30.天罰 ***

 玲奈はおそるおそるフェイバルへと尋ねた。

 「この人……死んだんですか?」

 「ああ、死んでる。ご覧の通りだ」

たとえそれが悪人であろうと、やはり人の死というものにはまだ慣れない。複雑な心境だった。

 そんなときフェイバルはふと口を開く。彼はもう先を見据えていた。

 「こいつの言ったことが確かなら、洗脳魔法とかいうものの使い手はこいつじゃなく、また別の人間だ」

玲奈は事態を整理すべく現状を確認した。

 「ゼストルっていう気に食わない魔導師がその魔法にかけられて、それで運転手の人も同じ魔法にかかってたんですよね?」

 「そうだな」

 「運転手の人はとりあえずどーでもいいとして、ゼストルさんが洗脳魔法にかかるとしたら……」

 「ああ。時系列的に考えれば貨物車に乗りこんでから降りるまで。そこだけだ」

二人の視線は自然と一箇所へ集う。

 「あそこにいるはずだ」




 二人は貨物車の荷台まで足を運んだ。フェイバルは躊躇わず荷台の扉に手を掛けるが、そのとき彼は何かを思い出すように止まる。

 「俺が知ってる中で洗脳魔法に最も近い魔法、それは誘惑魔法だ」

 「誘惑魔法……ヴァレンちゃんの使う魔法ですね」

 「……ちゃん? いつの間にそんな仲良くなったんだお前ら」

 「それは今関係ないですから、あとで!」

妙に空気が緩みかけたが、玲奈の一喝で男はまた話の本筋へ復帰した。

 「誘惑魔法ってのはちと特殊でな、術者の目を介して効果が発動する。それも知ってるな」

 「はい。存じ上げていますとも……!」

 「これは仮説だが、洗脳魔法の発動条件もそれに近しい可能性がある。つまりあの中に術者がいたとして、ふとそいつと目が合えばゲームオーバー……なんてことも考えられなくはねえってことだ」

 「な……なるほど」

 「いいかレーナ、もし中に誰かいても絶対にそいつの目を見るな。たとえ魔法で攻撃されてもだ」

 「わ、わかりました……!」

 忠告も束の間、フェイバルは荷台の扉を開けた。二人はそこ中で待つ者が攻撃的な魔導師であることを想定し、警戒を怠らずに戦闘へ備える。たとえ視界は無くとも、堪を頼りに攻撃を回避する気概だった。

 しかしそんな張り詰めた空気は、荷台の奥からの一声で払拭される。

 「だ……誰ですか……」

それは弱々しい少女の声だった。若干の震えを帯び、相当に怯えているようだった。

 フェイバルは油断することなく強い語気で尋ねた。

 「動くな。少しでも足音が鳴れば即刻攻撃する」

 「……え……ええっと……」

 そのとき少女から物音が鳴った。フェイバルは咄嗟に腕を伸ばすが、魔法陣を展開する前にしてあることに気がつく。彼の耳に届いた音は少女の足音とまるで異なる、鈍重な金属の擦れる音。

