試験勉強

 十一月下旬の放課後の学校にて。


「助けて、陽翔えもん!」


 某ネコ型ロボットに助けを求める小学五年生のようなノリで、下駄箱で靴に履き替えようとしていた陽翔を呼ぶ者がいた。隣のクラスの綾音だ。


 こういう時の綾音は、ロクな話を持ってこないことは長い付き合いで嫌というほど分かっている。猛烈に嫌な予感がしたが、無視したところで話を聞くまで付き纏ってくることは分かっていたので仕方なく応じる。


「……何だよ綾音。さっさと帰りたいから、話があるなら手短にな」


「む、ツレない反応だね陽翔。何か嫌なことでもあった?」


「ああ、丁度今な」


「へえ、それはご愁傷様」


 嫌味で言った皮肉は軽く流された。


「そんなことより聞いてよ陽翔。今度期末テストがあるんだって。陽翔知ってた?」


「当たり前だろ。あと二週間もしない内に試験期間に入るんだ、知らない奴の方が少ないだろ」


「私はついさっきまで知らなかったよ」


「威張って言うな」


 全く誇れないことを胸を張って口にする綾音に、呆れながら言う。綾音は勉強が苦手だから、つい先程まで現実逃避していたんだろう。


「で、肝心の話ってのは何なんだ? 今言ってた期末試験に関することなのか?」


「察しが良くて助かるよ、陽翔。実は今回の試験勉強を陽翔に見てもらいたいなあって思って。ほら、陽翔って成績いいでしょ?」


「何で俺に頼むんだよ。大地に頼めよ。あいつも成績は悪い方じゃないし、何より彼氏だろ?」


 綾音だってただの友人から教わるよりも、愛する彼氏から教わる方が嬉しいに決まっている。


「いやあ、私もそうしたいのは山々なんだけど……ほら、二人きりだと勉強どころじゃなくなるからさ」


 二人の仲は見ている方が恥ずかしくなるくらい熱々だ。そんな彼女たちが二人きりで勉強しようとすればどうなるか、容易に想像ができてしまう。


「お前ら、自制心ってものはないのかよ……」


「ふっ……私たちの恋心っていうのは、試験勉強如きで抑えられるほど軽いものじゃないんだよ」


「威張るな、バカ」


「バカとは失礼な。私は恋愛に一途なだけだよ」


 だからバカと評したわけだが、彼氏同様恋愛脳の彼女は理解できてなさそうだ。


「とにかくそういうわけだから、私の勉強見てよ。陽翔なら、今回の期末も余裕でしょ?」


「別に余裕ってわけじゃねえよ」


 期末試験は前回の試験と比べると、範囲がかなり広い。故に成績上位に入る陽翔でも決して余裕があるというわけではない。


 というか、単純に綾音に勉強を教えるのが面倒臭い。人に教えることが上手いというわけでもないので、できれば避けたいところだ。


「お願いだよ陽翔! 私、今回の試験は絶対にいつもよりいい点数を取らないといけないの!」


「うっとおしいから、引っ付くのはやめろ。というか、何で今回に限ってそこまで必死になるんだよ? 普段は赤点ギリギリの点数でも気にしないくせに」


 珍しく必死な様子の綾音が気になり、事情を訊ねてみる。もしかしたら、余程の理由があるのかもしれない。そうだとしたら、手を貸すのも吝かではない。


「必死にもなるよ。だって今回悪い点を取ったら――お小遣いを減らされちゃうんだもん!」


「……真面目に聞いて損した」


「あ、何その心底呆れたと言わんばかりの溜息は。こっちは死活問題なんだよ!」


「死活問題って……たかがお小遣い如きで大袈裟な奴だな」


 同じ学生の身として小遣いの重要性は陽翔も理解しているつもりだ。しかし死活問題というほどではない。


「全然大袈裟じゃないよ。お小遣いが減らされたら、大地とデートする回数減らさなくちゃいけなくなるもん」


「減らした回数分の時間を勉強に当てれるようになるだろ。良かったな」


「……そこは普通、『そういうことなら仕方ないな。友達の幸せのために、俺も一肌脱ごう』とか言うべきじゃないの?」


「そんなの知ったことか。普段から勉強してないお前が悪いんだろ」


「陽翔の冷血漢」


 子供のようにプクリと頬を膨らませ、非難する綾音。嫌味でも言ったつもりなんだろうが、残念ながら陽翔は痛くも痒くもない。


「どうしても助けてくれないの?」


「ああ、完全にお前の自業自得だからな。自分でどうにかしろ。俺もそこまで暇じゃないんだよ」


 あえて突き放すような言い方をする。心が痛まないでもないが、綾音はこれくらいはっきり言わないと諦めないから仕方ない。


「ちえ……そこまで嫌がるならもう陽翔には頼まないからいいよ。代わりに陽翔よりずっと成績のいい黒川さんに頼むもん!」


「おい待て、誰に何を頼むって?」


「だから、黒川さんに勉強を教えてもらえるよう頼むんだよ。学年トップの成績の黒川さんに教われば、私の成績だって上がるはずでしょ?」


 陽翔は学年でも上位の高成績だが、学年トップの真澄には及ばない。真澄は教えを乞う相手としては、ベストと言っていいだろう。


「というわけで、早速黒川さんにお願いしてみるね。黒川さん、まだ教室にいるかな?」


「待て待て。お前、本気で黒川に教わるつもりなのか? 迷惑になるからやめとけよ」


「陽翔は大袈裟だね。私は勉強を教えてって頼むだけだよ?」


「それが迷惑だって言ってんだよ」


 綾音は結構押しが強い。以前二人が顔を合わせた際は、綾音の勢いに気圧されていたので、もしかしたら綾音のお願いを断り切れないかもしれない。


 綾音はどうでもいいが、自分の友人のせいでお世話になっている隣人が被害を被るのは心苦しいものがある。


「迷惑になんてならないよ。ほら、私たちってこの前友達になったじゃん。友達なら、一緒に勉強してもおかしくないでしょ?」


「それは……」


 確かに友人同士なら、一緒に勉強してもおかしくはない。おかしくはないが……。


「はあ……綾音、黒川に頼むのはやめろ。代わりに勉強は俺が見てやるから」


「え、いいの? さっきは断ったのに、どういう心境の変化?」


「別に大した理由はねえよ。ただ、お前の勉強を見させられる黒川が可哀想だと思っただけだ」


「私の勉強を見ることが罰ゲームみたいな言い草だね」


「気のせいだろ」


 事実罰ゲームのようなではなく罰ゲームそのものだが、それを言うと綾音は拗ねるのであえて黙っておく。


「まあ陽翔が勉強を見てくれるっていうのなら、ありがたくお願いさせてもらうね。……けど、面倒臭がりの陽翔が他人のために動くなんてちょっと意外だな。やっぱり相手が黒川さんだから?」


「……黒川には日頃世話になってるからな。何か恩返しをしてやりたいと思うのは、当然のことだろ」


 真澄には、常日頃何かと世話になっている。その真澄のためだ、多少の労力を割くぐらいはしてもバチは当たらないはずだ。


「……だから、ニヤニヤするのはやめろ。今お前が考えてることは勘違いだからな」


「はいはい、そういうことにしておいてあげるよ」


 冷やかすような笑みを絶やすことなく、綾音は引っかかる物言いで答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る