第四十七話 もう疲れました、歩けません

 次の日、俺はベットから立てなくなっていた。昨日の疲労があまりにも大きすぎたのだ。

 どうにも足が動かない。頭も全然働いていないのが良くわかる。多分、今日も昨日と同じように働くのは不可能だろう。


 窓からあたたかな日差しが差し込んでくる。普段から目覚めの悪い俺だが、今日ばかりは、日光が目元に入り込んでもまだ、起きようという気にはなれない。


「……さん、エコノレさん! ちょっといい加減に起きてくださいよ! まだ昨日のお話が終わっていないでしょう! 帰ってきてすぐに寝てしまったんですから。私がどれだけ心配したと思ってるんですか!」


 心外だなぁ。普段エコテラに起こされているアラレスタが、今は俺のことを必死に起こそうとしている。

 あ、俺はいつも起こされている側の人間か。どうにも、エコテラと俺を同一視してしまうのは、もうどうしようもないんだろうな。


「……まあ、エコノレさんに怒っても仕方ないのは分かっているんですけども。今回悪いのは、言いつけを破って一人行動しようとしたエコテラさんだし、彼女を守り切れなかったのはカッツァトーレの責任です。……けど!」


「分かっている。それじゃあ気持ちが収まらないよな。アラレスタが俺たちのことを心配してくれているのは、いつも伝わっているよ。だから、その分俺を怒鳴りつけてくれて構わない。俺もエコテラも、同一の人間であるのだから」


 俺たちは、記憶も身体も共有している。そして最近は、感情も共有するようになった。お互いに会話をすることで。それはごく一般的な人付き合いではあるけど、俺たち二人にとってはより重要な意味を持つ行為なのだ。


 会話をするようになって、俺たちはより互いを身近に感じるようになった。今までにも増して、互いを他人とは思えなくなった。エコテラの悲しさは俺の悲しさだし、俺の辛さはエコテラの辛さに直結するようになったのだ。


 だから、俺を叱ることはつまり、エコテラを叱ることでもある。アラレスタが俺たちに向ける心配は、当然エコテラも感じているのだ。だから、彼女が起こることは無意味ではない。


「……そういうの、ホントに人間の感覚だと思うんですよ。私は二重人格なんてなったことないから分からないですけど、お二人とも、精霊の感覚というのを持っていなさすぎる。私にとって、お二人はまったく別人に見えているのに。いや、別人と思っているエコノレさんを怒鳴りつけていたんですから、やっぱり八つ当たりですね。反省します」


 彼女も大概、自分の感情というものを押さえつける性質をしているよな。エコテラもそうだったが、もっと自分の気持ちというものに正直になってもいいと思うんだ。

 いや、実家で本音を隠し通していた俺に、他人をとやかく言う資格なんてないが。


「なら、気持ちを切り替えていこう。少し目が覚めたよ。商店には行かない日だが、かと言って何もしないわけにはいかない。まずは飯を食おう。そしたら少し付いてきて欲しい場所があるんだ」


 重たい足を無理やり動かしてベットから降りる。正直歩くのもしんどいくらいに疲労が溜まっているが、女性の前で無様な姿を見せて平気なほど、俺のメンタルは強くない。

 必死に顔を繕って、俺は扉まで歩く。


「今日は外出されるんですね? もちろん付いて行きますとも。それが私の役目ですから。昨日のようにはいきません。ところで……その足で本当に外出されるつもりですか? もしかして、私のこと見くびってはいないですか? そのくらい、森の精霊なら誰でもわかります」


 思わず「ギクッ」っと言ってしまいそうなほど、見事に看破されていた。

 やはり、精霊相手に人間基準で取り繕っても無駄なのだな。ただ表情を作ったり、演じたりするだけでは不十分だ。もっと根本的な部分が、彼女には見えているのだから。


「本質を見抜く力、と言ったか。精霊というのは本当に恐ろしいものだな。ウソなんか吐けたもんじゃない。……これから、霊峰ブルターニャに向かおうと思う。少し気になることがあるんだ。それを、確かめに行かなければならない」


