第2話


「真幸、博人」

母が好彦と潤一を2階に上げた後、俺たちを呼んだ。

「さっき、言ったとおり潤一くんをしばらく預かることにしたから。ふたりには迷惑かけるかもしれないけど、ごめんね」

博人と顔を見合わせて頷く。予想はついていた。

「お父さんには、連絡しておくから。あと、お願いね」

時計を見ると、母の出勤時間だった。

元々、教師だった母は俺が中学に上がると同時に予備校の講師として働き始め、午後から出勤して、夜10時頃に帰ってくる。

商社に務める父も帰りが遅く、その頃から好彦の世話と夕飯の準備は俺と博人が請け負うようになっていた。

「大丈夫だよ。いってらっしゃい」

ばたばたと準備して出かける母を見送り、後片付けをしていると、博人が横に並んだ。

「夕飯は残った寿司と…、うどんでも作るか」

「そうだね」

相鎚を打つ博人が本当に言いたのはこれではないな、と感じていた。

「真幸」

「…その話は夜な」

ふっ、と溜息をついて博人は切り替えた。

「1年の女子に呼び出されたって聞いたけど」

そっちの話もあったか。

「断ったよ。分かってんだろ」

「まあね。いっそのこと、はっきり、ロングの子は好みじゃないって言えば? ああ、それじゃ学校中、ショートヘアばっかりになるか」

笑う博人を横目でにらむ。デリケートな問題を茶化しやがって。

それに、そこまでモテるわけでもない。

自分では言わないけど、博人のほうがもててるはずだ。

父親似の整った顔。横顔なんて彫刻みたいだ。少し垂れた目は笑うと優しげで、まわりの雰囲気を柔らかくする。

目付きが悪いと言われる、俺の切れあがった目とは正反対だ。

「色白の男はあんまりモテないよ。むしろ真幸みたいな、ちょっと危険そうなタイプの方がセクシーでいいんだってさ」

「なんだ、それ。誰に聞いたんだよ」

クラスの女子、と、しれっと言った。

たしかに俺と博人ではまったくタイプが正反対だ。二人並んでいても、兄弟とは思われない。

兄弟じゃないんだから、当たり前か。

コップを洗っていると、ふいに博人の指が頬に触れた。

「水、飛んでる」

濡れた頬を指で拭い、すっ、と顔が近づいて柔らかい唇が掠めていく。

「おい」

部屋以外でそういうことするなよ。

「…分かってるよ」

離れて笑う顔は男くさい。こんな顔、学校や女子の前では見せないんだろうな。



経験上、子どもは腹がいっぱいになったら寝る。

「先に風呂に入れるか」

夕飯前に潤一を風呂に入れようと、博人と打ち合わせていると、既にお腹をすかせたふたりが2階から降りてきた。

あんだけ寿司、食ったのに、燃費わりぃな。

「俺が潤一を風呂に入れるから、夕飯の準備頼んでいいか?」

「いいよ」

「俺も! 俺もお兄ちゃんとお風呂入る!」

ついてこようとする好彦の肩を、後ろから博人が、ガっと掴んだ。

「ヨシくんは、お手伝いね」

博人に言われては、好彦も逆らえない。この辺のパワーバランスは絶妙だ。俺はついつい甘やかしちゃうからな。


相変わらず潤一は、一言も発しない。

正直、服を脱がすときは、もし、傷や痣があったらどうしよう、とドキドキした。

けれど、身体はキレイなものだった。

ただ、ガリガリで骨が浮いているのが気になる。まともに食べてなかったのかな。

言葉は話さないが、素直に言う事は聞くし、よく見るとカワイイ顔をしている。

デコが目立つけど。

「目、瞑ってろよ」

癖のある髪を洗ってシャワーで流し、そのまま全身を洗い終わり、髪をオールバックにしてデコを全開にすると、キューピーみたいだ。

「よし、男前。後は温まってあがるか」

軽い身体を持ち上げて湯船に入れてから、自分の身体をざっと洗う。

湯に浸かって、じっとこっちを見ているので、なんだと言うと、自分の髪をくるくると巻く仕種をする。

「ん? ああ、俺の髪も癖があるからな。潤一と一緒だ」

はにかむように笑う顔は年相応なんだけどな。

あがってタオルで拭いてやっていると、昔の好彦を思い出す。この年の頃の好彦の面倒を忙しい両親に代わって、博人とよく見ていた。

好彦は暴れるわ、言うこと聞かないわで大変だったけどな。


キッチンへ行くと出汁の良い匂いがしてきた。

「ああ、同じ匂いになったね。我が家へようこそ」

ドライヤーで乾かしてふわふわになった潤一の頭を撫でて、博人が言った。

兄弟全員、同じシャンプーを使うから風呂上がりはみんな同じ匂いだ。

「ヨシくんが使ってた練習用のお箸出しておいたよ」

「おお、さんきゅ。てか、残ってたのかよ、物持ちいいな」

最初はおぼつかない手つきで、うどんを摘まんでいたが、すぐに慣れて上手に使うようになった。

ゲームの時も思ったけど、ホントは手先が器用なんだ。

ただ単に日常的なことを、きちんと教わってきてないだけの気がする。

ボタンの留め方も知らなかったし、紐の結び方も知らない。

もしかしたら鉛筆の持ち方もちゃんと教えてもらってないんじゃないのか。

