「制約付きの契約書」

「集団失踪事件…それは、あの夫人の前で話をしていた?」


 白一色の奇妙な部屋でホタルはクラハシに声をかける。


 それにクラハシは「…ああ、私の名を出してしまったからな。ここに来てしまったようだ」と独りごちると、慣れた様子でホタルの手を引き、一番近くの壁へと触れる。


「『アンカー』無しの空間移動をするときには、私の名を口にしない方が良いというのはこういうことでね。ここは私の許可がないと開けない空間なんだ」


 そう語るクラハシの服装は白い貫頭衣で、部屋の中央には大量にコードが繋がれている四角い石棺が置かれていた。


「ここは一体…?」


 そう尋ねるホタルに素足で歩くクラハシは「ここは、私が目覚めたところでもあり…言うなれば、最初の起点スイッチとなる場所さ」と答えた。


「最初の…?そもそも、スイッチとは何なの?」


 そのホタルの問いかけにクラハシは「起点スイッチとはあらゆる事象の起点にして交差点のことを指す」と答えた。


「つまり我々が見ている物事はあらゆる事象の中の切り抜かれた一部分。ただ、そこを起点とするかどうかは当人の判断に委ねられるがね」

 

 そこまでの説明に「あー…わかんない」と、素直に白旗をあげるホタル。


 しかし、クラハシは気を悪くした様子もなく「いいのだよ。感覚的に感じ取れれば」と言いながら先へと歩き続ける。


「ともかく、この場所こそが惑星中の『アンカー』の起点だ。しかし、それ以降の50年間、『アンカー』の活用範囲は広がる様子もなく今ではどの惑星の文明も停滞を続けているがね…まあ、そのキッカケは私にもあるのだが」


(この人、いくつなんだろう?)


 しかし、その質問をする前に目の前に見慣れたカフェスペースが出現し、カウンター席で『月間・惑星生物行動学』を読んでいたザクロが立ち上がる。


「あ、博士。おかえりなさい。ホタルさんもお疲れ様」


 ついで周囲に気づき「ちょっとまわりが騒がしいけれど、これも博士の指示なんだよ」と近くをうろつく黒い影のようなものを指さした。


「惑星都市にいた一般人を位相空間内で保護している。でも、こっちの声は聞こえていないし、世話についてはにお願いしているから、問題はないはずだよ」


(彼ら?誰のことだろう)


 ホタルが周囲を見渡すと、ザクロが指摘した通りにビルジング内には大小いくつもの影が見えていた。


 ホタルはそのうちの一つに触れようとするも、すり抜ける影はどう手を動かそうとも触れることすらできなかった。


「ホタルくん。先ほどもザクロも言ったが空間がズレているから相手と会話することはおろか触れることすらできないんだ。先ほど君が見た記憶と同じ、互いに干渉はできないと思った方が良い」


 クラハシの指摘にホタルは(記憶…そういえば)とさらに周りを見る。


(確か、ザクロの話では『アンカー』無しの移動で、まれに移動先の人の記憶が読めるとか言ってた…じゃあ、この中にさっきの記憶の持ち主がいるの?)


しかしながら、広いカフェスペースには避難して来た人々の影がいくつも徘徊するばかりで先ほどの記憶の持ち主が誰かは測りかねた。


(…分からないな。でも記憶の中にいたのは子供だったから、背の低い影を探せば見つかるかもしれない)


 そんなことを考えるホタルにザクロが「大丈夫?」と話しかけてくる。


「まあ、こんな影ばかりだと気味悪いかもしれないけどさ。も非常時の避難なら良いって言ってくれたし、後は、まもなく家主になる君の許可さえもらえれば問題にもならないのだけれど…」


 そう言って、段々と声を小さくしていくザクロにホタルは半ば苛立いらだちつつ、「だからって誰よ?」と聞き返す。


「この家は、昔も今も親父のものだし。なのに、あの会場から逃げてきたときに本をかっぱらって…考えてみれば、アンタたちがこうして勝手に動かせる時点でおかしいんだからね。本来だったら親父か私しか本の内部の制御はできないはずなんだから。そうよ、どうやって操作しているのよ」


 そう問い詰めるホタルにザクロは「それは、博士が契約の隙を狙って操作権を握るような形で…」と何やらモゴモゴと言い訳するも、その言葉をクラハシはさえぎるとカウンターに表示された時計を見て「そろそろだな」とつぶやく。


「ホタルくん、そこの額縁の写真を見るんだ」


 クラハシが指さすのは、キッチンに飾られたホタルの母親の写真。


「何よ?命令するつもり?」


 そう言いつつも、ホタルはしぶしぶクラハシの言うままに額縁へと顔を向け(…っつーかアタシ、なんかもうクラハシに『くん付け』で名指しされるの当たり前になっちゃってるな)何の変哲もない写真を見つめる。


