栄冠までの、果てしなく長いカウントダウン

佐倉伸哉

本編

 日本のプロサッカー1部リーグも、いよいよ最終節を残すのみとなった。

 2位のオレンジロビン松山は、アウェーで首位の帝都ロイヤルズと直接対決。両チームの勝ち点差は、僅かに1。オレンジロビンはこの試合に勝てば、悲願の初優勝となる。

 優勝をこの目で見たい熱狂的なロイヤルズサポーターが試合会場の“東京国際スタジアム”に大勢詰めかけ、スタジアムはロイヤルズのチームカラーである黒に9割方染まった。オレンジロビンのサポーターも地元愛媛から駆け付けるなど、バックスタンドは蜜柑みかん色で存在感を放っていた。


 試合が動いたのは前半31分。ロイヤルズの右CFセンターフォワード藤堂がペナルティエリアの外からミドルシュートを放ち、これが左サイドネットに突き刺さり、先制点を挙げた。

 一方、追いかける展開となったロイヤルズは先制されてから怒涛どとうの攻めに転ずる。引き分け以上で優勝が決まる事から、まずは同点にするべく猛攻を仕掛ける。オレンジロビンもGKゴールキーパー鬼北を中心に堅い守りでゴールを許さない。

 後半になると、ロイヤルズはDFディフェンダーや守備的MFミッドフィールダーを下げてFWやMFを投入。是が非でも1点をもぎ取る構えだ。対するオレンジロビンも指揮を執るゴンザレス監督は疲れの見える選手を早めに下げ、体力に余裕のある選手に交代。虎の子の1点で逃げ切りを図る。

 攻めに攻め続けていたロイヤルズの選手達も、後半30分を過ぎた辺りから疲れから攻撃が鈍ってきた。刻一刻と進む時計の針が、ロイヤルズ側に焦りの色が見えてくる。そして、声をらして応援していたオレンジロビンサポーターは、悲願の初優勝が目前に迫り、瞳を潤ませる人も出てきた。

 そんな中――後半44分、思いがけないアクシデントに見舞われた。

 ロイヤルズの左SMFサイドミッドフィールダー大田が上げたクロスをキャッチしようとしたオレンジロビンGK鬼北がロイヤルズCF足立と交錯こうさく。足立はすぐに立ち上がったが、鳩尾みぞおちに肘が入った鬼北は倒れ込んだまま動けない。すぐにドクターが駆け寄るが、診断した末にオレンジロビンのベンチへバツ印を出す。鬼北は担架たんかで運ばれてピッチを後にした。

 オレンジロビンは既に交代枠を全て使い切り、選手交代は出来ない。GKが負傷退場した以上、誰かをGKに回さないといけない。

「オオス!」

 鬼北がダメと分かったゴンザレス監督は、すぐに後半から交代で入った守備的MFの大洲おおすを呼ぶ。大洲も状況を察知して、急いでベンチへ戻ると控えGKからユニフォームとグローブを借りて装着する。

(……まさか、本当にやる日が来るなんて)

 こうした状況があるかも知れないと、ゴンザレス監督は長身で手の長い大洲にGKの練習をさせていた。MFとGKの二刀流に懐疑的だった大洲だが、いざこういう事態に遭遇したら、監督の危機管理能力は凄いなと感心せざるを得なかった。

 着替えた大洲はピッチに戻ると、GKにつく為の準備運動に入る。MFとGKでは動きが全く異なるので、動作の確認も兼ねて体を動かす。

 アディショナルタイムの間、しのげばいい。そう思うと、少しは気が楽だった。予想外の展開にも関わらず、大洲は意外な程に冷静だった。


 オレンジロビンの守備的MFにはトップ下の久万くまが入り、2-3-4のフォーメーションとなる。

 主審村井がホイッスルを吹く。GKの大洲のフリーキックで試合が再開された。

 何とか対処したオレンジロビンだったが、ピッチ上には10人しからず数的不利な状況に変わりはない。一方で、アクシデントという形ではあったが数的優位な状況な上にGKが代わった事を好機と捉え、ロイヤルズの選手達は息を吹き返した。

 セカンドボールを取ったのは、ロイヤルズの左SBサイドバック大島。左CMFセントラルミッドフィールダー瑞穂みずほへパスを出し、ワンタッチで左SMFの大田にパスが通り、そのままドリブルで左サイドを駆け上がっていく。オレンジロビンの右CMF砥部とべや右SB八幡やはたが対応し、大田を抜かせない。

 二人に囲まれながらもゴールライン付近まで運んだ大田は、マイナスのクロスを上げる。

(……取れる!)

 緩いボールに大洲は取れると判断。CBセンターバック伊方いかた内子うちこが相手FWをしっかりマークしていたお蔭もあり、ジャンプした大洲の手の中にボールは収まった

 まずは事なきを得た。練習通りに動けて安心した大洲は、パントキックでボールを前線へ送る。

 今度は味方の左CW西条さいじょうがセカンドボールを収めたが、かなり押し込まれている事があり前線に味方が残っていない。そこへロイヤルズの右CMF小平こだいらと左CMF瑞穂の二人で囲み、ボールを奪い返す。

 時間も残り少なくなり、ロイヤルズは左SB大島と右SB立川も上がってくる。自陣にはCB日野とGK三宅しか残っておらず、中盤に6人と手厚くする事で攻撃に人数を割く作戦だ。こうなるとオレンジロビンもラインを下げざるを得ず、FWの西条・上島も自陣に戻って守備に奔走する。

