第四十話 正札政策と特別価格政策

 今日も今日とて、私は青空の下、従業員の働く商店を眺めていた。

 あれから二週間。レジ担当もようやく私の支援なく回せるようになり、混雑を回避することに成功していた。まあ、そのために割いた人件費はバカにならないけど。


 とにかく、私たちの奮闘の甲斐あって、今この商店は大盛況だ。間違いなく、マーケット史上最大の金が動いている。それほどまでに、この商店には人が集まっているのだ。

 本当に、私がこの商店を作ったのだという実感が湧かない。


「店長、またおんなじ苦情が来てます。店員が値下げ交渉に付き合ってくれない。値切っても価格を変えてくれない。最近こういう苦情多いですよね。開店当初は無かったのに」


 商店で動く人の流れを観察していると、プロテリアが木簡を持って話しかけてきた。

 彼は現在、経営担当の目線で私と計画を立てる立場にいる。現状、私と同じレベルで経営について語れるのは、プロテリア以外にいない。


 レジ業務にもう少し人材を確保出来たら、マシェラもこっちに引き込む予定だ。

 彼女はその圧倒的手腕で、本来捌きずらいはずの大型獣の生肉を捌いて見せていた。立派な経営戦略を使って。だから、彼女の技術は私も期待している。


 まあ、その生肉も、今や一般化した食材に成り下がっているが。

 プロテリアの開発した冷蔵庫・冷凍庫の登場によって、より大量の生肉を保存し、商品として陳列できるようになった。技術革新の前には、時に当代一の策士家も膝を付くしかないのだ。


 にしても、値引き交渉の苦情か。正直、私は開店当初から、この手の苦情が来るものだと思っていた。むしろ今まで何故来なかったのか、疑問にすら思っていたのだ。


 この国、というかこのマーケットでは、基本的に値切りをするのが普通である。以前にエコノレ君が、八百屋婆さんから値引きを受けたように、商品は店主の機嫌次第で価格を変動させることが出来る。それを誘発するのが、値切り交渉だ。


 逆にうちの商店では、これを一切禁止している。商品は値札に記載されている価格から一切変動しない。商品の価格を変える権限は、私か、それぞれの部門担当の責任者しか持っていない。プロテリアですら、商品の価格は変えられないのだ。


 これは何も、従業員の負担を軽くするためだけではない。値切り交渉というのは、根本的に近代経済学の理念に反するのだ。

 口の達者な者は店主から安い値段で商品を買い取り、そうでない者は商品を高値で売りつけられる。こんなのは、全く不平等だろう。


 だからこそ、正さねばならない。商品を一定の価格で固定し、どの顧客に対しても同じ値段で取引をする。そこに、口が達者だどうだというステータスは一分たりとも介在できない。これを正札政策という。


 この手の苦情が来るたびに、私は自分の知識と、これを作った越後屋さんの偉大さを実感できる。この政策に苦情を送ってくる連中は、きっと今まで他の露店で、もっと安い価格の商品を買っていたのだろう。ざまぁ見ろ。


 この正札政策というのは、消費者の権利『コンシューマリズム』を最も身近に感じられる発明なのだ。だから私もこれを使う。

 ……市場を独占して消費者の権利を奪おうとしていた、私が言うのも何だけど。


「どうしましょう。このままだと、今まで値切り交渉を使って商品を買っていた一定数の顧客は、以前までの露店式の方が良いと、この店から離れて行ってしまいます。しかし、この正札政策を今更止める訳にはいかないし、実際従業員の負担も減らせています」


「それに関しては問題ないよ。もうちょっと放置してて大丈夫。ホラ、この間話した割引政策があるでしょ。まさにアレが、値切り交渉に取って代わる、全てのお客さんが平等かつ安い値段で商品を購入できる仕組みなんだよ」


 安い価格で商品を手に入れたい消費者は、今まで値切り交渉を使っていた。しかしそれを禁じれば、必ず反発がやってくる。それは分かり切っていたことだ。だから、既に対策も用意してある。それが、割引政策だ。


 一口に割引政策と言っても様々だけど、今回は特別価格政策で行こうと思う。

 特別価格政策というのは、その商店で販売している中でも、特に売れ筋の商品を大きく値下げすることで、お客をさらに呼び込もうという政策である。


 例えば、一パック150円の卵を、その日は100円で売り出すとか。

 日本では卵はどの家庭でも消費する必須の食材で、当然価格を下げれば、多くのお客がそれを求めて商店を訪れる。これこそ、特別価格政策だ。


 しかしこの政策を用いる上で大切なのは、価格を変化させることで需要が大きく変動する商品、つまり需要の価格弾力性が高い商品を選ばなければいけない、という点にある。


 例えば、先に例に出した卵や、普段値段の高いコーヒーなどは、この政策を用いるとお客を呼び込むことができる。それは、お客がその商品に求める選考基準が、価格に大きく寄せられているからである。