 「……私はその……拘束されてるので動けなくて……」

フェイバルは少し考え込むと語気を鎮めて尋ねた。

 「まあ嘘つかれてたら意味ないんだけど……目は覆われているか?」

 「……はい。魔法を使うとき意外はずっと……目隠しをされています」

予想通りの回答だった。そしてフェイバルは悩んだ挙句、玲奈にある指示を下す。

 「レーナ、ちょっと見てきてくんね?」

 「は!?!? 私が操られたらどうするんですか!! わ、私は捨て駒ですか!?!?」

 「ちげーって! 俺が操られるよりはマシだって――」

 「捨て駒じゃないですか!! それを捨て駒というんです!!」

二人は己の足元に視界を落としたまま言い争う。はたから見ればどれほど滑稽な様子だろうか。

 「そういうんじゃねーよ! 考えてみろ! 俺が操られたらどーなるよ!?」

 「それは、えーと……」

 「最悪の場合お前が操られて俺に敵対しても、俺は最小限の措置でお前を制止できる。でも逆は無理。そういう話だっての」

 「ええと、それはその、すいませんでした」

二人は一息ついて少しばかり気を休める。とはいえ玲奈が頼まれたことはいわば賭けだ。気が休まる余裕などどこにもなかった。

 それでも玲奈が一歩道を開かないことには何も進展しない。ここは勝負所だろうと、玲奈は一歩前へ出た。

 「……ああもう、やります。やりますよ。やるしかないですもんね」

 「わりーな。これが最善の策なんだ」

玲奈は荷台に右膝を突くとそこへゆっくりとよじ登る。立ち上がって膝を軽く払えば、意を決して暗い荷台を進んだ。

 先が暗いせいで相当な奥行きがあるものと錯覚していたが、足を止めるタイミングはすぐに訪れた。玲奈の見たもの、それは太い鎖と金属の椅子で厳重に拘束された少女の姿。少女の返答は真実であったようで、言葉どおりの目隠しがされていた。

 「嘘じゃなかったあああ……! ああもう怖かったよおお……」

 玲奈は思わず心の声が漏れる。少女はその砕けた空気感に流されるようにして呟く。

 「あなたたちに……嘘をつく義理なんてないです」




 フェイバルが合流すると、まず二人はその少女へ事の経緯を明かした。

 「俺らは魔道師なんだが、まー要約すると偽の依頼を追ってここに辿り着いた。さっきは脅しちまったが、敵じゃないから安心してくれ」

 「そ、そんなこと……あるわけ……」

 「もう悪い人はもう居ないから。大丈夫だよ」

玲奈は優しく声をかけた。そのまま少女へと近づこうとするが、フェイバルに肩を掴まれ制止される。

 「だがすまねぇなお嬢ちゃん。俺たちの手でその拘束を解いてやることはできない」

フェイバルの徹底的な危険排除に玲奈が口出しできる余地は無い。心苦しくはあるが、彼の制止に従った。

 フェイバルの手が肩から外れると、彼はふらりと明るい方へと引き返してゆく。少女との会話を突然切り上げる意図が分からず、玲奈は振り返って尋ねた。

 「フェイバルさん、どちらへ?」

 「この車で本拠地まで乗り込む。その子からいろいろ聞き出すのはそれからだ」

 「本拠地? そんなのどこに……?」

 「ジェーマ=チューヘルはこの手口で相当の操り人形をどこかで溜め込んでると見た。もうある程度近くまで来てるはずだ」

フェイバルは続ける。

 「それに幸い、道に逸れたところ随分と分かりやすいわだちができてる。こいつを辿ればすぐだろうよ。さ、おまえも早く運転席来い」

 「わ、わかりました……」

荷台を後にするとき、ふと玲奈は少女に声をかける。

 「もう少しだけ我慢してね。安心して。私たちが守るから……」

 「……ありがとう」




 フェイバルは運転席へ、玲奈はその横の助手席へと乗り込む。ここで玲奈にとある疑問が浮かんだ。

 「そういえばフェイバルさんって、こういう大きい車運転できるんですか? 何か明らかに別の免許とか要りそうですけど……」

 「それ、今更聞くか?」

どうやらこの感じ、先程盗んだ騎士団保有の魔力駆動車もノリで運転していたようだ。もうこれ以上聞いても仕方ない。

 「とにかく、今は急ぐぞ」

フェイバルはそう告げると、傷だらけの腕でハンドルを握り車両に魔力を充填し始める。轟音が鳴ると、車はガタガタと音を立てて前進した。

 「クソ! パンクしてやがる!!」

 「フェイバルさん。それはつい数分前のあなたの指示です」




 整備の無い悪路ゆえ車は酷く揺れた。道無き道を行くと、見立てどおりすぐに疑惑の建造物が現れる。頑丈そうな石造りの構造だが、蔦や草木が壁面を豪快に包み込んでいる。見たところ相当の年期が入っていらしい。

