第17話

家を出る日が差し迫ってきて、荷物をまとめていると、

「これ、持ってく?」

と、ほんの少しの間だけ使っていた抱き枕を持ち出してきた。

あの頃の博人くらいの大きさの物を買ってもらったはずだけど、今見ると意外と小さいな。

「あー、いいよ、それは。俺、寝相悪いから下に落としちゃうし」

そう言うと、博人が微妙な顔をした。

「なんだよ」

「あれさ…、俺が落としてた」

正確に言うと、放り投げてた。

「……なんで?」

少し視線を泳がせたあと、

「真幸が俺以外のものを抱きしめてるのが嫌だったから」

なんだ、それ。

呆れて口をぽかんと開けたままでいると、博人はバツが悪そうに枕を放り出した。

「寂しくても誰かに抱きついたりしないでよね」

「…じゃあ、それ持ってくよ」

拾い上げて、ぎゅっと抱きしめる。

「おまえの代わりにな」



結局、一人で鎌倉に住むのは不用心だということで、博人が上京するまでの一年間は寮住まいということになった。

寮は一通り家具が揃っているので、身の回りのものだけ持ち込めばいい。

手続きは済ませてしまえば、一人で大丈夫だと入寮の日は両親の付き添いを断った。

新幹線で発つ日、父は仕事へ行き、母と3人が見送りに来てくれた。

好彦と潤一は涙目になっている。

「身体に気をつけてね。何かあったらすぐ連絡するのよ」

気丈な母らしからぬ、少し寂しそうな表情だ。

潤一は博人にぴたりとくっついている。この2年で随分、大きくなったな。

頭を撫でると、博人から離れて俺の腰にしがみついてきた。

「まーくん…、いつ帰ってくるん?」

「行く前から、帰ってくる時の話か。夏休みには帰るよ。その時にはピアノを聴かせてくれよ」

うん、と頷く癖のある髪をくしゃっと撫でた。

顔を上げると、急に背が伸び始めた好彦が、じっと俺を見ていた。

少し反抗期に入りかけているのか、もう昔のように飛び付いてきたりしない。

丸い頭をぽんぽんと叩いた。

「博人を助けてくれよ」

「うん…」

反抗期でも感情豊かなのは変わらないな。今も、泣かないように歯を食いしばっている。

後ろに立つ博人からは、なんの感情も見えない。

感情が振り切った時の博人は無表情になる。悲しい時も辛い時も。

兄弟で従兄弟で恋人。

でも、ここでは恋人のように別れを惜しむことなんて出来ない。

視線が絡み合う。

「後のこと、頼むな。博人」

「うん。分かってるよ」

博人は潤一の手を握っていた。強く握っているのか、潤一が心配そうに博人を見上げている。

お前にも抱き枕必要だったかもな。

「じゃあな」

着いたら連絡する、と母に告げて新幹線に乗り込んだ。

座席に座ると、窓の近くへ移動してきた3人が手を振る。好彦と潤一が何か言っている後ろで、博人が俺を見つめている。

動き出した瞬間、博人の唇が動いた。声は発さず、俺にだけ分かるように。

駅を滑りだした新幹線の窓はあっという間に違う景色になっていた。

視界が曇り、思わず俯く。隣の席に誰もいなくて良かった。

目元を拭ったとき、スマホが鳴った。博人からだ。

(あいしてるあいしてるあいしてる)

「はは……ストーカーかよ」

顔を上げて、ぼんやりと流れる景色を見る。1年が長いのか短いのか見当もつかない。

でも、この先二人で生きていく為には、一人で歩けるようにならないといけないんだ。

それが出来て、初めて互いを支え合うことができるんだと思う。

どちらかが居なくなった時、倒れてしまう関係なんてダメだ。

もう、言葉にしなくても博人は分かっているはずだ。

もう混ざり合ってひとつになったんだから。

スマホを握り直して、博人にメールを打った。


弟で従兄弟で恋人で、もう俺の一部になった博人に。



End

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