 逆に、普段から値段の安いもやしや、値段が高くても低くても買うだろうお米などはどうか。これは、価格を変動させたところでお客の需要を煽ることが出来ない。いわゆる、需要の価格弾力性が低い商品だ。特別価格政策にはふさわしくない。


 以上の理由から、この政策は開店当初まだ活用できなかったのだ。

 ある程度商店を運営して、価格を変動させつつ、どの商品の価格弾力性がどのくらい高いのか調べる必要があった。そのために二週間を使ったのだ。


「それに、私そろそろだと思うんだよね~。この商店も三週間近く営業してきたし、もうすぐ来るはずだよ~」


 私の言葉を、プロテリアは良く理解できない様子だった。

 しかし、商店の外から聞こえる多くの足音が、私の推測が事実であったことを教えてくれる。こうも思い通りにことが運ぶと、本当に気持ちがいい。


「た、頼む! うちの野菜を買ってくれ! もううちの露店じゃ捌ききれん!」

「こっちの魚も買ってくれ! アンタらの商店なら、とんでもない量売れるって聞いてきたんだ!」

「こっちもだ! うちの米もぜひ買ってほしい! 最近客が全然寄り付かなくて、こっちは商売できないんだ!」


 勝った。これで私たちの商店は、このマーケットに揺るぎない地位を確立することが出来る。もう、私たちの行動を阻害できる組織は、この場所にはいない。


「はいはい皆さん、落ち着いてください。お一人ずつお話を聞かせてもらえますか? 仕入れのお話なら大歓迎でございます」


 出来るだけ笑顔で、相手を煽り過ぎないように。思わずニヤケてしまうのを抑え、極力エコノレ君のマネをして彼らの応対をする。私にこの手の技術はないから、彼と同じようにするのが一番良いのだ。最近はモノマネも上手くなってきている。


 向こうの話は全員同じようなもので、要するに、私の商店が業績を上げ過ぎているせいで、もっと奥側の露店にお客が寄り付かなくなったそうだ。それで、売れ残った大量の商品を、私の所へ押し付けに来た。図々しくて素晴らしいよね。


「皆さんのお話はとても良く分かりました。我々も極力気を付けていたつもりなのですが、この度は弊社のせいで大変なご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。ですが弊社としても、これほどの在庫を抱え込むのは厳しいところがあるのです。何せ、まだこんなに在庫が余っているのですから」


 私は、商品を押し付けに来た彼らを、バックヤードの倉庫まで案内する。そこには、先日から仕入れていた在庫が山のように積んである。しばらくは、ここの在庫だけで商店を動かせるのだ。


「ですから、我々としても条件を付けさせていただきたい。もちろん、このような事態になってしまったのは我々の責任ですから、商品は受け取りましょう。代金もお支払いいたします。そうですね……定価の半額、これでいかがですか?」


 値切り交渉をあれだけ嫌っていた私が、今は農家や漁師相手に値切りをしている。

 しかし連中は、そんなこと気付きもしない。普通に露店で買い物をするのと、こうして仕入れ交渉をするの。別物だと捉えているのだ。


「お、俺はそれでも良い! もうこんな大量の在庫、うちみたいな露店じゃ抱えきれないんだ!」


 周囲の人間が相談し合って慎重になっている中、一人の青年が声を上げた。

 そしてその声を皮切りに、次々と同様の声が上がっていく。俺も俺もと手を上げるさまは、まさに壮観だった。


「では、これにて契約成立ですね。皆さんの商品は責任を持って、私共が消費者様へお届けいたします。今後また同様のことがございましたら、遠慮なくご相談ください」


 こうして私は、今までの仕入れ価格よりも遥かに安い値段で、大量の商材を確保することに成功した。


 これを待っていたのだ。ずっと、これを待っていた。他の商店が経営難に陥り、私の商店へ仕入れという形で商品を売りに来る。当然、立場は私の方が圧倒的に上だ。だからこそ、安価に商品を仕入れることが出来た。本来なら、市場価格とさほど変わらない値段で仕入れていたのに。


 これで、実際の販売価格と仕入れ価格に大きな差が生じた。たとえ売り上げが変動しなくても、利益は上がる。その分従業員の給料も増やせるし、広告費だの販売費だの、今後は別の出費も出来るようになる。

 ここから、私の商店は再びスタートだ。

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