 フェイバルは少し離れた場所に車を停めた。玲奈は都外に残された建物を初めて見てふと尋ねた。

 「フェイバルさん、これってどういう建物でしょうか?」

 「おそらくは大陸戦争の遺物ってところだろうな。これだけ堅そうともなれば、どっかの国の前哨基地だろう」

 「へえ……風化せず綺麗に残ってるものなんですね」

 「誰も使わねーから消耗しねーんだろうな」

雑談はさておき二人は車を降りた。その瞬間少しの緩んだ空気が一気に引き締まる。二人の鼻を襲ったのは血生臭い匂い。さほど経験の無い玲奈でさえ、それが悍ましいものであると察するほどだった。

 「ううっ……何ですかこの匂い……」

 玲奈はふと古びた要塞の入り口付近に視線をやる。すると運悪く、彼女はそこでずいぶん刺激的なものを目にしてしまった。要塞前の高い塀のすぐそばで力なく横たわるのは二つの死体。どちらも首から上にあるべきものがついていない。それは寸分の波打ちも無い断面で、完全に切断されていた。

 玲奈は反射的に視線をそらし吐き気を抑え込む。フェイバルは頭を掻いて呟いた。

 「……こんな真似できんのはあいつだけだ。んだよ、国選依頼出てたのか」

 そのとき要塞を囲う塀から、ある青年が姿を現す。腰に日本刀のような剣を差す青年は、こちらに気づくと駆け足で接近した。

 「恒帝殿とお見受けします。どうしてこちらへ?」

 「どうしてって、ギルドに妙な依頼が来てだな。それを追ってたらこんなとこに来ちまった。そんで、お前の師匠サマの刃天はお仕事中か?」

青年は要塞を指さす。

 「師匠はあの中です。突入してからもう三分経ちましたがまだ戻ってきません。どうやらこの建物は歴史的に価値があるらしくギノバス政府が保護対象にしているようでして、師匠も下手に大剣が振るえないのです。建物ごと両断するとまだ大事おおごとですし……」

 「なるほど。まったく律儀な奴だな」




 同刻。そこはつい先程フェイバルとジェーマの魔法戦闘を行われた、都外のある道外れ。人為的に造り出された岩山の少し離れに、一台の魔力駆動車が停車した。

 「ホーブル、ここでいい?」

 「ああばっちりだ、カルノ。さあ、さっさとお仕事済ませましょーや」

 後部座席に座る黒眼鏡の男は呑気な声を零しながらも、巨大な銃を取り出しそれを慣れた様子で構えた。スコープを覗き込むとそこに魔法陣が展開される。遠くの対象を狙う際に重宝される照準魔法具は、拡大鏡の役割のみならず生物のシルエットを透視する。

 「……塔主からの命を預かっている」

 照準魔法具の先に写るのは遙か遠く。視界が絞られ辿り着いたのは、ある魔力駆動貨物車。そして荷台の透視したその先、拘束された少女のシルエット。遮蔽のない平坦な土地に、男の銃口を邪魔する者は居ない。

 「天使・カシアちゃんよ、天罰の時間だ」

男の銃からは凶弾が放たれた。




 貨物車から乾いた破裂音が鳴り響く。あまりに突然の出来事。フェイバルらは音の方向へと振り返るが、そのときにはもう手遅れだった。

 「くそっ!」

 フェイバルは走り出す。玲奈と青年もそれに続いた。荷台後方の扉に刻まれたのは、そこに弾丸が通過したであろう一つの風穴。すかさず扉を開けたが広がるのはやはり最悪な景色。そこには心臓を完全に撃ち抜かれた少女の、小さな亡骸だけが残されていた。

 「……即死してます。この威力は狙撃銃ですね」

 「そうか。おまえら一応警戒しとけ。まだ狙撃手はこっちを狙ってるかもだ」

青年の分析は続いた。

 「ここは道路から外れた場所ですが、整備された道路からここまでには遮蔽となる物も特にありません。魔法狙撃銃であれば充分射程内でしょう」

 玲奈はただ唖然とする。幼い命が一切の慈悲無く、目の前で失われたという事実を認められなかった。






【玲奈のメモ帳】

No.30 岩魔法

岩を発現させる魔法。魔法陣の色は黄土色。

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