第10話 彼方なるハッピーエンド


 しばらく歩いたあと、現れた大木のうろの中に入るように言われて従った。

 うろから地面に深くうがたれた穴は長い滑り台のようになっていて、魔王城の地底らしきところに滑り落ちる。

 なかは大きな空洞で、鍾乳洞のようでもあった。中は透き通っていて明るく、ところどころ色鮮やかなツタのようなものが垂れ下がっている。蜂蜜のような甘い匂いに満たされ、大きな羽根つきの魔物が縦横無尽に飛び交っている。

「我々の居住区はこのさらに地下にある」

 居住区というか巣ですよね。

 仮にパーティでここまでたどり着いたとしてもどうしようもなかっただろうと思った。


 マンティスが私の体を掻き抱くと、ふたたび魔物の姿に戻り、広げた羽で空を強くたたく。幾度も内壁を蹴りながら天井を目指して跳ね上がる。

 天窓のように開けられた穴を通り過ぎるとき、強い結界を感じた。

 それは個人を識別してふわりとゆるんだが、それでもかなりの圧力がある。マンティスはその部屋の床に着地するときには再び人の姿になっていた。

 魔物たちのうち、それぞれの隊の長であろうかと思われるものがその場に集う。

 それぞれ、人の姿だったり、魔物の姿だったり、あるいはその中間だったりしたが、いずれも一つの方向を見て、深くこうべを垂れていた。


 あたしは立ったままでいた。

 膝まずくのは当然、適切ではないと感じた。

 心を奮い立たせて、背筋を伸ばし、その方向に目をやった。

 その人は黒い光沢のあるベルベットのようなマントを身にまとっている。マントには金糸で細密な刺繍が施されていた。



 魔王は振り返り、あたしを認めると、親しみをこめた微笑みを浮かべた。

 いつも通りに。

 ただ、その額から長く大きな触覚が生えていた。

 ヤギのように黒くまっすぐな角のように高くそびえ、そのままマントと同じぐらいの長さで足元まで垂れている。

「よくきたね。メグ」

 彼はいつもの中間管理職のような軽い感じであたしに呼び掛けた。



「あなたが実質的にこの国の王なのですね」

 人間の城で宰相として働き、この魔王城で君臨している。

 王城で過ごしている者のもしかしたら半分以上が本来の姿があるものだったのかもしれない。あたしの声は非難めいた色合いになったが、彼はいつもの調子だ。

「まあ、そういう取り方もできるね」

 彼の姿は話をしながら、本来の姿と人間の姿を行ったり来たりする。

 信じたくはなかったが、本来の姿はいわゆるゴキブリらしかった。

 自分の身の丈の五倍ぐらいの巨大なゴキブリが起立している。全身、油が回ってつやつやしている。どの虫形状の魔物を超越した恐怖感を与えられる。

 ほんの数回瞬きした隙に、すぐ目の前に距離を詰められている。

 メスクワガタだと自己暗示をかけようとしたが無理。

 超絶的素早さ、しなやかな動き。縞々の腹の柄、キラキラつやつやしている薄葉の羽、とげとげの足。三億年進化しないという総合的に完成された形状。

 指ほどの大きさのゴキブリでも恐怖のるつぼなのに、こいつがこっち向きに飛んで来たらどうしようかと考えるだけで足が震えた。



「メイド長はなんですか、やっぱりカミキリムシですか」

 言葉に詰まって苦し紛れに吐いたセリフを宰相はひどく可笑しそうに笑った。

「彼女は人間さ、残念ながら。命を与えることはできるけれど、誰かがきちんと年を取らないと、帝国に怪しまれると言ってね」

 彼はそう言って、マントをひるがえす。魔の波動が強くなると、再び彼の姿は虫の姿に近くなる。

「私はね、勇者なるものが神聖魔法を使うたびに、力を封じられ休眠状態になる。しばらくすると力を取り戻して蘇る。それをずっと繰り返してきた」

 他の者たちは魔王の影響を受けてか、虫の形状に近くなる。

 怯えたあたしの手を握っているマンティスは、必死に人の形状を保とうとしている。

「星がまた天から落ちてきたとき、また封じられるのかと腹が立ったよ。それがね、一年たっても三年たっても五年たっても十年たっても勇者が来ない。全然待ってはいないのだが、不思議でならなくなり、星の気配をたどって王城に乗り込んだ。どうするつもりだったのかと聞かれたら、殺そうかなと思っていた」


