15.命の天秤 ***

  ダイトは懐中時計を取り出す。

 「二十二時まで、残り一〇秒です」

まさに作戦直前。フェイバルはヴァレンへ指示した。

 「よしヴァレン、全員に暗視ヴィジョンを」

 「はーい」

 四人の足元に白い魔法陣が灯る。そしてそれが消えたとき、彼らの暗い視界は瞬く間に澄み渡った。

 そのいまだかつてない感覚は、玲奈にとって感動だった。思わず声で感情を露わにしそうだったが、場を弁えて控えておく。

 「それじゃ、算段どおり行くぜ」

 フェイバルはヴァレンを連れ廃工場の敷地内へ足を踏み入れる。その落ち着きぶりは、戦場に向かう者のそれではなかった。

 ダイトはレーナに囁いた。

 「レーナさん、僕たちは少し路地に出て待機しておきましょう。出発は一五分後です」

 「え……ええ」




 フェイバルとヴァレンは工場建屋の壁へ忍び寄ると、そこ背中を預けて息を潜めた。

 「……想定どおりだな」

 建屋の入り口には、二名の見張り番。廃工場ともあって、あたりは完全な闇に包まれているが、ヴァレンの強化魔法・暗視ヴィジョンはそれをもろともしない視界を確保する。

 フェイバルはおもむろに石ころを拾いあげる。ヴァレンに一度目を合わせて意図を読ませると、彼はそれをすぐ近くのドラム缶に放り投げた。暗闇の中に鈍い金属音が鳴り響く。

 見張り番の男たちは当然それに注意を惹かれた。

 「何だ?」

 「……一応見てくるか。待ってろ」

 「おいおい、ここは誰も居ない廃工場って程でやってんだ。巡回は許可を取ってからと言われてるだろ……!」

 「なーに、すぐ戻る」

 魔法機関銃をもった男は、会話どおりにフェイバルたちのもとへ接近を開始した。死角に潜む二人はまだ見られていない。されど着実に距離は詰まっていく。二人は息を殺し、最適な距離間を目指した。

 そしてその男は曲がり角に至る。二人を視界に捉える、はずだった。その曲がり角の先に視線を向けようとも、男の目にフェイバルの姿は映らない。

 男は何も異常が無いことを確認し、また持ち場に戻ろうとした。特に警戒もせず振り返り、来た道を帰ろうとする。するとそのとき、男はたった一人で佇む金髪の女を目にした。

 男は銃を手に取った。しかし完全に不意を突かれたために、先手はヴァレンによって仕掛けられる。

 「お兄さん。ちょっと質問しても、いいかしら……」

 ヴァレンは吐息混じりの声で男に囁く。彼女の瞳の中に灯る桃色の魔法陣を目にした男は、伝染するかのごとく桃色の魔法陣を己の瞳に宿してしまった。そしてそれは、彼女の魔法の発動を意味する。

 これこそヴァレンの持つもう一つの魔法、誘惑魔法。希少なこの魔法は、虜にした人間を意のままに操ることのできるという破格の性能を持つ。しかし術者自身よりも大きな魔器まきを持つ生物には無効化されてしまうため、やや限定的な魔法である。

 ヴァレンは男に続けて囁いた。 

 「バレちゃ嫌だから、小さな声でね……」

 「わ、わかりました……」

このタイミングを見計らい、近くに隠れていたフェイバルも姿を現した。ヴァレンは会話が面倒になったのか、突然淡泊に話し始める。

 「じゃあ質問。あんたの上司さんはどこにいるのかな?」

 「そ……倉庫です……」

 「ここにいる仲間は何人? その内訳は?」

 「ぜ……全員で二八人です。戦闘要員二十名、研究員七名、そしてファミリーの幹部がここのボスです……」

フェイバルはあるワードに反応した。

 「ファミリー……そりゃ王都マフィアの使う呼び名だな。やっぱそこ絡みだったか」

ヴァレンは続けて質問を行う。

 「見張りは今何人いる?」

 「今は十人です……」

 「みんなあんたみたいに、魔法銃握りたてみたいなゴロツキであってる?」

 「……はい。そうです……俺たちはゴロツキでウジ虫でどうしようもないただの豚肉です……」

 「そ、そこまで言ってないけど。まぁ、幹部格の実力者は他に居ないってことね」

ヴァレンはフェイバルに目配せた。彼はこれ以上尋ねることもないと頷いたので、もうこの見張りは用済みだ。

 ヴァレンはその虜に、最後の指示を下す。

 「ありがと。じゃあこのまま、他の見張りに会わないルートで廃工場を出てね。そしたら騎士のお兄さん方がいるから、そこで合流すること。知ってることぜーんぶ話してきてね」

 「はい……」

 男は抗うことなく、ぽつぽつと廃工場の外へと向かった。ヴァレンは小さく手を振りながら笑顔でそれを送り出す。

 「……相変わらずエグい魔法だな」

さすがのフェイバルも、誘惑魔法には引き気味である。




 玲奈の指輪に魔法陣が灯る。フェイバルからの連絡だ。

 「はい、もしもし――」

 「敵主力の潜伏先が倉庫で確定したから、俺とヴァレンはそっちへ向かう。お前たちが対応する見張りは十……いや二人居なくなるから八だ」

 「り、了解!」

 「横で聞いてるならそれでいいんだが、ダイトにも伝えろ。本作戦において、接触する敵は確実に抹殺しろ」

 「ええっ!? 何も殺すまで……!」

 「奴らが万が一にも例の薬を飲んじまえば、人間由来の魔獣が敵になる。それは俺ら全員のリスクだ。こういう仕事が初めてのお前に殺しを強いるのは心苦しいが、乗り越えてくれ。これはギルド魔導師ならいつか通らなきゃならねえ道だ」