「見てるけど、なに?」


 それにクラハシは一瞬だけ額縁へと目をやり「ところでホタルくん、まもなくプレ・オープンの翌日を迎えるが、その日は確か君にとって特別な日ではなかったかい?」と逆にたずねる。


 ホタルはそれに困惑し「え、翌日?今日がプレ・オープンなら、翌日は惑星の一般公開日だけど?」と答えるもクラハシはそれに首を振る。


「違うな、もっと根本的な問題だ」


 それにホタルは必死に頭を回転させると、ふと自分の幼い姿に思いつくことがあり、言いにくいながらも小声で「…それ以外だとしたら、明日は私の誕生日にあたるんだけど」と答えてみせる。


 それにクラハシは時計へと目を移すと「ところで、話は変わるが」と動く秒針を目で追っていく。


「まだ、ミツナリ氏の安否については気になるかい?」


 その言葉に(言わせるだけ、言わせて…これかい!)と、ホタルは思いつつ「いや、まだ少しはあるけれど。ここまできたら親父だって自分で避難ぐらいはしているだろうし…」と答えつつも、ふと気づく。


(…あれ?そもそもアタシなんで親父にそこまで気をかけるんだろう。でも親父は気が弱くて、私が面倒見ないといけない存在で…けれど、今までの様子を見ているとそこまで気にかける必要があるほど自立していないような人間でもないし。そもそも。私は、なんであそこまで親父に過保護になって…)


 そこまで考えた時、ホタルの頭の中で小さな女性の声が響いた。


『0時になりました。権利が失効します』


 コトの声にも似た声。

 事務的ながらも、どこか機械めいた少女の声。


 その声に「え、何これ」とホタルは半ばパニックになるも、ついで自分の視界が急にクリアになった気がした。


「…おや、どうやらワタクシが見えている様子で」


 そこにいるのは幅広いクチバシを持ち、羽毛の生えた茶色の体をヒレのついた足で支える二足歩行の生物。子供のようにつぶらな瞳でこちらをみる生き物は、一言でいえば、そう。


「カモノハシじゃん、これ」


 ホタルは思わずそうつぶやくと、いつしか部屋中に同様の生物がひしめいていることに改めて驚いた。


「そう、ここは『アンカー』ができる以前より作られた空間共有書庫。来るのは50年ぶりだが、サポート役の生体アンドロイドたちも健在で安心したよ」


 クラハシは何か知っているのか、慣れた様子で一匹のカモノハシに顔を寄せると「さて、この建物の名前を教えてくれるかい?」と尋ねてみせる。


 途端に周囲にいたカモノハシたちの口が一斉に開く。


「「「「「「「「その名は、サミダレ・ビルヂング!!!」」」」」」」」


 建物を反響する無数のカモノハシの声。


 それは、生体アンドロイド特有の声帯からでる滑らかな肉声であり、その声に聞き覚えのあるホタルはハッとする。


(もしかして、この子達が…!)


「そう、誰が呼んだか、サミダレ・ビルヂング。つまり、君は生まれてからずっと彼らの声を聞き、無意識ながらもその存在に助けられていたということさ」


 そう言って、カウンター席に腰掛けるクラハシにホタルは狼狽し「ちょっと、待ってよ!」と思わず声を上げる。


「そんなの、今まで知らなかった。親父も母さんでさえも、そんなこと…」


 それにクラハシは立ち上がると「このビルジングの元の持ち主は、君の母親であるアズキ氏だったからね」とキッチンにあった写真の額縁を外す。


「その所有権は契約時に父親のミツナリ氏の手に渡り、以降は彼のものとなった。しかし、つい先ほど日付をまたいだことで権利が失効し、今は正式に君のものとなったというわけだ」


 そう言って、外した額縁をホタルの手に渡すクラハシ。


「契約の失効…?」


 手渡されるままに、写真を受け取るホタル。ついで、額縁に触れたか触れないかのうちに目に熱いものが走り、ホタルの頬を何かが伝った。


「何?」


 触ってみればそれは黒い液体…しかしよく見れば、それは細やかな文字の集合体であり、読み取るまもなく文字たちは瞬く間に空気中へと霧散した。


「それはオオグマ弁護士事務所で提供される生体型ナノマシンだ。契約の履行りこう時に対象者の脳内へと入り込み、契約内容を遵守じゅんしゅさせる役割がある」


「遵守って…守らせるってこと?」


 困惑するホタルだったが、同時に手に持った額縁の写真が1枚の紙へと変じていることに気づき「あ…!」と声をあげる。


「それは、契約書の写し。ミツナリ氏がカモフラージュのために静止画像を上に被せていたものだろう。もっとも、契約の失効した君が触れたことにより本来の形へと初期化されたがね」


 クラハシの言葉と共にホタルはいつしか手元の紙を読み上げる。


「『オオグマ弁護事務所の仲介により甲は乙の要求を乙の契約が失効するまで、永久的に飲むものとする。また甲の所有する財産はすべて乙に帰属するものとし、同じく契約失効が行われるまで無条件で譲渡するものとする…乙(ホクト・ミツナリ)甲(ムラボシ・アズキ)』…なによ、何よこれ…!」


