友達

「ねえねえ黒川さん」


 口止めを終えた後。これ以上この場にいる理由はないからと席を立とうとしたが、その前に綾音がテーブルから身を乗り出し、正面に座る真澄へと詰め寄った。


「な、何ですか?」


 常日頃クールな真澄ではあるが、これには流石に戸惑う。


「せっかく会えたんだから黒川さんと仲良くなりたいなと思って」


「仲良く……ですか?」


「ほら、黒川さんとまともにお話したのってこれが初めてじゃん。クラスが違うから、体育の授業の時ぐらいしか会わないし。だからこの機会に仲良くなりたいんだ」


「そ、そうですか」


 説明はされたものの、いまいち話を呑み込めていない様子の真澄。綾音の行動があまりにも突発的なので、仕方のない反応ではある。


「あ、黒川さんは私のことどれぐらい知ってるのかな?」


「クラスが違いますから名前ぐらいしか……ごめんなさい」


「ううん、謝らなくていいよ。そういうのはこれから知っていけばいいことだし」


 綾音は特に気分を害した様子もなく言った。こういう快活さは綾音の数少ない長所の一つだ。


「というわけで、これからよろしくね、黒川さん」


「は、はい、よろしくお願いします……」


 綾音が邪気のない笑みでスっと差し出した手に、真澄は恐る恐るといった感じで自分の手を伸ばし絡める。


 綾音の底抜けの明るさは良くも悪くも他人を振り回す。真澄相手の場合それがどちらに転ぶか分からないが、できることならいい方向に転がることを願いたい。


 しばらくして握っていた手を離すと、綾音はまじまじと真澄を見る。


「……それにしても、こうして近くで見ると黒川さんって本当に美人だね。何かもう、本当に同じ生き物なのかって疑問になっちゃうくらい綺麗だよ。何か特別なこととかしてるの?」


「いえ、特別なことは何も」


「え、本当に何もしてないの?」


「はい、必要最低限のケアはしていますが、特別なことはしていません」


「それでそんなに綺麗なんだ……羨ましいなあ。私なんてちょっと油断すると、全然ダメになるのに……」


 羨望の眼差しが真澄に注がれる。


 本人には絶対に言わないが、陽翔は綾音も十分美少女として通じる整った顔立ちをしていると思っている。


 だからそこまで真澄を羨む必要はないと思うが、男には理解できない女性特有の悩みというやつがあるのだろう。


「安心しろよ綾音。俺は今の綾音も十分すぎるくらい可愛いと思ってるぞ」


「大地……」


「綾音……」


 再び二人だけの甘い空間が構築される。そういったことは、もっと人目がつかない場所でやってほしいものだ。


「……お二人共、とても仲がいいんですね」


「黒川、素直に時と場所を考えろって言っていいんたぞ。このバカップル共はそれくらい言わないと、分からないからな」


 というか、先程注意したばかりだというのにもうイチャついている時点で言っても意味がないことは明らかだ。世の中のカップルというのは、全員こうなのだろうか。


「おいおい陽翔、俺たちのことをバカップルなんて……そんなに褒めるなよ」


「……その返しは流石に予想外だったわ」


 親友の想像以上のバカップルぶりに、陽翔は戦慄を禁じ得なかった。






「……今日は悪かったな、黒川」


 大地たちと喫茶店でお喋りをして別れた後。すっかり日が暮れた夜空の下、真澄と帰路についていた陽翔はポツリと謝罪を溢した。


 横を歩いていた真澄は、足を止めないまま陽翔の方に顔だけ振り向く。


「どうして謝るんですか?」


「どうしてってそれは……」


 理由など考えるまでもないことだろうに、真澄は不思議そうに首を傾げた。


「先程の件なら、すでに一度謝罪はしてもらっています。そもそも天道さんと遭遇したのは、戸倉君の責任ではありません」


「けど、今日誘ったのは俺だからな……」


「誘いに応じたのは私です。仮に責任があるとしても、戸倉君一人で負うものではありません。それに天道さんたちは、私たちのことは黙っていてくれると言っていたじゃないですか」


 人目のある場所でもお構いなしにイチャつくようなバカップル共ではあるが、それなりの付き合いもあり約束を平気で破らないと確信できる程度には信頼している。


 だから考え方によっては、バレたのがあの二人で良かったとも言える。他の者だったら、事態はよりややこしいことになっていたに違いない。


「けど、綾音が絡んできてウザくなかったか?」


「ちょっと驚きはしましたが、ああいう元気な人は嫌いではありません」


「そうなのか?」


 真澄と綾音は性格が全くといっていいほど違うので、真澄の反応は少し意外だ。


「その、こういう言い方は失礼かもしれないんですけど、天道さんは真那によく似ている気がして……」


「あー……」


 言われてみれば、綾音の快活さは真那の無邪気さと通じるものがある。似ているというのも納得だ。


 二人の違う点を挙げるとすれば、それはウザさだろう。綾音はグイグイと遠慮なしに踏み込んでくるのに対して、真那は邪気のない純粋な好意で接してくる。陽翔が真那を邪険に扱わないのも、真那には一切悪意がないからだ。


「苦手なタイプとかじゃないならいいんだ。ただあいつ、他人との距離感とか気にせずグイグイ来るから、嫌だったらちゃんと言った方がいいぞ。具体的には引っぱたくとか……」


「暴力はダメですよ」


「それぐらいしないと、あいつは止まらないと思うけどな」


 こればかりは、実際に経験するしかない。綾音のウザさを身をもって知れば、真澄の考えも変わるはずだ。もちろん可能なら、真澄に害が及ぶ前に綾音を窘めるつもりではあるが。


「まあ悪い奴ではないから、黒川さえ良ければ仲良くしてやってくれ。向こうは大分黒川のことを気に入ってるみたいだしな」


 綾音のことだ、これから真澄とどんどん距離を縮めていくだろう。他人との距離感なんてものを意識しない綾音だからこそできる芸当だ。


 何より真澄の綾音に対する印象も決して悪いものではないようなので、割とあっさり仲良くなれるだろう。二人の仲睦まじい様子も、容易に想像がつく。


「……むう」


 なぜだろう。二人が仲良くする姿を想像しただけで、少しだけ面白くないと感じてしまった。


 陽翔と真澄は夕食を共にするだけの、ただの隣人。それ以上でもそれ以下でもない。真澄がどこで誰と仲良くしようが陽翔には関係のないことだというのに、引っかかってしまった。


(何で黒川が他の奴と仲良くなるくらいで、こんな気持ちになってるんだよ。一緒に外出したくらいで彼氏気取りか?)


 自身のくだらない独占欲に毒を吐く。こんな気持ちになったのは、学校の人間で真澄と最も親しいのは自分だという驕りがあったせいに違いない。


「戸倉君? 急に黙り込んでしまいましたが、どうかしましたか?」


「いや、何でもないから気にしなくていい。それよりも今日買ったプレゼント、真那が喜んでくれるといいな」


「そうですね」


 隣を歩く真澄に胸中の想いを悟られまいと、話を逸らす。


 陽翔は自身の湧き上がってくる感情を『独占欲』と決めつけ、頭の隅に追いやった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る