気になるあの人は二刀流

和辻義一

気になるあの人は二刀流

 私が気になるあの人は、四つ年上のチームリーダーだ。


 中堅どころのシステムアウトソーシングの会社に入社して一年目の私は、毎日を慌ただしく過ごしている。私の仕事は、お客様である某大手企業に常駐しながらの、コンピュータ関係のヘルプデスク業務だ。


 今の部署に配属された当初は、まさに右も左も分からない状態だったが、チームリーダーである彼が優しく丁寧にサポートしてくれるから、半年以上が経過した今でも、何とか仕事を続けられている。


 正直なところ、女の身でのヘルプデスク業務というものは、なかなかにハードだ。特に管理職クラスのおじさんなんかが相手だと、こちらが若い女だからか、結構きつい物言いをされたり、かと思ったら一歩間違えればセクハラまがいのことを言われたりすることも多い。


 それゆえか、私と同期で入社した新入社員は約二百人ほどいたはずなのだが、入社後半年ほどでその半分ぐらいが仕事を辞めてしまっている。新入社員約二百人のうち、男性が四割、女性が六割といったところだったが、聞いたところによると、既に仕事を辞めた新入社員の約八割は女性だった。


 そして、会社の先輩達から聞いたところ、こういったことは別段珍しくもなく、毎年の恒例行事だという。うちの会社、一体どれだけブラックなんだろう。


 ちなみに、私の所属する会社では、本社勤めが出来るのはエリートコースに乗った一部の人達で、新入社員の大半は私と同じように、契約先のお客様の元へ「オンサイト」という名目で出向させられる。一応私の会社曰く、断じて「派遣」ではないらしい。


 そして、出向先がどんな会社なのかはもちろんだが、その出向先での上司――チームリーダーがどんな人なのかによっても、私達新入社員の今後が決まってくるという。


 入社して約一か月の間、私達は本社で新入社員研修を受けた後、それぞれの配属先(つまりは出向先)を聞かされたのだが、その時に四十を少し過ぎたぐらいの課長が私に向かってこう言った。


「良かったね、磯崎君……キミの配属先のチームリーダーはだよ」


 最初は課長の言葉の意味が分からなかったが、実際にそのチームリーダー――戸部とべ先輩の元で仕事をするようになってから、すぐにその意味が理解出来た。


 戸部先輩はすらりと背が高く、顔立ちも整っていて、おまけに頭の回転が速くて優しい。同じ研修を受けた同期の女の子達から「配属先、代わってよ」などと言われたのは、実は一度や二度ではない。


 ただ、課長が戸部先輩を指して言ったもう一つの言葉が、ずっと気になっていた。


「ちなみに戸部君は、二刀流だからね」


 課長はくくっ、と喉を鳴らして笑ったが、あれはどういう意味だったのだろうか。言葉をそのままとらえれば、その――どうしても、に聞こえてしまう。


 そしてこれまでのところ、戸部先輩には彼女と呼べるような人はいないらしい。らしい、というのは、直接本人に聞いたこともなく、同じチームの先輩達も軽く首をかしげて「さあ、どうなんだろうね」としか言ってくれなかったからだ。


 本社の女性陣のみならず、出向先の会社の女性達にも大人気の戸部先輩だったが、この十か月程の間でも、浮いた話などは一切聞こえてこなかった。二刀流とは、一体どういう意味なのか。


 初めて出会った時から、ずっと気になっていた私は悶々とした日々を過ごしていたが、たまたま戸部先輩と二人きりになった時に、思い切って聞いてみた。


「あの、戸部先輩?」


「何かな?」


 あう。先輩の、屈託のない爽やかな笑顔が眩しい。眩しすぎる。


「以前、先輩が『二刀流』だって聞いたことがあるんですけれども……これって一体どういう意味なんですか?」


 自分でも、頬が熱くなるのが分かった。我ながら、そんなことを突然聞こうとするだなんて、本当にどうかしていると思った。


 戸部先輩の笑顔が、苦笑に変わった。


「誰に聞いたの? っていうか、何でそんなことが気になるの?」


「えっと、教えてくれたのは高田課長で、聞いてみたかった理由は……ただ、何となく」


 思わずしどろもどろになった私の言葉に、戸部先輩が呆れたような表情で軽くため息をついた。


「やれやれ、高田課長にも困ったものだなぁ」


「すみません」


「いやまあ、別に磯崎さんが謝るようなことじゃないよ」


 それから戸部先輩は、ふうっと息を一つ吐いてから言葉を続けた。


「高田課長が言った二刀流ってのはね、僕がお酒も甘いものも好きだからだと思うよ。たぶん」


「……えっ?」


 何それ。私、聞いてない。


「また今度、試しに辞書を引いてごらん。二刀流の言葉の意味の、たぶん二つめぐらいにそのことが出てくるはずだから……あの人、時々こういう悪戯をするんだよなぁ」


 戸部先輩の言葉に、ただでさえ赤かった私の顔は、たぶん更に真っ赤になっていたことだと思う。二刀流という言葉には、そういう意味もあったのか――ああ、穴があったら入りたい。


「なっ、なーんだ、そういうことだったんですか」


「うん、そういうこと」


「じゃあ、あの……恥ずかしいことついでに、もう一つ」


 これだけ気恥ずかしい思いをしたのだから、今更もう怖いものなんて何もない。


「あの、先輩……こっ、今度の土日、ご都合は空いていますか?」


「えっ?」


「出来ればっ、そのっ……一度先輩と、どこかへ食事にでも行ってみたいなー、なんて」


 ああ、ついに言っちゃった――これからの戸部先輩との関係が崩れていってしまうかも知れないと一瞬思ったが、ずっと心の奥底にしまっていた自分の気持ちを、もう吐き出さずにはいられなかった。


 でも、戸部先輩は――


「……うーん、困ったな」


 戸部先輩が、今度はいかにも気まずそうな表情で、自分の頭を掻きながら言った。


「僕、女の子には興味がないんだよね」


 ――えっ。


 先輩、今何て?

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