協力を申し出てくれた。
「――じゃあ、よろしく頼むな」
電話を切ってから、真澄の方に向き直る。
「黒川、綾音たちも手伝ってくれるってよ。俺たちも行こう」
「はい……あの、戸倉君」
「ん? どうした?」
玄関へ進めていた足を止めて振り向くと、真澄が突然頭を下げてきた。
「迷惑かけてしまってごめんなさい。それと……ありがとうございます。私一人では狼狽えるばかりで、何もできませんでした。戸倉君がいてくれて、本当に良かったです」
「まだ真那が見つかったわけじゃないんだ、お礼を言うのは早いんじゃないか?」
「もちろん分かっています。それでも、言わせてほしいんです。このお礼は何らかの形で必ずお返しします」
「普段から世話になってるんだ、別にお礼なんていらねえよ。どうして何かしたいって言うのなら、後で真那とちゃんと仲直りしてくれ。俺は仲のいいお前らが好きだからさ」
「……はい、必ず」
真澄は小さく頷き、陽翔と約束を交わした。
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