 パニックになり、額縁を床に落とすホタルに「やはりね」と、クラハシは何か思い至るところがあるのか額縁を取り上げて独りごちる。


「きみと母親のアズキ氏は長いあいだ、オオグマ弁護士事務所の作成した書類の契約によりミツナリ氏の要求を飲み続けていたということだ…それもナノマシンによる、ほぼ強制的な制約によってね」


「そんな…嘘でしょ?」


 クラハシの言葉に後退るホタル。

 

「アタシ、今まで親父がダメな人間だと思って、世話を焼かなきゃいけないと思って、ずっと面倒を見ていた。母さんも、同じように親父に接していて。そのために働きたくもない仕事をして、でもそれって…」


 今にも腰が抜けてしまいそうになるホタルにクラハシは椅子を引いて座らせ「確かに、それはおかしいことだ」とホタルの目を見てうなずく。


「そして何より、その違和感に今まで気づけなかったことがこの書類による契約の効果の表れ…ただし、オオグマ弁護士事務所の誰もがミツナリ氏の企みのような契約書の作成に加担していたというわけではないことは言っておこう」


 そう言って手に持った額縁へと目を落とすクラハシ。だが、ホタルは自分の父親のしてきたことに動揺し、クラハシの言葉が耳に入らない。


「そんな…ひどい。みんな、親父が仕組んだことだったの?」


(母さんが働きすぎて死んだのも、アタシが学校を辞めてまで親父の下で秘書として働いてきたことも、全部、親父のワガママに振り回された結果で…)


「じゃあ、アタシ…これからどうしたら」


 そんな折、ホタルの膝に温かいものが触れた。

 見れば、1匹のカモノハシがホタルの膝に乗り、こちらを見上げている。


「落ち着きましたか?」


 覚えのある膝の感触。

 それにホタルは「…もしかして」とカモノハシに問いかけた。


「今まで、アタシを慰めてくれたのはアナタなの?」


 その言葉にカモノハシはホタルの目を見つめ、こう言った。


「いえ?僕ら。近場にヘコんでいる人がいたら膝に乗っかってあげるのが仕事なので。別のカモノハシだと思いますよ」


「あ…さいですか」


 急に気まずくなるホタルに対し、クラハシが「まあ、これでも飲みたまえ」とマグカップに入ったホットチョコを渡す。


「まあ、いろいろあって勝手にここを占拠したことは謝ろう。その代わりと言ってはなんだが、君の今後について私も多少の相談に乗るつもりだ」


「…ありがとうございます」とホタルはチョコを受け取るも「まだ、完全に信用したわけじゃないですけどね」と付け加える。


 そうして、そろりと飲んだチョコはホタルがいつも飲み慣れている味で、甘い香りが口いっぱいに広がり、少しずつだがホタルの気持ちは落ち着いていく。


「それにさっきも言ったが、今しがた君はミツナリ氏との契約から外れた。コトが伝えたかったのはこのことであり、君と母親は遅ればせながら自由となったというわけだ」


「そう、ですか」


 まだ現実が受け止めきれず、ぼんやりと受け答えをするホタル。

 そこにクラハシは「同時に…」と続ける。


「君は、母親であるアズキ氏の残したこのビルジングの正式な所有者となった。それも君の誕生日である、今日という日にね」


「…え?」


 そのことにホタルは驚き、顔を上げる。


「私が、このビルの所有者?親父じゃなくて?」


 それに「そうだ」と答えるクラハシ。


「コトくんから聞いたが、君が成人として誕生日を迎えた時点でそうなるよう、アズキ氏が亡くなる間際に弁護士のコジシ氏と再契約をしたそうでね。ゆえに、現時点でこのビルジングの所有権は君へと移ったというわけだ…皮肉にもプレ・オープンの翌日という、その日にね」


「じゃあ私、本当に今日になってビルの所有者になったの?」


 自分の身に起きたことが信じられないホタルに、膝に乗っていたカモノハシが立ち上がると「では、新しいオーナーのためにビルを案内しましょう」と水かきをくわえ、指笛を鳴らす。

 

 途端に無数のカモノハシが周囲から湧き上がり、あっという間にホタルとクラハシをワッショ、ワッショイと担ぎあげる。


「え、ちょっと!なに、何なの?」

 

 揺られるがままに驚くホタルに「まあ、このままついていこう」とクラハシは額縁をカウンターに置いて、そのままカモノハシの上に座り込む。


「ここから先は君にとっても必要なこと。それを知ってから、これからのことを考えたほうが良いだろう。時には、流されることも大事だよ」


「そんな…」


 ついで、カモノハシたちを乗せた床はまるごと下降を始め、ホタルは生まれてこのかた一度も訪れることのなかった自宅の地下へと進むこととなった。

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