バレンタイン翌日

 バレンタイン翌日。学校は昨日までの甘ったるい雰囲気が嘘のように、いつも通りに戻っていた。


 陽翔が教室に来ると、なぜか彼の机の前に大地と綾音の二人が立っていた。


「あ、陽翔が来たよ、大地」


「やっと来たか、待ちくたびれたぞ」


 向こうも陽翔の存在に気付いたようだ。こちらに駆け寄ってくる。口振りからして、二人は陽翔が登校するのを待っていたようだ。


 大地のみならず、他クラスであるはずの綾音までわざわざ陽翔のことを待っていたという状況に、嫌な予感を覚える。


「……何の用だよ、お前ら」


「何の用って、陽翔が来るのを待ってただけだよ。ねえ、大地?」


「そうそう。だからそんなに警戒するなよ。ただちょっと訊きたいことがあるだけなんだ」


「訊きたいこと?」


 二人揃って、朝っぱらからいったい何を訊きたいのかと首を傾げる。


「陽翔さ、今年はバレンタインチョコいくつもらえたのかな? 一つ……なんてことはないでしょ? 今年の陽翔は、私以外にもくれる相手がいるもんね」


「具体的には、二人くらいいるよな?」


 グイっと詰め寄ってくる二人。瞳には好奇心の色が宿っており、ちゃんと話すまで追求され続けるだろうことは容易に想像できた。


 いったいどこから、陽翔がチョコをもらったという情報を嗅ぎつけたのやら。


「……お前らの想像してる通りだ。あの二人からチョコをもらったよ」


「どんなチョコもらったの? やっぱりハート型に『LOVE!』とか書いてあった?」


「やっぱりって何だよ。もらったのは、普通の手作りのチョコだ」


 綾音たちが期待しているような奇抜なチョコでないことを告げるが、予想に反して二人は顔を見合わせてからニヤリと口角を吊り上げた。


「へえ……もらったのって手作りのチョコだったんだ?」


「何だよ、俺が手作りのチョコをもらったら悪いのかよ?」


「別にぃ? ただ真那ちゃんだけじゃなくて、黒川さんからもお手製チョコをもらえたんだなあ、って思っただけだよ。あ、ちなみに昨日学校で黒川さんからチョコをもらったって男子はいないんだけど、知ってた?」


「…………」


 綾音は含みのある物言いをするが、陽翔は固く口を閉ざした。






 一日の授業が終わり、迎えた放課後。綾音たちからもらったチョコのことを追求されたせいか、今日はいつもよりもドっと疲れてしまった。


 重たい足取りで学校を出て帰宅すると、陽翔は制服から着替えてから隣室の真澄の元へ向かった。


「今日は随分と早いですね。何かありましたか?」


 いつもより早い時間に訪れた陽翔に、帰宅したばかりであろう制服姿の真澄は目を丸くした。


「いや、特に何かあったわけじゃないんだ。ただちょっとお礼を言っておきたくてな」


「お礼……ですか?」


 真澄が可愛らしく小首を傾げる。


「黒川、チョコありがとうな。凄く美味かった」


「……そう言ってもらえたのなら何よりです。私も腕を振るった甲斐がありました。……もしかして、それを言うためだけに早めに来たんですか?」


「学校じゃ人目もあって言えなかったからな。チョコ、本当に美味かったから早く言っておきたかったんだ」


「そこまで大したものではなかったと思いますけど……」


 言葉を尻すぼみさせながら、真澄は顔を背けた。


「――お姉ちゃん、誰が来てるの?」


 どうやらすでに帰宅していたらしい真那が、リビングから顔を出した。真那は陽翔の姿を視界に収めると、パっと表情を輝かせて駆け寄ってきた。


「陽翔お兄ちゃんだ! いつもより早いね、どうしたの?」


「黒川に昨日のチョコのお礼を言いに来たんだ」


「そうなんだ。お姉ちゃんのチョコ、そんなに美味しかったの?」


「ああ、美味かったぞ」


 陽翔がそう答えると、真那は真澄の方に向き直り口元を緩めた。


「陽翔お兄ちゃんが喜んでくれて良かったね、お姉ちゃん。いっぱい練習した甲斐があったね!」


「いっぱい練習?」


 真澄の方を振り向く。


 すると真澄は、目に見えて分かるほど顔色を朱に染め上げていた。それから真那を見下ろすと、押し殺したような声で真那に釘を差した。


「……真那、余計なことを言わないでください」


「何で? お姉ちゃん、陽翔お兄ちゃんのために凄く頑張ってたよね?」


「そういうことは、わざわざ言わなくていいんです」


「でもお姉ちゃん、たくさんチョコレート作ってたよね。私、お姉ちゃんの試作品でお腹いっぱいになったもん!」


 真那の言葉が真実なら、相当の数練習したのだろう。チョコだけでお腹いっぱいになるには、余程の数を作らなければならないはずだ。


「全く……言わなくてもいい余計なことを言うのは、この口ですか?」


「お姉ちゃん? 何をして――いひゃいいひゃい! お姉ひゃん、いひゃいよ!」


 警告を無視した罰とでも言わんばかりに、真那のマシュマロのように柔らかそうな頬が真澄の手によって左右にグイっと引っ張られている。


 真那が涙目で痛みを訴えるが、真澄は表情一つ変えることなくプニプニの頬を伸ばし続ける。


 グイっと面白いくらい伸びる真那の頬。しばらくして満足したのか、真澄は真那の頬から手を離した。


 真那は涙目で頬をさすってから距離を取り、ムっとした表情で「お姉ちゃんのバカ!」とだけ言い残してリビングへと駆けていった。当然の反応である。


「黒川、流石に今のはやりすぎなんじゃないか? 真那、ちょっと泣いてたぞ」


「……私は悪くありません。悪いのは余計なことを言った真那です」


 まるで叱られる子供のように、幼稚な言い訳をしながらそっぽを向いた真澄。陽翔と目を合わせないのは、自分に非がある自覚があるからだろう。


「……戸倉君に渡すから、悩んだんですよ。戸倉君にはたくさんお世話になっていますから、中途半端なものは渡したくなかったんです」


「中途半端って……」


 所詮は義理チョコ、真剣になって作る必要はない。だというのに全力で取り組んだのは、真澄の生真面目さ故のことだろう。


 真澄らしいと苦笑する反面、自分のために一生懸命になってくれたことに、口元が緩む。


「なら、ホワイトデーは相応のお返しをしないとな。黒川、何かほしいものはあるか?」


「お返しなんて気にしなくていいですよ。見返りを求めたわけではありませんし、戸倉君には普段からお世話になっていますから」


「気にしないわけにはいかないだろ。黒川だって逆の立場なら、一方的にもらうだけってのは嫌だろ?」


「それはそうですが……」


 それなりの付き合いになってきたので、真澄がホワイトデーのお返しを遠慮することは想定済みだ。


 だから陽翔は、真澄が断りづらい言い回しをした。それは功を奏したようで、真澄は口ごもってしまった。


「そういうわけだから黒川、俺のことを思ってくれるのなら遠慮はしないでくれ。まああんまり期待されても、応えられるかは分からないけどな」


「そんなこと言わないでください。……戸倉君がくれるものなら、何であれ私は嬉しいですよ?」


「…………」


 真澄のことだからあまり気負わないようにという配慮で言ってくれたのだろうが、そういう言い方をされると男としてのプライドを刺激されてしまう。


(これは真剣に選ばないとな)


 真澄に喜んでもらえるよう、頑張ろう。胸中でそう誓う陽翔だった。



 

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