第8話

 ダスティン殿下、十六歳。背は高くもなく低くもなく、声はご存じの通り大きいですし食欲もたっぷり。普段からとても暑苦しい――じゃなくて、まごうことなき健康優良児なので、虚実で言うなら“実証じっしょう”でしょうね。


 症状は胃痛を訴えているけれど、もう少し突っ込んで話を聞くと、胃痛というよりはやけ食いによる一時的なに近い。それに加え、殿下はとにかく怒りっぽいですわ。


 それらを総合すると……。


「わたくし、ダスティン殿下には黄連解毒湯オウレンゲドクトウがいいと思うのですが、いかがでしょう?」

「オウレンゲドク? なんだその呪文は」


 そう言った殿下を丸無視して、オズワルドさまが尋ねました。


黄連湯オウレントウではなく、黄連解毒湯オウレンゲドクトウの方にしたのはなぜだい?」


 この二つの名前が似ているのはわけあって、どちらも黄連おうれんというお花の根を使う薬なのです。ただ配合されている生薬が違うので、効き目も若干変わるんですわ。


「純粋に胃痛に効果がある黄連湯オウレントウより、殿下にはイライラやのぼせを鎮める効果もある黄連解毒湯オウレンゲドクトウの方がいいかと思いました」


 わたくしが説明すると、オズワルドさまが「さすがだね」と微笑みました。


「そうだね、確かに殿下にはが必要かもしれないね」

「と、言うか! まさかこんなものを飲めというのか!?」


 わたくしが用意した薬を指して殿下が叫びました。

 そこにあるのは、コロコロした赤黒い丸薬。


「ええ。本当は効き目を考えたら煎じた方がいいのですが、長く保存できるのはこちらですから……」

「こ、こんなもの、うさぎのフンじゃないか!」


 あらっ! ついに言ってしまいましたわね! 今までみんな口に出さないようにしていましたのに!


「しょうがないですわ。丸めたらみんなこの形になってしまうんですもの」

「飲みたくないなら飲まなくてもいいんですよ、殿下」


 オズワルドさまがサッと薬を持ち上げます。

 それを見て慌てたのはダスティン殿下でした。


「まっ! 待て待て! 飲む! 飲むから!」

「よかったですわ。なるべく食前十分前の空腹時に、飲んでくださいましね」

「ふ、ふん……。わかったよ」

「殿下、お礼は?」

「……あ、ありがとう、エヴァンジェリン」

「大変よろしい」


 にっこりと微笑むオズワルドさまを前に、ダスティン殿下はぶつくさ言いながら帰られました。

 わたくしたちはそんな殿下を見送ると、また屋敷の中に戻ります。


 オズワルドさまはいつも口数が多いのですが、ダスティン殿下が帰られてからは、ずっと静かです。……もしかしてわたくしが、何かそそうをしてしまったのでしょうか。


「あ、あの、オズワルドさま」

「エヴァンジェリン」


 玄関に入ってすぐ、わたくしたちが口を開いたのは同時でした。


「すまない。何だい?」

「あっ、いえ、大したことではないのでオズワルドさまからどうぞ」

「それなら先に失礼して。その……君は私の本性を見て、嫌いになったかい?」


 そう聞いたオズワルドさまのお顔は、珍しく緊張しているようです。


 本性? ……ああ、ダスティン殿下に“腹黒”と言われていたやつですわね?


「いえ、少しびっくりしましたけど、嫌いにはなりませんわ。そういう一面もあるのですねと思うくらいで」


 むしろ、ずばずばダスティン殿下をぶった切っているのを見て、失礼ながらちょっと笑ってしまいましたわ。いえ、これは口には出せないのですけれど。


「そうか……」


 オズワルドさまは、ほっとしたように微笑みました。


 あっその顔とてもいい。ちょっと余裕のなくなった感じもステキ……なんて思っていたら、オズワルドさまがそっとわたくしの手を握ります。


「エヴァンジェリン……殿下の言ったことは事実だ。私は君を手に入れるために色々とずるいこともした。殿下をマチルダ嬢にけしかけたのも私だし、裏で手を回して君を囲い込もうともした」

「オズワルドさま……」

「そんな私に、こんなことを言う資格はないのかもしれない。……だが、私は君のことが好きなんだ。初めて会ったときからずっと、君の明るさと優しさに惹かれていた」


 いつになく切羽詰まった瞳にわたくしは言葉に詰まりました。


 今のオズワルドさまはどこからどう見ても真剣そのもの。まさか本当に、こんなに強く思っていてくれたなんて……。


「本当は、漢方も君の為に勉強しに行ったんだ。……君に近づくきっかけが欲しかった」


 わたくしのためだけに、向こうの国にまで!? じょ、情熱と行動力がすごい。それはむしろ申し訳なくなってきましたわ……!


