第4話

 一週間後。わたくしは言葉通り、妹のアンジェラと一緒にオズワルドさまの別荘にやってきていました。

 別荘と言っても大層豪華なお屋敷なのですが、わたくしは内装には一切構わず、とあるものを一心に見つめていました。


「まあ! これがケイヒ桂皮! これがエンゴサク延胡索! これがわたくしの胃に!」


 目の前には木の板にしか見えない茶色の物体と、見た目はただの土くれのような茶色い茎。どちらもわたくしがお世話になっている胃薬の材料です。


「そりゃこれだけ茶色いのなら、お薬も茶色になりますわよね」


 なんて妙なところで感心しているわたくしを見て、オズワルドさまが笑いました。


「楽しんでいるみたいでよかった。生薬はまだまだたくさんある。時間をかけてゆっくりと見て回るといい」

「ありがとうございますわ。……ってあら、アンジェラは?」


 さきほどまでいたわたくしの可愛い天使の姿が見当たりません。きょろきょろしていると、オズワルドさまが外を指さしました。


「アンジェラなら執事たちと周辺探索に行ったよ」

「まあ、いつの間に」


 別荘に到着するなりまっすぐこの部屋に来たわたくしが言うのもなんですけれど、アンジェラもなんて行動が早いんでしょう。姉妹で似てしまいましたわね。


「護衛も何人かつけてあるから、心配しなくていい。今日は思う存分、この部屋を見るといいよ」


 オズワルドさまの言葉に、わたくしは再びうっとりと部屋を見渡しました。広々とした部屋の中に並ぶ、大きなガラス瓶たち。


 中には黄色やら黄土色やら茶色やら黒色やらの、大地の恵みを感じさせるさまざまな生薬!


 息を吸い込めば、苦いような甘いような、土っぽい独特の匂いが鼻をくすぐります。

 苦手な人も多いようだけれど(ダスティン殿下は嫌っていましたわ)、わたくしはこの匂い、大好きですの。


 一つ一つ取り出して手でじっくり検分する。


 ああ、こうしているだけでなんて心満たされるのでしょう……! 漢方、最高!


 こうして、わたくしの幸せ漢方生活は幕を開けたのです。





「ねえアンジェラ、今日こそわたくしと一緒に漢方のお勉強をしない?」

「やだ。アンジェラは今日みんなとピクニックに行くの! あ、お姉さまはついてこないでね! それからオズワルドさまもだめ!」


 なんて言いながら、わたくしの可愛い天使はデレデレ顔の執事やら使用人方やらを大量に引き連れてピクニックに行ってしまいました。


「悲しいわ……。なぜかこっちに来てからアンジェラが遊んでくれないのです……」

「そういうお年頃なのだろう。それよりエヴァンジェリン、今日も漢方の勉強をするかい?」


 オズワルドさまに尋ねられて、わたくしは喜んで答えました。


「もちろんですわ!」


 アンジェラに冷たくあしらわれていること以外は、毎日信じられないぐらい幸せでした。


 社交界から離れたゆったりとした空気の中、朝起きたらまず一杯の白湯をゆっくり飲むんです。


 それから普段リゾットに使うお米を、たっぷりの水でくたくたに煮た“おかゆ”というものをいただくんですわ。調味料を何も使わないのですが、しみ出したお米の優しい甘みが、それだけで極上の調味料になるんですの。


 この“おかゆ”というのは体をあたためてくれる上に、消化もよくて胃に優しい、まさにわたくしにぴったりの料理。もちろん、卵を足して優しい味わいのたまごがゆにしたり、トマトやささみ、チーズを足してコクのあるリゾット風にアレンジするのもよいですわ。


 他にも、くたくたに煮たキャベツたっぷりのポトフや、甘酸っぱい酸味が食欲をそそるラディッシュのマリネ風。ジャガイモとリンゴと生薬で作った漢方風ジャムにリコリスとタンポポの薬膳茶。


 どれもこれもおいしい上に胃腸にまで優しいと聞いて、わたくし思わず料理人の方に拍手してしまいましたわ。


 その上もう妃教育を学ぶ必要もなく、オズワルドさまがみっちりと漢方を教えてくれる毎日。


 これを幸せと言わずして、なんと言うの!


