第四話 タイタンロブスター

 俺は海の上で目を覚ました。あの後何が起きたのか、覚えてはいない。父に気絶させられたのは覚えてるんだが。


 袋で作られた浮きは付いているが、両手両足を縛られ泳ぐことはできない。当然だ、これは殺すためのものなのだから。泳いで逃げられては元も子もない。


 しかし、せめて舟にくくり付けにするとかではダメだったのだろうか。身体が冷えて仕方がないな。苦しませて殺す、悪魔召喚にふさわしい処刑と言えるか。


 と、思考が不安定になってきたところで例の怪物が近づいてきた。

 この海で流刑にされた者を捕食する巨大クジラ。頭の大きさは人間を一口で飲み込んで尚あまりのあるほど。全貌を見たことのあるものはいないらしい。


 浮きと縄のせいで俺は下を向くこともできない。身体を思いっきり捻れば多少向きを変えられるが、ひっくり返ってしまえば向き直ることはできない。

 殺されるのは良いとしても、自分から窒息死するのはごめんである。


 俺は今からコイツに食われ、絶命するのだ。

 せめてもう少し長く生きたかった。彼女と結ばれる前にこんなことになるとは。父に気付かれたのが運のツキだったか。


「こんなところに人間が浮いてるなんて、珍しいこともあるな。普段はもう少し手前の方にしかいないのに」


 急に声が聞こえた。こんなところに人間がいるはずはない。ではいったい誰の声なのか。

 もしや、海中に住む知的生命体の類か。昔に研究していたことがある。海中には、地上よりもずっと知的生命体が多いはずと。


「よぉ、死にたくないなら助けてやるぜ。それとも、ここで死にたいか? お前が判断すると良い」


「た、すけて、ほしい。俺にはまだ、やらなければ、ならないことが、ある!」


「ハハ、いいね。なら助けてやろう。そのままじっとしてな!」


 瞬間、俺に語りかけてきた声が遠くなる。きっとさらに深いところへ潜ったのだろう。見えはしないが、冷え切った身体でも波の衝撃を感じる。


 下で何が起きているのかはわからない。しかし俺の想像の範疇を超えた戦闘が起きているのだけは伝わってきた。きっとその余波に巻き込まれただけで俺は死んでしまう。

 だから下手に手を出すことはない。全て彼に任せてしまおう。


 おや、戦闘が始まって二分と経っていないのに、もう波が収まった。まさか、この短時間で決着が付いたのか。


「ホレ、倒したぞ。アイツはメルビレイと言って、深海から浅い海域まで様々な場所に現れる厄介な魔獣だ。覚えておくと良い」


 そう言いながら件の彼は俺を下から支えてくれる。岩のように硬い皮膚をしていた。やはり人間ではないようだ。俺よりも遥かに大きい身体を有しているみたいだな。


「にしても、お前はどうしてこんな所にまで来ているんだ? 海流の向き的に東の大陸から来たんだろうけど、ここはもうアストライア大陸の近くだぞ。ていうか、良くこんなところまで身体が持ったもんだ」


 何だと? アストライア大陸は俺の住んでいた所からかなり離れている。本来舟であっても、今の航行技術で辿り着くのは難しい大陸だ。国交もない。そんな所まで流されてしまったのか。


 言いながら彼は縄を切断し、浮きを外してくれた。

 やっと彼の姿を見ることができる。いったいあれほどの力と勇気を見せつけたのはどのような生物なのか。


「助けてくれてありがとう。俺はエコノレ。とある領主の息子だったが、わけあって流刑になってしまってな。貴殿の名前はなんというのだ」


 ロブスターだった。そう、俺よりも遥かに大きい、タイタンロブスターであった。

 無限に等しい命を生きるとされ、歳を重ねるごとに新たな力、そして高い知能を獲得するという生物。世界的にはかなり広範囲に生息する魔獣ではあるが、実際に見た者は少ない。


「ああ、俺の名か? 俺はニー……いや、俺の名前はコンマーレ。これからよろしくな!」


「コンマーレ、良い名前だ。助けてもらって悪いが、陸まで連れて行ってくれないか。俺たちは海の上で暮らせないんだ」


 少し含みのある言い方だった。しかし命を助けてもらった恩人であり、名前を偽る程度なんということはない。


「そうだな、人間は陸で生活する生き物だ。ならば知り合いの所に行こう。ゆっくり話が聞きたい」


 そう言われ、彼の硬い外骨格にしがみつくと、すぐに彼は泳ぎ始めた。

 節足や鋏を動かしている様子はない。きっと水流系の魔法で身体を進めているのだろう。そちらの方が彼にとっては効率がいい。


 だが、人間ではそんなことできない。水流操作で泳ぐなど魔力の無駄だ。そもそも水流操作を使えない人間も多い。俺もその一人である。

 このコンマーレはいったいどれだけの魔力を有しているというのか。


「ホラ、あそこだ。アストライア大陸、俺の本拠地さ」


 初めて見たが、凄まじく巨大な大陸だ。

 まっすぐな海岸。西側は水平線の先まで海岸が続いている。しかし東側は、ある一点で大きな湾になっているな。地図上だと確か、二つの巨大な大陸が重なったような形をしているはず。