しばしの沈黙の後、フェイバルは補足するように伝える。

 「別に俺だって無碍むげに人を殺したいんじゃない。むしろ必要無いなら避けたいところだ。それでも今回は危惧すべき事情がある。理解してくれ」

フェイバルは玲奈の反応を待たずして通信を終えた。ダイトは戸惑う玲奈を気遣ってか、顔を近づけ真っ直ぐな瞳で声をかけた。

 「大丈夫です。レーナさん、行きましょう」




 建物の入り口の見張り番は、ついに相方が戻らないことへ異変を覚え始める。次第に焦りを覚え、男はすかさず通信魔法具で連絡を繋いだ。

 「こちら工場建屋入り口。物音がした場所の確認に向かった相方が持ち場へ戻りません。巡回の許可を」

 「よかろう。隠密行動に務めろ。部外者がいれば速やかに始末だ。ああ、あと見つけ次第その相方ってのも殺せ。規律違反だ」

 「り……了解」

通信を終えると男はその場から立ちあがる。

 しかしその男の巡回は、直ぐに終わりを告げることとなる。背後には、もうヴァレンが居るのだから。

 「うおっ!? 貴様は――」

男は銃口をヴァレンに向けるが、もう遅い。ヴァレンは向けられた銃口に臆することなく男に顔を近づけた。

 「巡回ご苦労さんでした。それじゃあお兄さぁん、あっちの門から外にでよっか……」

男の目には瞬く間に桃色の魔法陣が灯る。

 「は、はい……」




 二棟の建物は幸い距離が近い。男に手を振るヴァレンを横目に、フェイバルは倉庫の大きな扉をこじ開けた。廃工場であったためか、幸いにも施錠はされていなかった。

 「おいヴァレン、さっさとこい」

 巨大な扉の先には蜘蛛の巣が張りついた木箱に、古びたドラム缶。廃棄されずに取り残された鉄くずやガラクタ。工場にあって変なものは、何一つない。

 「ふーん。常套手段か」

 フェイバルは経験則から、これが隠蔽工作であると直ぐに察した。地上に人っ子一人居ないならば、残された場所はただ一つ。

 「まあ地下だわな……」

 「ですね。誘惑魔法にかかった人間が嘘をつくことは出来ないし、本拠地が倉庫であることは確かですから」

 フェイバルは少し考えこむ。地下への入り口が露わになっていれば話は早いのだが、そこはそう簡単にもいかない。こればかりは、彼の魔法であってもどうにもならなかった。

 「とりあえず地下への通路を探すぞ。怪しいガラクタやらを片っ端からどかせば、いずれ見つかる」




 同刻。玲奈はダイトの後ろについて闇夜を歩いた。これだけでもなかなかのスリルなのだが、今はこちらの命を狙う敵がいるのだ。ヴァレンの魔法で視界良好ながらも、肝試しのような悠長な感覚ではいられない。玲奈の心臓は激しく脈打った。

 そのときダイトは大きなコンテナの側で右手を横へと広げ、玲奈を制止した。その仕草から、玲奈はなんとなく接敵を理解する。

 彼は振り向くこと無く、そのまま玲奈に前方の情報を伝えた。

 「敵は二人。事前の情報どおり魔法機関銃を所持。フェイバルさんの指示に従い、抹殺します」

玲奈は返答に戸惑う。どんな反応をすべきか迷っていると、ダイトが続けた。

 「レーナさんはこういう現場初めてでしたよね? 最初はなかなかショッキングかもしれませんが、ギルド魔導師なら目を逸らしちゃだめですよ」

 「わ、わかった……」

 「そこの隙間からでも見ておいてください。これがギルド魔導師の仕事です」

玲奈はダイトの後ろからすぐ横へと移動し、彼の言ったとおり隙間から敵を観察した。そしてその直後、ダイトはコンテナの陰から右手を出す。そこから展開されたのは、二つの小さな魔法陣。

 「鉄魔法・弾丸バレット……!」

 次の瞬間、銀色の魔法陣からは鉄の弾丸が射出された。それは眠たそうに立ち尽くす二人の見張りの額を、寸分の狂い無く正確に撃ち抜く。風を切る音が鳴ったと思うと、続けて遠くからかすかに響くうめき声。人間が力なく、地面へと倒れ込んでゆく音。玲奈の目は、地面を血の海にして無残に転がる肉塊をはっきりと写した。

 意に反して、勝手に呼吸が荒くなる。それは単に罪悪感や恐怖という感情では形容し尽くせない、いまだかつて体験したことの無い感覚だった。彼女の生まれた世界とこの異世界では、命の尊さも重さも違いすぎた。

 世界に魔法という戦力が存在する以上、こんな場面がやってくることは想像に容易い。それでも実際に遭遇した人間の死の生々しさというものは、覚悟うんぬんで乗り越えられる代物でなかった。

 玲奈は思わず膝を突いて、先の軽食を戻しかける。

 「レーナさん……! 大丈夫ですか……!?」

ダイトは錯乱するレーナを、コンテナにもたれかけさせるようにしてその場へ座らせた。

 (離れない。離れない離れない離れない。あのうめき声……血の海……い……今死んだの?? 私たちが殺したの……???)

 「落ち着いて……レーナさん! レーナさん!」

 暗闇にはダイトの声だけが響く。それでもその声は彼女の耳に届かない。






【玲奈のメモ帳】

No.15 誘惑魔法

対象を意のままに操る希有な付加魔法。行使の方法はやや特殊であり、術者が自身の瞳に展開した誘惑魔法陣を対象へ視認させることが発動条件となる。なお、術者よりも高い魔力を持つ者に対して行使すると完全無力化される。

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