 ……でも、今こそわたくしの素直な気持ちをお伝えせねば。


「……オズワルドさま、まだ、わたくしを妻にとお考えですか?」

「もちろんだ。公爵夫人の地位は嫌かもしれないが、なるべく負担を少なくすると約束しよう」

「いいえ。その必要はありませんわ」


 そこでオズワルドさまはハッとしたお顔をしました。

 一瞬、断られるのだと思ったのでしょう。

 けれどわたくしはそこで背筋を伸ばし、にこりと微笑みました。


「わたくし、覚悟を決めました。負担を軽くしていただく必要はありません。立派な公爵夫人になれるよう、精いっぱい努めさせていただきますわ。……だからどうか、わたくしをあなたさまの妻にしてくださいませ」

「エヴァンジェリン……」


 オズワルドさまは微笑みました。そのお顔は心から嬉しそうで、見ているわたくしが泣きたくなってしまうほど素敵な笑顔です。


「今までわたくし支えられてきたばかりでした。ですが、これからはわたくしもオズワルドさまを支えたいのです」


 わたくし、思うのです。

 愛する方とともに生きて、愛する人と互いに支えあう。きっとそう思ったからこそ、人は“結婚”という制度を作ったのではないかと。


「嬉しいよ、エヴァンジェリン。よろしく、……私の未来の奥さま」


 そう言って、オズワルドさまの顔が近づいてきます。


 ……と、とうとう唇に口付けを……!?

 ドキドキしながらそこまで考えたところで、わたくしはふとあることを思い出しました。


「あ、待ってくださいオズワルドさま」


 とっさに手でお顔を押さえてしまったので、オズワルドさまが「うっ」と呻きました。


「……何だい、エヴァンジェリン」

「ひとつ気づいてしまったんです。わたくしたち、今後はがんばってダスティン殿下のお尻を叩かねばいけないのではなくて!?」


 ダスティン殿下は、ああ見えて王太子。今回の件で廃嫡とはならなかったようですが、彼が将来の王になるというのはそれはそれで大変不安ですわ……!


「ああ、それなら心配ないよ」


 わたくしがそう言うと、オズワルドさまはにっこりと微笑みました。


「殿下を廃嫡にしないよう、陛下に頼んだのは私なんだ。それから、もし私ので殿下がマチルダ嬢を射止めることができたら……それはとてもすばらしいことだと思わないか?」

「あっなるほど」


 その言葉でわたくしは全てを察してしまいました。


 オズワルドさまがじわじわとわたくしの外堀を埋めてしまったように、きっと遅かれ早かれ、マチルダさまは殿下の求婚にうなずくことになるのでしょう。


 そうすれば廃嫡回避の恩もあって、ダスティン殿下はオズワルドさまには逆らえませんわ。そうして殿下が即位した暁には、きっとオズワルドさまが宰相に選ばれるのでしょうね。


「愛する妻がいる国なんだ。殿下に潰されてはたまらないからね」


 そう微笑んだオズワルドさまは、大変あくどいお顔をしていらっしゃいました。……でもそんな顔もステキ。


「ああ、それと私もひとつ思い出したんだが、君は本格的に漢方を勉強してみる気はないかい?」

「えっ? 本格的にとは?」

「ちょうど、あちらの師匠から最近手紙をもらったんだ。兄弟弟子の一人が、我が国に興味があるらしい。留学がてら、君の先生になってもらってはどうだろう」


 現地の方が先生に!? まあ、なんて素敵な提案なのでしょう!

 わたくしは目を輝かせました。


「ぜひ、お願いしたいですわ!」

「なら迎え入れる返事を書こう。殿下が薬師組合に働きかけてくれるだろうし、もしかしたらこの国で初めての漢方医師が誕生するかもしれないね」


 まぁまぁ! なんて魅力的なお話なのでしょう……!

 王妃という立場はわたくしにとってはただただ重圧でしかありませんでしたが、オズワルドさまを支えながら漢方を広めるというのは聞いただけでやる気がみなぎってます。


 わたくしはオズワルドさまの話を聞きながら、彼に引かれてゆっくりと階段を上りました。


 そこにあるのは、わたくしたちの輝く未来、それだけでした。





――数年後。わたくしたちは、それぞれ異なるあだ名で世間から呼ばれることになります。


 私は『漢方夫人』、オズワルドさまは『影の支配者』と。


 ダスティン陛下はオズワルドさま(当然のように宰相ですわ)の呼び名に不満そうですが、マチルダ王妃陛下がわたくしたちを熱烈に支持してくださっているので、何も言えないらしいです。


 尻に敷かれているダスティン陛下の姿を想像すると、笑ってしまいますわね。フフッ。


 あら、そんなことを話している間に、また今日の患者さんがいらしたみたい。


 それではわたくし、この辺りで失礼させていただきますわね。


 あっ、もし体の不調でお困りの際には、ぜひわたくしの医院へお越しくださいませ。


 あなたにも、よき未来があらんことを……。



――エヴァンジェリン・L・ランドン公爵夫人、通称“漢方夫人”より。

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【コミカライズ】胃が弱すぎて婚約破棄された令嬢は辺境の地で溺愛される 宮之みやこ @miyako_

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