3節 前 ロスターニャ前日

「このようにいたしますので、この会食後はホテルに戻られて構いません。翌日にはこちらを発つということですから、ごゆっくりなさいませ。テレムティア様」

 どの世界においても会議は同じということか。大まかな内容の説明を受けた後、俺は部屋に戻った。紙は貴重なようでほとんどが黒板のようなものにチョークらしきもので線を引いては布で消してを繰り返していた。

 なぜかそれを俺は読めた。少なくともそれは日本語ではなかったことはわかる。だが、それをするすると読み解くことが出来たのだ。それはなぜなのかわからない。俺がなぜしゃべることが出来て、少なくとも読むことはできるのか。

 だがこの世界に来て唯一の取り柄はそれだけだった。言い換えればこれが出来たから今勇者として担がれている。

 実は黒板を借りて文字を少しだけ書いてみた。しかしその文字を書くことはできず、見慣れた日本語を書くことしかできなかった。その文字を書いたときに周りがざわついたが。


 部屋に戻るとそのままベッドに転がり込んだ。体のあちこちが痛い。座りっぱなしで一日揺れる馬車の中にいたのだから仕方ないといえば仕方ないが。

 とはいえ妙に目が冴えて眠れない。それもそうだ。日が落ちてからまだ二時間も経っていない。大抵は働いていたから。平日も、休日も。

 窓から外を眺めると現代の日本ほどではないせよ、様々なところから明かりが漏れている。この世界でもまだ夜は始まったばかりなのだろう。三階しかないこのホテルでもこの町では一番大きなホテルなのだ。超高層ビルに慣れた俺には違和感を覚える。今更そんなものを見たいとも思わないが。

 ベッド横のテーブルにはベルが置かれており、これを鳴らせばここの給仕がやってきて欲しいものを言えば持ってくるだろう。それこそ酒でも女でも。なんならその給仕をそのまま抱くことも出来る。先ほどの会議ではそう言われた。

 だが、そんなことをしたいとも思わない。籠の中にいれば何でも与えられる、というのは言い換えれば飼われた鳥のようなものだ。檻の扉を開けろとは言わないが、だからと言って好物を与えられて素直に喜べるほど人間が出来ているわけでもない。女とは縁がなかったから抱きたいがいきなりやってきた女を抱けるほどの甲斐性もない。


 仕方なく窓から外を眺めていた。

 外からは賑わう声が聞こえてくる。

 次第に俺は外に出られないかと思い始めた。女は抱けなくとも酒は飲める。こんなホテルの片隅で物静かに飲むのは似合わないことくらいは十分理解している。騒がしい居酒屋チェーン店の片隅で安酒をあおっている方が自分に似合っているのだ。

 明日はたぶん忙しいだろうし、かといってこのまま眠るのも何か違う。

 思案に暮れながら窓を眺めていた。

 手に届かないと思うと欲しくなってしまうのは人間の性か。

 備え付けのソファに腰かけ、明かりを見た。ランプの中で小さな灯が揺れていた。

 僕はおもむろにベルを鳴らした。

「いかがなさいましたか」

 少しもしないうちに女給仕が部屋に入ってきた。大きな目とそばかす、そして三つ編みにされた髪がやけに印象的だった。

「酒を持ってきてほしい」

「かしこまりました」

「グラスは二つ」

「どなたかお呼びされますか」

「君はダメなのかい」

 彼女は少し驚いた顔をした後申し訳なさそうに頭を下げた。

「お誘い嬉しいのですが、私は仕事があるものですから」

「必要なら給仕でも抱いてもいい、と主人に言われたが」

「それは……私でよければ夜の御供はかないましょうが、酔ってしまうと

仕事に支障が」

「なら、君を抱きたい……といえば用意してくれるかな」

 突然の言葉に顔を赤らめると、少し悩んだそぶりを見せた後、こくりと頷いた。


 彼女を本心から抱きたいと思っているわけではなかった。ホテルの主人の言葉が冗談だったのかどうなのか遊び心で聞いてみたかったことと、そしてなにより誰でもいいから女性と酒でも飲みかわしたかったというだけなのだ。適当な理由をつけて少しの時間だけ俺を勇者様としてもてなしてくれたら。それこそキャバクラに行く男のようにほんの少しだけ持ち上げてくれたらよかったのだ。

 しかし口から出まかせで言ってしまったが、思わぬ方向に動いてしまった。

 妙にのどが渇く。こんなままで酒なんか飲めるのだろうか。


 しばらくすると彼女はボトルとグラスを持って帰ってきた。どういう顔をしているのか、俺は見ることが出来なかった。

「酒を注いでくれ」

「はい」

 彼女は俺が腰かけているテーブルの前に来るとゆっくり酒を注ぎ始めた。

 やたらにグラスに入っていく酒の音が響く。どうしてこうも普段は気にも留めない音がここまで俺の耳に入ってくるのか。

 ここで俺はやっと彼女の顔を見た。自分が抱くことになると決めた女性というのはどうしてこうも艶めかしく見えるのであろうか。

「では、乾杯」

「あ、ああ。乾杯」

 グラスは重なった。

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