【コミカライズ】胃が弱すぎて婚約破棄された令嬢は辺境の地で溺愛される

宮之みやこ

第1話 ※フィクションなので色々ご容赦ください

「エヴァンジェリン! 僕はお前との婚約を破棄する!」


 その日、婚約者であるダスティン殿下(御年おんとし十六歳)は、わたくしに向かってそう叫びました。

 周りの方々から一斉に向けられる視線に、わたくしは思わずを押さえましたわ。


「うっ……」


 シク、シク――という音は、決してわたくしが泣いている音ではありません。わたくしの誰よりも繊細で、誰よりも貧弱な胃が悲鳴をあげ始めている音。


「うう……!」

「ふっ。嘆いても無駄だ。僕の決意は固い。それに僕は真実の愛を見つけてしまったからな! すがりついてきても駄目だぞ!」


 ダスティン殿下が得意げに言っておられますが、問題はじゃありません。


 わたくしは痛む胃を押さえながら、あえぐように言いました。


「殿下――、胃薬を飲んでもよろしくて……!?」


 その言葉に、ダスティン殿下が声を荒げます。


「は? 胃薬? お前、何の話をしているのかわかっているのか!? 今はそれどころじゃないだろう!」


 まあ、怖いですわ! そんな大きな声を出されるとまたわたくしの胃が……うっ。言ってるそばから痛みが強くなってきましたわ……。


「うっ! ううう……!」


 顔面蒼白(多分)になってしゃがみ込むわたくしに、さすがのダスティン殿下も気づいたようです。これは悲しんでいるわけではないのだと。


「お、おい! 大丈夫かエヴァンジェリン! またか!? また胃痛なのか!? 誰か! エヴァンジェリンに胃薬を用意せよ!」

「お、お水もお願いいたしますわ……できれば白湯で……」

「わ、わかった。白湯だな? 誰か白湯も持ってこい!」


 ちゃっかり要望は聞いてくれる辺り、殿下って意外とお優しいのよね……ってイタタ。今は呑気に考えている場合じゃなかった……! お、お薬を……!


「――エヴァンジェリン、これを」


 すっと救いの手を差し出してくださったのは、殿下の従兄弟であり、次期公爵家当主であり、わたくしの大事な師であるオズワルドさま。


 銀糸のように流れる銀髪は眩く美しく、瞳はデルフィニウムの花を思わせる紫がかった青。高貴なお顔立ちは今日も大変麗しく、笑顔は本当に眼福の極み……って語ってる場合じゃないですわ。


「オズワルドさま、いつもありがとうございます……!」


 差し出されたのは、薄紙に載せられた薄茶の丸薬。


 小さくてコロコロして、一見するとまるでうさぎのフ……って、淑女としてこれ以上口にするのは控えますが、ええ、まあ、見た目はそんな感じですわよね。周りで見守る方々が思いっきり顔をしかめているのも仕方ありません。


 加えて、つんと鼻を刺すのは甘いような苦いような独特の匂い。これは薬草ではなく、生薬しょうやくだからこそだったかしら。


 見た目といい匂いといい、飲み込むのにかなり勇気がいる代物ですけれど、効果抜群だと知っているため迷わず口に含みました。

 それから差し出されたカップ――中身はちょうどいい温度の白湯でしたわ――で一気に流し込みます。


 このお薬は味もかなり独特だから、一気に流し込むのがコツなんですのよね。そう、グビッと! 勢いよく! 喉に詰まらない程度に!


「……ふぅ……」


 白湯が、薬とともに喉を通って心地よく胃をあたためてゆきます。まさに“五臓六腑ごぞうろっぷに染み渡る”と言うやつですわね。これももちろんオズワルドさまに教わった言葉です。