――そんな調子で辺境の田舎生活を満喫していたら、ある日突然別荘にお友達の令嬢がやってきたんです。


「エヴァンジェリンさま! お会いしたかったわ! エヴァンジェリンさまがいないお茶会はつまらなくて……お元気にしてました?」


 応接間で、茶目っ気たっぷりに微笑んでいるのはライラ伯爵令嬢さま。

 太陽のようにとても快活な方で、彼女がいるといつも笑いが絶えないのです。


「お会いできてうれしいですわ、ライラさま。わたくしは見ての通り絶好調よ。あなたや他の皆さまはお元気でして?」


 ……ところでなんでわたくしがここにいるの、バレたのかしら? 家族以外には話していないはずなのだけれど……。


 そんなことを考えていると、ライラさまが続けました。


「ええ、もちろん元気よ! ……って言いたいところなんだけどね……」


 言いながら、ライラさまが少し目を細めます。それからくつくつと、悪い顔で笑い始めました。


「王都は今も大騒ぎよ。ダスティン殿下が許可なく勝手に婚約破棄してしまったものだから、陛下はカンカン。殿下本人はマチルダさまに振られたショックで部屋にこもって出てこないし、これからどうなっちゃうの? って感じよ」

「まあ……もう半月経ちますのに?」


 婚約破棄の件は、お父さまが「わかった、エヴァの好きにしなさい」と言ってくれたからあっさり終わったものかと思っていたのに、まだ騒動が収まっていなかったのね。

 考えていると、ライラさまがケロッとした顔で言います。


「ま、どう考えてもダスティン殿下が悪いから、しょうがないわ。……それより、エヴァンジェリンさまにお願いがあるの」

「お願い? 何です?」

「実は……エヴァンジェリンさま、珍しいお薬を飲んでいるんでしょう? ええと確か……」

「漢方のことですか?」

「そう! カンポウ!」


 手を打ったライラさまが、キラリと瞳を輝かせながら続けます。


「前にもお話したけれど……私、相変わらず肌荒れがひどいんです!」


 言いながら、彼女は自分の顎を指さしました。そこにはぷっくりとふくれあがった、赤い


 もう二十一になる私と違って、ライラさまはまだ十七歳。輝くような若さが眩しい反面、お肌には思春期の証がところどころ鎮座していらっしゃいますわ。


「色んなお薬を、飲んでみたり塗ってみたり貼ってみたりしたんですけど全然ダメで……」


 はぁ、と大きなため息をつきながらライラさまはドスンッと腰を下ろしました。


「こんなお肌じゃ、恥ずかしくて殿方の前には出られません。化粧でもごまかせないんだもの」


 十七歳と言えば日々夜会に出かけ、恋の花を咲かせるお年頃。そんな乙女にとって、確かににきびはにっくき敵です。


 ライラさまが拳を握りしめて、また身を乗り出しました。


「だから、お願いエヴァンジェリンさま! 私にも、肌荒れが治るお薬をもらえないかしら!?」

「うーん……」


 わたくしは考え込みました。


「確かに、肌荒れを直すお薬もありますわ……。でもライラさま、それは“お薬”なんですのよ。お薬である以上副作用もありますし、そもそもわたくしに処方する知識も資格もないんですの」

「そこをなんとかお願いしますわ! エヴァンジェリンさまが最後の頼みなんです。いろんなものを試しても効き目がなくて、このままだともう“魔法の薬”に頼るしか……!」


 ……あら? なにやら突然あやしい単語が出てきましたわね?


「魔法の薬? 何ですのそれは?」


 わたくしが眉をひそめると、ライラさまがひそひそとささやいてきます。


「最近令嬢たちの間でちょっと噂になっているんです。何でも、飲むだけで痩せる上に肌も綺麗になって、おまけに頭もよくなって、さらに睡眠いらずで何時間でも活動できるっていう――」

「待って待って待って? それどう聞いてもものじゃなくって?」


 わたくしは慌ててライラさまの腕を掴みました。

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