第四十八話 悪い話がたくさんある

 窓から一羽のトンビが入り込んできた瞬間、アラレスタは地面に膝をついて頭を垂れた。

 以前にロンジェグイダさんと会った時はもっとフランクな雰囲気だったが、霊王ウチェリトに対してはこのような対応をするものなのだろう。


 一応、俺も彼女に倣って膝をつき頭を垂れる。思えば、俺は今まで彼ら大陸の守護者に対して、かなり失礼な対応をしてきたと思う。それを、今から訂正するべきだ。せっかく協力関係を結べそうなのだから、この機を逃すわけにはいかない。


「おはよう二人とも。いや、早朝と言うには少し日が昇っているな。まあ良い。今日はお前たちに用があって来たのだ。後でプロテリアにも話を通してもらおうと思っているが、ひとまずは二人だけでも良い」


「わざわざお越しいただいてありがとうございます。本日こちらからお伺いさせていただこうと思っていたのですが、見ての通りエコノレ君がこの調子でして。日を改めなければいけないところでした」


 アラレスタ、意外にも敬語がしっかりしているな。普段から丁寧な言葉遣いだが、逆にこういう形式ばった言い方はしないもんかと思っていた。いつも明るい調子で喋っているから、フォーマルなイメージがなかったんだろうな。


「……申し訳ないが、ウチェリト殿。難しい話の前に治療を済ませてもよろしいか。今朝は遅くまで寝ていたから、まだ魔力対流症の治療を受けていないのだ」


「ふむ、そのようだな。お前の病気を進行させないのは最優先事項だ。我も手早くとは言わない。ゆっくり、時間をかけて正確に処置をすると良い。お前の身体一つに、この大陸そのものがかかっているのだからな」


 改めてそう言われると、とても緊張するな。特に、彼のような人知の及ばない大いなる存在が指摘すると、今まで以上に恐ろしさと実感が襲ってくる。

 しかし、これは早いうちに受け入れなければならない。実家でそうしていたように無視するのではなく、自らこの病について知らなければならないのだ


 俺はベットに座りなおし、上半身の服を脱いでアラレスタに背中を向ける。

 正直に言うと、これが一番しんどい。周りにはもう慣れたと見栄を張ったが、俺のように恋愛経験の乏しい男が、アラレスタのように可憐で美しい女性に裸を見られて大丈夫なはずがない。ましてその手が肌に触れるなど。


 彼女の細く優しい手が俺の背中に触れる。魂臓により近い部分、肩甲骨の間に彼女の手が這うと、それだけでなんだか恥ずかしいような気がしてくる。だが、ここで変に反応しては、それこそ恥を晒すだけだ。


「なあ、アラレスタ。普段よりもねっとりしていないか。いや! 俺の気のせいだったら良いんだ。ただ、何かわざともったりやってはしないか?」


 彼女にしか聞こえないような小さい声で語りかける。

 なんだろうか、普段よりもアラレスタの手を鋭敏に感じるのだ。指の些細な動きも際立っている。それを、変に意識してしまうのだろう。


「す、すいません。ウチェリト様が見ているので。それに、先程ゆっくりやれとおっしゃっていたので。でも、エコノレさんもちょっと抵抗しようとするのやめてください。筋肉がこわばってると、魔力を取り出しづらいんですよ」


 ウチェリトさんに聞かれないようにと思ってのことか、アラレスタはわざわざ俺の耳元で話しかけてくる。それが余計に俺をこわばらせるとも知らないで。


 しかし、筋肉に力が入っていると魔力は取り出しづらくなるのか。意外だったな。

 なんかこう、魔術師って腕に力を入れて魔法を使っているイメージがあった。けどあれは、腕の筋肉じゃなくて、もう少し別の部分に力を入れていたんだろうな。


「……この治療はどのくらいの頻度でやっているんだ?」


「そうですね。私の魔力用量にも限度がありますので、一応一日三回、食事の度に様子を見て治療を行っています。……たまに、昨日のようなイレギュラーがあって治療を出来ない場合もありますが、そのときは夜中にこっそり、勝手に魔力を抜き取っております」


