第5話
俺と博人の関係は特殊だ。
博人は、1歳しか違わないこともあって、両親よりも俺の後を着いてまわっていた。
子どもの頃は手を繋ぐのは当たり前(はぐれないように)、ハグやほっぺにチューも当たり前(好彦ともする)だったから、この頃から距離感はおかしかったのかもしれない。
お互いがいれば、親からはぐれて迷子になっても全然平気で、呑気におもちゃ売り場を歩いていたこともあった。親は焦ってたけど。
そして、俺とは真逆の容姿をしている。
色が白く、少しタレ目で左目の下にホクロがある。子どもの頃は小さくて可愛くて、よく女の子に間違われていた。
今はサッカーをやっているせいで、夏は少し黒くなるけど、それでも何もしていない俺と同じくらいの色だ。
冬には元に戻って白くなる。ウサギかよ。
見た目は柔和そうに見えるが、中身は違う。
負けず嫌いで芯が強く、几帳面で妥協を許さない。
決して、痛いとか苦しいとか疲れたとか言わない。
その精神力の強さはどこから、くるんだろう。同じ家で同じものを食べて育って、なんでこんなに違うのかと思うくらいだ。
4歳より前の記憶がない俺にとって、初めて認識した人間が博人。
海で溺れて入院していた時、初めて見たのが、赤いミニカーを差し出した博人の顔だ。
子どもの頃は、海で溺れる夢をよく見た。
恐くてうなされていると、隣に寝ていた博人が起こしてくれた。
その頃、俺は女性が恐くて、母でさえ近寄るのを嫌がったので、いつも隣に寝るのは博人。
うなされて目覚めたあとは、怖くて、まだ小さかった博人をぬいぐるみのように抱きしめて眠った。
温かくて柔らかい身体に触れていると落ち着くからだ。
それは、小学生の高学年まで続いた。
さすがに中学に入る頃には、それはまずいだろうと、抱き枕を買ってもらって、博人との間に置いて眠るようにしたが、いつのまにかベッドの下に落ちていて、博人を抱きしめていた。
何度か、それが続き、
「邪魔だから、どけていい?」
と博人が言ってお役御免になってしまった。
博人には窮屈な思いをさせて、申し訳なかったが、結局元に戻ってしまったのだ。
そんなに、寝相悪かったのかな、俺。
けど、さすがに中学生になると、夢を見る頻度も減って博人に迷惑をかける事もなくなった。
しかし、今度は違う問題が出てきたんだ。
俺が中1、博人が小6の時だ。
博人の学校で性教育の授業があった。俺も一年前に受けたけど、その時はなんとなく、家で話しちゃいけないことかなって思ってて、その授業については父親と少し話したくらいだった。
その日は父親が出張でおらず、夜になって博人が俺のベッドに入ってきた。
「真幸はしたことある?」
「………………………何を?」
聞きたいことは分かるが、あまり話したくない。
なぜなら、俺たちは少し前から互いの身体を触ったりするようになっていたからだ。
当然、年上の俺の方が身体の成長は早い。
うっかり一人でシテいるところを見られて以来、互いに触りあったりするようになっていた。
ほっぺにちゅーとかは、好彦なんかにもしてたけど、口にするようになったのはその頃からだ。
今、思えばおかしい事なんだけど、その時はなんとなく自然な流れのような気がして気にしてなかった。
友達との会話の中で、いくら兄弟同士でも、そんなことはしないって知って、驚愕したんだ。
それ以来、博人には見つからないようにしているし、口にキスもしない。
「せっ」
「みなまで言うな」
真幸が聞いたくせに、と博人が口を尖らせた。
「あるわけないだろ」
「ふうん。先生は、好きな人とじゃないとダメだって言ったよ。好きな人いないの?」
「いねぇよ」
「じゃあ、キスは?」
「ねぇっつーの」
文句あんのかよ。
沈黙が落ちる。なんだ、この間は。
「じゃあ、俺以外としたことないんだね?」
少し顰めた声で、確認するように博人が言う。
何気に、ぐさっとくること言うなよな。
「おまえは、誰かとしたことあんの?」
「うん。クラスの女子と」
へー、今時の小学生ってマセてんな。一歳しか違わないけど。
「その子のこと、好きだったのか?」
「いや、別に…。したいって言われたから」
「なんだ、そりゃ。そんなんダメに決まってんだろ!」
俺の弟が、だらしない男になんて、なってほしくない。
「そういう事は、ちゃんと好きな子としろよ」
「うん。もう真幸としかしない」
「そう…え?」
「ん?」
顔を横に向けると、博人の白くて小さな顔が間近にある。
「えー…と。そういう好きじゃなくてさ」
「じゃあ、どういう好き? 俺、真幸のこと考えると、ちんちん勃つよ」
えーと。えーと。
なんで、こうなった?
幼少の頃からくっつきすぎて、距離感がおかしくなったから?
キスやハグを当たり前のようにしたのがいけなかった?
夜、抱きしめて寝たりしたのがいけなかった?
ふざけて触りあったりキスしたりしたのが悪かった?
ぐるぐると頭の中でいろいろな事が駆け巡る。
「真幸は、俺のことキライ?」
「え、いや…」
「じゃあ、好き?」
博人の眼差しが思いの外、真剣だ。どっち?と詰め寄ってくる。
俺、なんで責められてんの?