 何が何でも1点を取られたくないオレンジロビンの堅い守備にボールの出し所を見つけられず、ロイヤルズの選手同士でパスを回す。そうしている間にも刻一刻と時間は進んでいく。

 ボールを持たされる時間が続いた中、ロイヤルズ右SMF荒川とのワンツーで抜け出した右WGウィング渋谷が右サイドを一気に駆け上がり、クロスを上げる! これに対してオレンジロビン左SB松野がスライディングで阻止しようとするが、ライナー性の早いクロスにロイヤルズの選手はタイミングが合わずそのままゴールラインを割る。

 早いクロスボールが入ってきて一瞬ヒヤッとした大洲だったが、味方がマークしていて飛び込ませなかったのでホッとした。

 しかし――。

 村井の笛が鳴る。そして、村井は左腕の肘を示してからペナルティマークを指す。

 このジェスチャーが示すもの、それは――ボールが松野の肘に当たったと見て、ハンドの判定。さらに、ハンドの場所がペナルティエリア内だったと見て、PKペナルティキックの判定!

「いやいや、おかしいっしょ!」

「ないない! 違うって!」

 この判定にオレンジロビンの選手達は村井を中心に村井へ詰め寄る。ゴンザレス監督も「何故だ!」と言わんばかりに両手を高く上げて抗議のポーズを見せる。

 確かに、松野がスライディングした際に体が大きくなり、ボールが肘の辺りを通っていったのは事実だが、ボールの軌道が明確に変わった風に見えなかったし、かすったかどうかは微妙な所だった。そして、仮に掠っていたとしても止めようという意思があった訳ではないので故意ではない。判定に納得がいかないのも無理は無かった。

 しかも、大洲は鬼北の退場で急遽きゅうきょ守備についた臨時GK。このPKの1点が優勝を左右する重要なポイントになりかねず、オレンジロビン側としては到底受け入れられない思いが強かった。

 オレンジロビンの選手達はVARビデオ・アシスタント・レフェリーで確認するよう強く迫ったが、主審の村井はその必要性が無いと首を振る。そして、村井が誰かと交信する素振りも無い。判定が覆りそうにない以上、これ以上の抗議はイエローカードが出される可能性もあるので、不承不承ながら散開する。

 大洲も予想外の展開に当初こそ納得していなかったが、判定が変わりそうにないと分かるとチームメイトから離れてゴール付近で体を動かしていた。

 万が一に備えてGKの練習をしてきた大洲だが、PKの時の心得まで教わっていない。キッカーが蹴った瞬間に方向を判断してからGKは反応している風に考えられているが、多くのGKはキッカーの傾向と独自の勘を頼りに蹴る前から飛ぶ方を決めている。大洲はGKの経験がゼロに等しいので、ぶっつけ本番で飛ぶしかない。

 ロイヤルズのキッカーは、CF足立。ボールをセットし、助走をつけて、右足を振り抜く。

(――右!)

 刹那、大洲は右に思い切り飛ぶ。ボールはゴール右隅へ向けて一直線に飛んでくる。一か八かで飛んだが、見事当たった。ゴールへ吸い込まれていくボールに届けと指の先まで目一杯に伸ばす。

 ボールに、指先が届く。しかし、勢いを殺した程度でボールは後ろへ転がる。

(頼む、入ってくれるな……)

 転々と転がったボールは――ポストに当たって、ピッチに跳ね返る。それでも押し込もうと選手が一斉に押し寄せるが、すんでの所で追いついたCB内子が大きく蹴り出してクリアする。

 ボールは右サイドラインを超え一先ひとまず危機を脱したが、まだピンチは続く。ロイヤルズの左SMF大田は助走距離を取っているから、ロングスローでゴール前に放り込むつもりだ。ロイヤルズはGK三宅も含めて全員がペナルティエリアに入るパワープレイに出る。残り時間も少なくなってきた事から最後のワンチャンスに賭ける作戦だろう。対するオレンジロビンも全員引いて守りに徹する。

 大田が、ロングスローを入れる――ボールはペナルティエリア内に落ちてくるが、混戦で頭一つ出た味方の右CMF砥部がヘディングで前へ飛ばし、零れたボールを右CF上島がクリアする。


 ボールが放物線を描いて頂点に達した時――村井の笛が、


 試合終了を告げる、ホイッスル。この瞬間、オレンジロビン松山の悲願の初優勝が決定した。

 アディショナルタイムは約10分。大洲にとって永遠とも思えるくらい長く感じた10分だった。

 史上初の偉業を成し遂げた選手は、ピッチにうずくまる者や喜びを爆発させる者、味方選手と抱き合う者など、各々が歓喜の瞬間を共有していた。

 今日の勝利の立役者である大洲は……天を見上げて、静かに涙を流していた。

(遂に、遂に、俺達はやったんだ……)

 後半から試合に出て、ボランチとして守備に追われ、アディショナルタイムからはGKとして、正しく二刀流の活躍だった。肉体的にも精神的にも疲労感はあるが、それを上回る嬉しさが大洲の心を埋め尽くしていた。


 この試合の後、大洲はオレンジロビンサポーターの間で“奇跡の二刀流GK”として語り継がれていく事となるとは、本人は夢にも思わなかったに違いない。

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栄冠までの、果てしなく長いカウントダウン 佐倉伸哉 @fourrami

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