 彼女の言う通り、基本的には毎日、毎食ごとに治療を行っている。取り出す魔力はその時々によってまばらで、時間がかかる時もあれば、すぐ終わる時もある。それは、アラレスタの魔力消費次第だな。以前より魔法を使う機会が多くなったと言っていた。


「……ちょっと待て、何だそれは。聞き捨てならないな。え? アラレスタ、俺が寝ている間に勝手にこの治療を行っていたのか? 確か、ランジアが編んでくれたこの寝巻は魔力を阻害するとか何とかで、上半身は脱がないといけないって話だったよな?」


「そうですよ? もちろん、治療を行うときは上半身を脱がせています。……何をそんなに驚いているんですか? 元々そういう目的のために、私はエコノレさんと同じ部屋に寝泊まりしているんですよ? っと、そう言ってる間に治療は終わりです」


 ま、マジか。ここ最近受けた中でも一二を争う衝撃だ。 

 え? アラレスタがこの部屋で寝泊まりしているのは、エコテラが心配だったとかそういうのじゃなかったのか? 当時からエコテラとは仲が良かったから。


 っていうか、カッツァトーレもそうだったけど、精霊種ってのは男女関係とか、性的なそういうモノに疎いという、興味を持たないのだろうか。

 いや、それにしては、以前アラレスタは俺の朝〇ちをマジマジと見ていたが……。


「終わったのなら本題に入らせてもらう。実は、悪い知らせが沢山あってだな。はてさてどれから話せば良いものか。何分、どれも重要事項だ」


 ……考えるのは後にしよう。どうやら難しい話が始まりそうだ。

 いったいどのような話なのだろうか。俺たちに関係するということは、確実に商店は絡んでくるだろう。しかし、霊王ウチェリトがわざわざ俺たちに頼むことなどあるだろうか。


「そうだな、決めた。まず最初だが、いきなりで悪い。重たい話だ。……実は、コンマーレが故郷での交渉に難航している。交渉というのはつまり、お前の病気を治すための方法について、知恵を貸して欲しいということだな」


 言われて思い出した。俺たちが商店を開店するうえで欠かせない存在。コンマーレさん。

 彼は今、いったい何をしているのかと、たまに気にはなっていたのだ。まさか、こんなに長い期間交渉を粘ってくれていたとは。


 タイタンロブスターというのは、とても長い時を生きる。それこそ、100年や200年。最年長クラスになると、2000年近く生きているそうだ。だからこそ、その知識は膨大である。それを貸してもらおうと、コンマーレさんは行動してくれていたのだ。


 しかし、コンマーレさんはアレだろうか。実家と仲が悪いのだろうか。彼は地上でも相当な身分を持っているし、前にプロテリアから聞いた限りでは、タイタンロブスターの族長とも交流のある家系だと。それでも難航してしまうものなのだろうか。


「ウチェリト様! それでは、それでは海の怪物の方はどうでしょうか。何か動きがありましたか? コンマーレさんに刺激されて、封印を破ったりはしていないでしょうか!」


「うむ、アラレスタの心配はもっともだな。しかし、今のところその心配はなさそうだ。コンマーレも細心の注意を払ってことに当たってくれている。そのようなヘマをする男ではない」


 海の怪物? どこかで聞いたような、覚えがないような。

 俺にとって海の怪物と言えば、俺を食おうとした巨大なクジラだ。思えば、あの時コンマーレさんが助けてくれなければ、俺は今ここにいない。


「ただ、コンマーレは知っての通り、アストライア族のタイタンロブスターとは少し仲が悪い。族長の力があまり重要視されなくなったこともあって、何か問題が起きているようだ。場合によっては、先代の族長がこちらに接触してくることも考えられる。その時はアラレスタも呼びつけるから、そのように思っておけ」


 知っての通り? 何も知らないが、コンマーレさんは実家どころか、この海域に住むほとんどのタイタンロブスターと仲が悪いのか? それは意外だな。


 というか、多分ウチェリトさんは言葉をオブラートに包んでいる。仲が悪いという理由で、現在役職の高いアラレスタも動かなければならないほどの事態、つまり戦いの可能性を示唆しているのだ。いったい、どんだけ仲が悪いんだ。

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