 そして海岸沿いに居並ぶ大山脈。俺の故郷は平坦な土地で、あれほど大きな山を見ることはできなかった。

 なんと頼もしいことか。あの山脈の向こう側に住む住民は、きっと潮風など気にしたことはないのだろう。


 コンマーレは大きな湾の方ではなく、もっと西側の小さな湾に向かって泳いでいく。


「まずは俺の家に行こう。心配することはない、俺も陸にいるときは人間の姿をしている。人間でも快適に暮らせる家だよ」


「人間の姿?」


 いったいどういうことだろう。彼はタイタンロブスターで、人間のように振る舞うことはできないはず。それとも、俺がまだ知らないなんらかの魔法があるのだろうか。


「着いたぞ~。ここが俺の家だ。まあくつろいでくれ」


 彼はロブスターだから、きっと洞穴のような家だろうと予想していたが、これは……。


 小さな湾の終点に建てられた石造りの一軒家。一階は直接海とつながっていて、コンマーレが直に入れる仕組みになっている。

 隣には立派な馬小屋もあり、おそらく二頭の馬の鳴き声が聞こえてきた。


 とてもロブスターの家屋とは思えない。本当に人間のような生活をしているようだ。


「お~い、帰ったぞ~。お客さんも連れてきたから、誰か出迎えてやってくれ~」


「「「は~い」」」


 コンマーレがそう言うと、二階から三名以上の声が聞こえてきた。彼の家族だろうか。


「お帰り、父さん」「パパお帰り~」


「おおよしよし、お前たちはいつも元気だな~」


 なんということか。俺の目がおかしくなったのか?

 人間。そう、人間にしか見えない。コンマーレのことを父と呼ぶその子どもたちは、俺の目には人間にしか見えないのだ。


「ほら、挨拶しなさい。この人はお客さん、エコノレさんだぞ~」


「「「こんにちは!」」」


 子どもたちの元気な挨拶に動揺を隠せない。

 頭が混乱してきた。百歩譲ってタイタンロブスターが言語を喋るのはまだわかる。そういう生物だから。しかし彼の子どもが人間というのはどういうことなんだ。


「あ、ああ。こんにちは。コンマーレ殿、彼らはいったい? 貴殿の実子ではないのか?」


「ん~? 全員俺の実の子どもたちだ。ああ、人間の姿をしているから疑問に思ったのか? ホレ、俺だって……」


 俺は今、恐ろしい光景を目にしている。

 先程までタイタンロブスターの姿だったコンマーレ殿が、みるみるうちに人間の姿に変化したではないか。本当に、何が起きているというのだ。タイタンロブスターにはそのような魔法まで存在するのか。


「珍しい奴もいたもんだ。お前、すっげぇ魔力持ってるのに、相手の正体が分からないのか?」


「俺が魔力を? いや、それはありえない。俺は魂臓、つまり魂を持たない病気なのだ。この身体に、魔力など通ってはいない」


 彼は何を言っているんだ。俺に魔力は存在しない。それがあれば、俺が流刑に処されることもなかった。魔力があれば、俺の研究はもっと評価されていたはずだから。


「ああん? なんだそれ、お前には確かに強力な魔力が……」


「すまない、ずっと海に浸かりっきりだったのだ。かなり疲れている。申し訳ないが寝床を貸してもらえないだろうか」


 今日は頭が混乱しすぎている。疲労も大きいし、これ以上話をするのは頭が追いつかない。話の腰を折るようで申し訳ないが、休ませてもらうとしよう。


「ああ、それなら三階に開いてる部屋があるぜ。夕飯の時間になったら起こすから、それまでゆっくり休んでくれや。ああ、誰かコイツを案内してやってくれ」


 コンマーレに頼まれ、一人の少年が俺の手を引いてくれる。

 この子もタイタンロブスターなのだろう。見た目は俺より幼いが、きっと既に500歳は超えているはずだ。

 頭がおかしくなる。


「ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうよ」




~~~~~~~~~~




 眠りについた、はずだった。しかし俺は、頭に走る強烈な痛みで目を覚ます。

 しかし何故か意識が朦朧としていて、目の焦点がどこにも合わない感覚があった。


「なるほど、これがパラレルさんの言っていた、二重人格転生ってわけね。つまり、これからが私のターンってわけ。にしてもこの身体の主、エコノレ君は災難な男だわ。まさか私が転生した瞬間流刑に処されるなんて」


 聞き覚えのありすぎる声。しかし聞き覚えのない口調。俺の混乱は、この日の中でも最高潮に達していた。

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