いったい、どんな生活を今までしてきたんだ。

「上手いじゃん、潤一。次は、寿司に挑戦してみようぜ」

褒め上手の好彦が横で一緒に寿司をつまんでいる。自分より年下が出来て嬉しいのか、お兄ちゃんヅラ、全開だ。

「夕飯、食べたら、またゲームしようぜ。それとも、俺のコレクション見る?」

テンションが上がる好彦を制して、博人が冷静に言う。

「いや、潤一はもう疲れてるから。おねむだから。また明日ね」

「おまえ、宿題やったのかよ。お母さんに怒られるぞ」

えー、と嫌そうな顔をしたが、最後のイクラを皿に乗っけてやると美味そうに口に入れた。

単純で助かる。


俺が後片付けをしている時、母から連絡がきた。

(お父さんの了承を得た。詳しい事は帰ってから)

母は、もう潤一を引き取る気でいるんだ。

父は何においても、基本的に母の決断に反対しない。信頼しているんだろう。

スマホを置いて居間を見ると、博人が潤一を膝に乗せて絵本を読み聞かせている横で、好彦は宿題と格闘していた。

好彦は母に似ている。見た目も中身もそっくりだ。愛嬌のある細い目や笑った顔、頭の回転が速く、話し上手で情に厚い曲がった事が大嫌いなところも。

俺だけが両親の要素をまったく受け継いでおらず、浮いている。

「お兄ちゃん、ここ教えてー」

何も知らずに懐いてくれる好彦はカワイイ。

でも、ごめん。俺はおまえのお兄ちゃんじゃないんだ。



「真幸、起きてる?」

暗闇の中で博人の声がカーテン越しに聞こえた。

「…ああ」

部屋のちょうど中央の窓際にベッドを二つ並べ、境界線代わりに、天井に取り付けたカーテンで仕切っている。

とはいえ、カーテンは普段はあまり使わず、互いの友達が来た時やテスト勉強をする時だけ活用していた。

今日まで中間試験があったのでカーテンは引いたままだったのだ。

カーテンを寄せると、博人がこっちを向いていた。

「潤一のこと、どう思う?」

「…お母さんの言う通り、ネグレクトだろうな」


ふたりを寝かしつけた後、仕事から帰った母から詳しい話を聞いた。

博人が作ったうどんを食べながら、説明するからと俺達をテーブルにつかせると、潤一は、大叔母の旦那の姉の旦那の兄弟の娘の子だと言った。

「それって、めちゃくちゃ遠いな」

頭の中で家系図を描くが、ぴんとこないし、母親と血の繋がりさえない。

「よく、大叔母さんもここに連れてきたよね」

言外に図々しい、と博人は言っているようだ。

「親戚にイイ顔したくて預かったものの、手に負えなくてここに連れてきたんでしょうね」

母も中々辛辣だ。

「でも、良かったわ。ここに連れて来てくれて。知らない家をたらい回しにされるなんて事になっていたら…」

割り箸を握る手に力が入っていて、今にもへし折りそうだ。

母は仕事の合間に潤一を引き取る算段を整えていた。それに、元教師という経験を存分に発揮して手続きの段取りも調べていて、決断した時の行動の速さはさすがだ。

そこで、俺たちも潤一について気がついたことを話した。

母はため息をついて、箸を置く。

「どうやら、学校もろくに行ってなかったらしいのよね。お祖母さんに預けられたのが半年前らしいんだけど、ちゃんとした手続きも取ってなかったらしいし。出生届が出ていただけ、マシなのかもしれないわね」

そこまで、ひどいとは思ってなかったな。

「まったく喋らないのも、なんか関係あんのかな?」

「大叔母さんも声を聞いたことがないって言ってたから、明日、念のため病院に連れて行くわ」

忙しくなるわね、と、それでも母の顔はイキイキとしている。

面倒な事が起これば起こるほど燃える人なのだ。

「二人の負担が増えてしまうのは申し訳ないんだけど…」

「いいよ、そんなの。好彦も役に立つようになったし」

「潤一も可愛いしね」

博人と顔を見合わせると、母はほっとした表情を見せた。



「俺の時も、あんな感じだったのかな」

博人の手が伸びて、上掛けの中で手が握られた。

「…そっちに行っていい?」

俺の返事を待たずに、博人はするりと俺のベッドに移動してきた。

そのまま、腰を抱き寄せて身体を密着させる。

「…大叔母さんは、どこまで知ってるんだろう」

博人の少しハスキーな声が、耳元を掠める。


5年前、鎌倉に住む父方の祖母が亡くなったときだ。

鎌倉の広くて古い家の中、真夜中にお腹が空いてこっそり博人とキッチンに行こうとしたとき、一室からまだ起きていた母たちの会話を聞いてしまった。

(真幸くんも大きくなって、ますます瞳子ちゃんに似てきたわね)

瞳子というのは、父の歳の離れた妹で俺たちにとって叔母にあたる。病弱で20歳になる前に亡くなったので、俺たちは会ったことがない。

(あなたも大変ね。瞳子ちゃんの産んだ、誰の子か分からない子を押しつけられて。自分の子もいるのに)

母は、子どもはみんな一緒ですから、と硬い声で言った。

繋いでいた博人の手に力が入った。

今、なんて言った?