「ブルターニャですか。疲労の溜まった足では無理ですね。海岸側は傾斜がありますし、魔獣も多い。私も最善を尽くしますが、エコノレさんにもそれなりに回避行動を取ってもらわないと危険です。おすすめはしません」


 そうだろうな。ブルターニャまで続く森は比較的安全だが、一歩山に踏み入れば、そこは人外魔境。山慣れした人手も手を焼くような魔獣が、視界に収まりきらないほど蔓延る地域と聞いている。


「少なくとも、護衛が私一人では危険ですね。確実に安全という保証がありません。どうしても行くというのなら、プロテリアにカッツァトーレも連れていくべきでしょう。ただでさえ魔獣に狙われやすい体質何ですから。……というか、あんな田舎、何をしに行くんですか? 山菜取り?」


 田舎って、アラレスタの故郷だろう。確かに木が生えているだけで何もない場所だが、精霊的には大都会じゃないのか、霊峰ブルターニャは。

 何せ、大陸の守護者である大精霊ロンジェグイダ=ブルターニャと、霊王ウチェリト=ブルターニャがいる場所だ。エコテラの故郷日本で言ったら、天皇の住んでいる場所くらいの認識じゃないのか?


「山菜取りなんてカッツァトーレに任せればいいだろう。……霊王ウチェリトさんだ。以前、彼は俺たちに接触してきた。状況が変わって、これからは支援をすることがあるだろうと。しかし、それ以降音沙汰がない。もちろんあの時のお礼も言いたいし、何が起きたのかも気になる。今後の経営に関することかもしれない」


「なるほど。あれですね? エコテラさんとイチャコラしに行って、開店時間になっても帰ってこなかった日。珍しくウチェリト様が手を貸してくれたと聞きましたけど。それは気になりますね。今すぐにでも行きましょう!」


 言い方が悪いなアラレスタは。別にイチャコラしに行ったわけではないんだが。

 しかし、珍しくアラレスタがやる気になっている。いや、普段からやる気満々ではあるが。この手の話題には興味がないと思っていた。


「意外そうな顔してますけど、お忘れですか? 私は人型精霊にしては珍しく、革新派の精霊ですよ。大長であるロンジェグイダ様の指示には従いますけど、今までウチェリト様の下で働いてきたんですから」


 なるほど、言われてみればそうだ。失念していた。

 彼女は積極的に人間の技術を取り入れようという革新派で、ウチェリトの勢力だ。その影響もあって、ウチェリトと会うのにモチベーションが高いのだろう。


「しかし困りましたね。ウチェリト様に会いに行くのは最重要事項ですが、やはりエコノレさんの体調が心配です。せめてもう少し体力が回復してからにしませんか? 明日にずらすとか」


「いや、明日は出勤だ。俺は確実に見せにいるものと考えて社員のシフトを作っているから、急に欠勤するわけにはいかない。可能なら今日中に済ませてしまいたいんだが、なんかこう、精霊の不思議パワーとかでどうにかならないのか?」


 精霊には、触れているだけで心を落ち着かせたり、動悸を抑えたりという謎の効能がある。なんかそういうので、この疲れも吹き飛んだりしないのか。足を軽くする魔法とか。


「う~ん、難しいんですよねぇ。特に治癒系の魔法はエコノレさんの体内に直接作用しますから、危険性が高いんですよ。それこそ、私の実力じゃ魔力を吸収するくらいしか出来ないですね。体力を回復させるのはちょっと……」


「それなら問題ない。丁度こちらから向かおうと思っていたところだ」


 突如、窓際からバサバサと羽ばたく音とともに、一羽のトンビが入り込む。

 およそ普通のトンビとは思えないほどの雄々しさ、逞しさ。鋭い眼光は、常に正義と真実を見抜いている。まさに精霊の王と呼ぶべき存在だ。


「久し振りだなエコノレ、そしてアラレスタ。商店は順調か?」


 霊王ウチェリト。この大陸を守護する大精霊が、俺の部屋に現れた。

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