 わたくしがほっと一息ついていると、オズワルドさまがさらに何かを取り出しました。


「それから、これも使うといい」


 そう言って渡されたのは、手のひらサイズの丸い包み。


 綿のハンカチに包まれたそれは、受け取ると小ぶりな見た目とは裏腹にしっかりとした重みがあり、なおかつほかほかあたたかい。


 わたくしは嬉しくなって顔を輝かせました。


「まあ、温石おんじゃくですわね! ありがとうございますわ!」


 軽石を火であたため、それを布にくるんだ温石は冬の必須品(と言っても今はまだ秋ですけれど)。

 言いながら胃のある位置にあてると、すぐさま服の上からでもわかるあたたかさが広がる。ああ、とても気持ちいいですわ。


 胃が痛い時はお薬もですけれど、胃をあたためてあげるのも地味に効くんですのよね。さすがオズワルドさま、本当に気が利くお方ですわ。もう何度こうして助けられたか……。


 そこでわたくしははたと思い出しました。


「あ、ごめんあそばせ、殿下。それで……先ほどのお話はなんでしたかしら?」


 まだ痛みは完全には引いていないものの、薬と温石の支援を得たわたくしは、ようやく本題に戻ることができました。


 ダスティン殿下が一瞬ほっとしたような顔をして、それからあわてて怖い表情で指さしてきます。


「何度も言わせるな! 婚約破棄だ! お前のように病弱な女は我が妃にふさわしくないのだ!」

「わかりますわ、わたくしもそう思います。ですからぜひ、婚約破棄いたしましょう!」


 殊勝しゅしょうな面持ちでうなずけば、ダスティン殿下はあっけにとられた顔をしました。


「……え?」

「いえ、実はわたくしも自分に王妃は務まらないとずっと思っていたのです。殿下には散々ご迷惑をおかけしてきましたし……」


――わたくし、エヴァンジェリン・L・ブライスの実家は侯爵家。


 顔は社交界の華と呼ばれた母譲りで、自分で言うのもなんですが大層美人に生まれました。ところがそこですべての運を使い果たしてしまったようなのです。


 とにかく幼い頃から病的に胃が弱く、そのせいで今まで何度ご迷惑をおかけしてきたか……。


 初めてダスティン殿下とお会いした際には興奮しすぎで盛大に嘔吐してしまい(赤ちゃんの頃からよく吐く子だったようです)、社交界デビューの夜には緊張から胃痙攣いけいれん(とっても痛いやつですわ……)を起こして失神。


 お茶会では度々胃痛を起こし(その度に、すわ毒薬か!? と大騒ぎになりました)、ほかにも些細なことで嘔吐してダスティン殿下に吐しゃ物をお見せしたのは一度や二度ではなく……。


 ああ、思い返してつらくなってきましたわ。


 もちろん、原因を探るため侯爵家の力を使って何人もの医者に診てもらいましたが、


『この子はとにかく胃が弱いですね。それ以外は健康ですよ』


 と言われてなすすべもなかったのですよね。


 実際わたくしのお父さまも幼少の頃こんな感じだったそうなので(大変苦労したでしょうね……心中お察ししますわ)、まあ胃弱については遺伝かと諦めているんですの。


 だからわたくしがダスティン殿下の婚約者として選ばれた時、それはそれは驚きました。

 たしかに胃以外はまあ元気なのですけれど、王妃として公の前に立たなきゃいけないなんて……うっ、考えただけで胃が痛いですわ。


 ダスティン殿下のことは決して嫌いではないですし、むしろ弟のように好ましく思っているのですが、それとこれとは別。

 そんなわたくしにとって婚約破棄はまさに渡りに船。願ったりかなったりだったのです。


 わたくしは嬉々としてお返事いたしました。


「そういうわけですから、婚約破棄は謹んでお受けいたします」


 侯爵令嬢に相応しいお辞儀カーテシーは、まるでプロポーズを受けているよう。

 ですが実際は全くの逆。婚約破棄の受理です。


「あっ、ああ……うん、そうか……」


 殿下が拍子抜けしたように言いました。


 さて、これでわたくしも解放ですわ……と背伸びをする前に、もうひとつだけ思い出しました。


「そういえば、先ほどおっしゃっていた真実の愛というのは?」


 これはもう完全なる好奇心です。ええ、好奇心。弟同然の殿下を託す相手がどんな方か、知りたいじゃないですか。


 わたくしの言葉に、ダスティン殿下がハッとしました。気を取り直したように背筋を伸ばし、意気揚々と遠くに立つ女性を指さします。


「ふっ。僕の真実の愛は彼女だ! 来てくれ、マチルダ!」


 ダスティン殿下が指さしたのは、見事な赤毛の女性でした。

 少し勝ち気な瞳とつんと上を向いた鼻筋が美しく、そのお体は女性にしては長身ですらりとしています。

 確か、エインズワース男爵家のご令嬢ですわね。


 マチルダさまはダスティン殿下に呼ばれ、ずんずんこちらに向かって歩いていきます。


 ……ですがその顔は嬉しさでいっぱいというより、どちらかと言うと怒っているような……?


 と思った矢先でした。


 マチルダさまが思い切り手を振り上げて、そのままダスティン殿下の頬にめがけて振り下ろしたのは。


「あっ」


 わたくしの叫びと同時に、パァン! という音がホールに響きました。

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