「真幸…」

「しっ」

博人が不安げに見上げていた。この頃、まだ博人は俺よりも小さかった。それでも、意味は理解できていたようだ。

その後、どうやって部屋に戻ったのか覚えていない。

ただ、客用の布団の中で博人と抱き合って眠った。

両親に似ていない事は分かっていた。そして、瞳子という叔母を写真で見たとき、自分によく似ていることも。父の妹だ。似ていても不思議はないと、その時はなんの疑問も持たなかったけど。

そういう事だったのか、と理解した。


両親はあまり親戚付き合いをせずに、我が家は親戚の中でも孤立している。

鎌倉の祖母に続いて祖父が3年前に亡くなってからは、母方の祖父母以外に交流があるのは、あの大叔母くらいだ。

今思えば、俺のことが耳に入らないようにという配慮だったのかもしれない。

「あの大叔母が知らないわけないだろ」

なんにでも首を突っ込みたがる人だ。

身体にまわされた博人の腕に力が入った。

「真幸と潤一は違うよ」

俺たちは血が繋がってるんだから。

博人の手が頬に触れ、額にかかる髪をかき上げてきた。

閉じていた目を開き、間近にあるきれいな形の唇を見つめる。

「従兄…になるのか」

「絶妙な関係だね。結婚も出来る」

「…ははっ、何言ってんだ」

額と額を合わせ、唇が触れてきた。

「博人…ふっ…ん」

最初は触れるだけのカワイイキスだったのに、今は舌を差し入れられ好き勝手に動いて息が上がるまで解放してくれない。

これが気持ちいいから困る。

あ、やばい勃ちそう。

「ぁ……博人…も、やめ…」

「ん…もうちょっと」

唇を食んで舐めるやらしいキスに、つい舌を差し出す。

舌が絡まる淫靡な感覚に浸っていたとき、ドアノブがガチャっと動いた。

ぎょっとして、思わず博人にしがみつくと、博人もドアを振り向いた。

ドアは開かない。

博人とこういう事をするようになってから、夜は鍵をかけるようにしていたからだ。

「んー……誰?」

博人がわざと、寝ぼけたような声を出すが、返事はない。

なに、恐い。

好彦なら合図するはずだ。

まさか。

博人がベッドから降りて、ドアを開けた。

ドアの前には小さな身体。

「…潤一、どうしたの?」

潤一は好彦の部屋に寝かせていたのだ。

俯いたまま、何も言わない潤一に博人はしゃがんで問いかけるが、首を振るだけだ。

「ヨシくんに意地悪された?」

また、首を振る。仕方ない。

「こっちにこいよ。今日はここで寝るか?」

ぱっ、と潤一が顔を上げた。博人が苦笑しながら、部屋へ入れると、ぱたぱたと走り寄ってベッドによじ登ってきた。

「ん? おまえ、手も足も冷たいな。ずっと廊下にいたのか?」

手や足に触ると、びくりと身体を震わせ、怯えたような目で見てくる。

「別に怒ってねぇよ。ほら、こっちにこい」

小さくて細い身体を引き寄せる。

戻ってきた博人が反対側から潤一を挟むようにしてベッドに入った。

「ほんとだ。風邪ひいちゃうよ」

博人が小さな手を両手で挟むと、はにかむように博人を見上げた。

「潤一もノックを決めようか」

「そうだな」

夜中に部屋に訪ねてきた時のために、好彦とノックの仕方を決めている。

好彦は単純だ。均一によ・し・ひ・こと四回ノックする。

「じゃあ、潤一はこうだな」

潤一の掌に指で、トン・ト・トンと三回叩く。

じゅん・い・ち。

「いいか、夜、部屋に来たら、こうドアを叩け。一回叩いて間を開けて二回だ。それで潤一だって分かるからな」

リズムを教えると、同じように指を叩いて笑った。

「いつでも、来ていいからな。廊下でずっと立ってたりするなよ」

頷いて、抱きついてきた。

やはり、声は出さないか。

潤一の頭ごしに、博人がちょっと情けない顔をしているけど、知ったことか。

けれど、潤一ごと俺を抱きしめると、潤一から見えないようにキスをして満足そうに離れた。

懲りないヤツだな。


大丈夫。

この家はとても優しいから、潤一のこともきっと大事にしてくれる。

ここが、潤一にとって安心できる場所になるはずだ。

俺がそうだったように。

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