「そうじゃなくて。セッ……キスは、女の子とするもんだろ」
「好きな子と、って言ったじゃん」
「『好きな女の子』と、だよ」
「真幸は、『好きな女の子』としたいの?」
「そりゃ……」
そうだ、と言おうとして、はた、と考える。
俺、そこまで誰かを好きになった事、あったかな。
髪の長い子は論外だし、だからと言ってボーイッシュな子が好きかと言われたら、別にそういうわけでもない。
好きだ、と告白された事もあったけど、「ありがとう」だけで、そこから先に進んだ試しもない。
あれ?俺ってなんか淡白?人より性欲ないのかな?
そんな事ないよな。身体は正常だし。
博人が、ふいに腕を絡めてきた。
「真幸も、俺以外としないでよ」
他の人と、したら嫌だ、と可愛い顔を歪めて言い募る。
それを見ていたら、なんだか可笑しくなってきた。
まだ、子どもなんだ。
自分のモノを誰かに取られるのが嫌なんだよな。
いずれ、成長してこの会話も笑い話になる時がくるだろう。
俺の顔を真剣に見つめる博人の小さな身体を抱き寄せて、頭をぽんぽんと叩いた。
「わかったよ。博人だけだ」
そう言うと、嬉しそうに抱きついて、かわいらしく唇に、ちゅっと触れてきた。
それが4年前。
可愛かった博人はもういない。
博人の目が、今、爛々と輝いている。
今年のお盆、鎌倉の祖父の三回忌を行うのだという。
去年は博人の受験、その前は俺の受験ということもあって、父だけが墓参りと空き家になった祖父の家の手入れのため、鎌倉を訪れていた。
今年は、母も好彦と潤一を連れて行くという。
「真幸と博人は、どうする?」
「俺、休み中、部活があるから残るよ」
そう言って、テーブルの下で、博人が俺のハーフパンツを引っ張る。
なんの合図だよ。
「真幸は?」
「えーと」
脚を蹴られた。
「あー…、俺も予備校の夏期講習を受けたいんだよね」
これで満足か。
「そうねぇ。博人だけ残すのも不安だし、二人なら安心ね」
「えー!じゃあ、俺も残る!」
好彦が不満そうに言うと、博人がにこりと好彦に笑いかけた。
「法事にはカナちゃんも来るんじゃない?久しぶりに会えるよ」
「え、ホント?」
好彦が母の方を見る。
カナちゃんは父の従兄弟の子で、確か、俺と同い年の子だ。好彦は彼女が好きで、よくついてまわっていた。
今思うとマセてたな。
「そうね、今年はみんな集まるから」
好彦はもう乗り気だ。
潤一は何が話し合われているのか、わからないようで、キョトンとしている。
「潤一は、墓参りも法事も初体験だろうから、ヨシがちゃんと面倒みてくれよ」
「わかってるよぉ。潤一、心配いらないからな!」
勢いに押されて、潤一も頷いていた。
「うまいな、おまえ」
「何が?」
好彦をノせるのが。
部屋に戻ると、博人は機嫌の良さを隠さずに、にこにこしている。
その人畜無害な笑顔が怖いよ。
「カナちゃんは、おまえ目当てだったろ?」
年が近いから、とよく俺たち兄弟と一緒に行動してたけど、常に博人に話しかけていた気がする。
くるっと博人が振り返った。
「違うよ。あの子は真幸に気があったんだよ。でも、真幸が無愛想だったから俺のほうに来てただけ」
「へ?」
俺は、彼女の長い髪が触れないように、いつも、好彦か博人を間において話していた。
「だから、真幸は髪の長い子は好きじゃないよって言ったら、次の年にはショートにしてたじゃない。覚えてないの?そしたら、真幸が、その髪型似合ってるねって、彼女に言ったんだよ」
余計なこと言わなきゃよかった、と最後の方は苦々しい口調で言う。
そうだっけ?最後に会ったのは3年前だから、あまり印象に残っていない。
博人は呆れたような顔で俺を見た。
「なんだ。やきもきして損した。ほんと、真幸って天然のタラシだよね」
「おまえに言われたくねぇよ」
そのとき、ドアがノックされた。潤一だ。
「開いてるよ」
顔を出した潤一は、ちょっと不安そうな表情をしていた。
「どうした?」
博人は机の椅子に、俺は博人のベッドに座っていた。
潤一は俺のほうにくると、膝の上に乗っかってきた。
「まーくんと博人くんは行かへんの?」
そうか。親戚連中からしたら、潤一の存在は異質なものなのかもしれない。
格好の話のネタになるだろう。
嫌な言葉を聞いてしまうかもしれない。
やはり、傍にいてやった方がいいのか、それとも鎌倉へはやらず、この家に残した方が潤一のためになるのか。
潤一の頭越しに博人の顔を見る。
博人も眉を寄せて考えるような素ぶりを見せた。
「あー!ここにいた!」
ノックもせず、好彦が乱入してきた。
「潤一、海で泳いだことあるか?花火大会は?夜店の金魚すくいは得意?俺が案内するからな」
もう気持ちは鎌倉に飛んでいる好彦の楽しげな様子に釣られたのか、潤一も不安そうな様子はなくなり興味津々の表情になった。
すげぇな、好彦。人を巻き込んでいく力は最強だ。
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