 人に化けて、深夜に王城の窓から忍び込んだら、勇者はすっかり人事不省になって寝たきり。宰相を始めとする大臣は総辞職して国外逃走中。

 城の中は退職金代わりに什器備品を持っていかれ、盗賊にやられたように荒廃していた。すっかり興をそがれ、魔王城の方が住みやすそうだと帰ろうとしたとき、メイド長につかまった。

「働かされることになってね。あまりにも忙しくて大変だから、こっちから人間変化できる部下を全員連れてくる羽目になった」

 人間に変化した部下に仕事を割り振り、なんだかんだと働いているうちに、部下たちは人間達と結婚し子供をもうけ始めた。人間よりも魔物の方が繁殖力は強くサイクルが速い。

 いまや人口の六割以上は魔族とその魔族にルーツを持つ混血となってきている。

 完全に人の姿になれる者は王城で、人の姿になるのには若干能力が足りないものは魔王城寄りで居住するというルールになっている。



「メグは私が国王だと言ったね。やはりそれは間違っている」


「王子はこの国に相応しい国王であり、白い星の勇者。この私ですら、彼が虫除けをかけた王城の中で本来の姿に戻ることはできない。そして彼があんなんでなければ、我が国の三十年の平和は訪れてはいない」

 人の平和と虫の平和。

 国の者に行き渡る分だけでいい。余分に豊かになれば帝国の脅威となり、利益は帝国に吸い上げられるだけ。収穫量は必要にして十分なだけに狙い落す。

「王子にはこれからあと三十年、できればもっとながく元気でいてほしい」


 今は姿形から“魔物”と呼ばれているが、この国の民として安寧に暮らしたい。あと三十年もあれば人と虫とは融合し、新たな民族として成立するだろう。その頃には豊かな国となるはずだ、と魔王は夢を語った。

 「我々は、メイド長も含めた我々全員は、総意として君を新たな次世代の人間側のパートナーとなってもらいたいと考えているのだよ」

 最後を厳かにそう締めくくり、微笑んだ。



 黄緑色の恋人は上司に促されて、あたしの手を握ったままあたしの前に膝まずいた。そして、おそらく調べて覚えてきたのであろう人間式の愛と求婚の言葉を口にした。

 言葉はあたしの心に響かなかったが、光を受けて輝く緑色の大きな眼差しをまっすぐにむけられて息が止まった。

「僕は君に頭から食べられたい」

 ギャラリーのテンションはその瞬間爆上がりした。

 言葉のニュアンスは全然わからなかったが、それが彼の種族にとって最高の愛のセリフなのだと理解した。

 愛はそう、異文化相互理解の上に成り立つに違いない。



「帝都では獣人の恋人を持つことは結構ステイタスなんです。獣人も虫人もそんなに変わらないわね。アタシのダーリンは人外よって。自慢できるわ」

 マンティスはあたしを抱きかかえて喜び、興奮のあまりちょっと虫に戻った。

 ものすごく目線が高くなって、体を固くしたあたしに気を使ってすぐに人の姿に戻ろうとする。

「だいじょうぶよ。あたしカマキリは結構好き」

 彼の首にしがみついて、彼にだけ聞こえるように囁いた。

 むしろカマキリ以外はちょっと無理、と思ったことは今後の人間関係を大事にするため飲み込んだ。

 足元のデカムカデもきっと顔見知りの誰かなのだろう。

 ゴキブリでもムカデでもなくてよかったというのは偽らざる本音だった。

 でも、カマキリの耳はどこにあるのかしら。



 魔王城から見た王城は朝日を戴いて光り輝いている。

 色とりどりのバラの花に抱かれて。





『お姉さまへ


 先日帝国が出兵された討伐隊は、瘴気に阻まれ残念ながらほぼ全滅したようです。私も参加しておりましたが、ケガではなかったので手の施しようがありませんでした。残念です。

 突然ですが、私はこちらの城の警備兵の人と結婚することになりました。

 短い間でしたがお世話になりました。帝都の私の家は処分してください。

 食べるものにすら困る生活ですし、いろいろと困難はありそうですが、彼方なるハッピーエンドを目指して支えあって生きていきます。  メグ』



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彼方なるハッピーエンド 錦魚葉椿 @BEL13542

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