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 呉井璃左衛門の墓は、住宅街の中にぽつねんとある木立の中に所在していた。

 最近整備されたとは言うが、そもそも呉井璃左衛門という人物を知らなければ通り過ぎていそうな程にこぢんまりとした場所だ。宝井が自転車を停めるまで、俺はそこが目的地なのだとわからなかった。てっきり、智水寺のような寺院の中にあるものかと思っていた。


「……多分、これだね」


 秋月からもらった資料──そのコピーを確認しながら、宝井が呟く。彼女の目の前には、目線と同じ高さの石碑がある。

 こんな感想を抱くのは失礼だと理解しているが、なんというか、地味である。石碑そのものは綺麗だし、周辺の雑草もある程度は取り払われているが、特に目立つデザインや立地という訳でもない。宝井と関わる機会がなかったら、きっと俺がここを訪れることはついぞなかっただろう。興味をそそられるようなものではないし、何より説明文も何もない。ただぽつんとあるだけで、地元の人もどれだけ呉井璃左衛門なる人物について知っているか、なんとなくわかるような気がした。少なくとも、俺たちと同世代の人間は目に留めることさえないだろう。

 そんなことを考えているうちに、宝井はそっと石碑の前にしゃがみこんでいた。目を瞑り、手を合わせる。今は亡き過去の人物を弔っているのだとすぐにわかった。棒立ちという訳にもいかないので、数秒遅れて俺も倣う。

 呉井璃左衛門。茜ヶ淵を守るために戦い、死んだ過去の人物。彼にとっての茜ヶ淵とは、命をかけるに値するものだったのだろう。伝え聞いた情報が全て正しいとは限らないけれど、その人生は現代に生きる俺からしてみればとても理解の及ばないものだ。だからこそ、何だか特別なもののように感じる。

 宝井もまた、現代じゃ成し得ない呉井璃左衛門の生きざまに惹かれたのだろうか。これといって熱中するものもなく惰性で生きている俺とは違い、宝井にはたとえマイナーで実在するかしないかわからない人物であっても調べ上げようとする熱意がある。呉井璃左衛門に対する感慨は、俺よりもずっと深いにちがいない。


「……磐根君?」


 呼び掛けられ、はっと目を開ける。慌てて顔を上げた先には、不思議そうな顔をした宝井がいた。


「……びっくりした。目瞑ったまま、全然動かないから……。まさか、寝てた訳じゃないよね?」

「いや、少し考え事してた。さすがに外で居眠りはしないよ」


 そっか、と相槌を打つ宝井の眼差しには安堵の色が浮かんでいる。俺を責めたいのではなく、純粋に心配していたのだろう。仙台でも指摘されたけれど、気を抜くとぼんやりしてしまう癖はどうにかしたいものだ。


「……何はともあれ、呉井璃左衛門が伝承の中だけの人じゃないってわかって良かった。本当に実在したかはさておき、茜ヶ淵を守るために最後まで戦った兵士はいたってことだよね」


 立ち上がり、伸びをしながら宝井が呟く。俺に向けて話しかけたというよりは、独り言に近い発言だった。

 調べる対象の存在がそもそも不確定、という事例にあたったのはこれが初めてだ。だから俺としては何とも言えないもやもやとした気持ちを覚えるのだが、宝井は慣れているのだろう。追って立ち上がり見下ろした横顔には、確かな達成感が浮かんでいた。


「宝井の調べ物は、これで終わりってことになるのか?」


 ふと気になり、問いかけてみる。ん、と宝井がこちらを向いた。

 呉井璃左衛門について調査することは聞いているが、その終着点まではわからない。どこまでいったら宝井は満足するのか、あるいは区切りを付けるのか──いつか、どこかで確かめたかった。もしかしたら、この調べ物が終わったら、宝井が天神さんを訪れることはなくなるかもしれない。教室では毎日会えるが、何気なく話せる時間が失われるのはどうしてか心細かった。


「一区切りはするけど、終わる訳じゃないよ。後から、また何か見付かるかもしれないし……大体、明確な目標を定めて調べてるんじゃないから。もっと知りたいって気持ちで動いてるだけ」


 だから終わりとは違うかな。上手い言い方がわからなかったのか、首を捻りながら宝井は答えた。終わりじゃない、という言葉に俺は内心でほっとする。

 宝井と語らうのは楽しい。信也や功一と接するのとは、また違った気楽さがある。気を遣う場面もあるにはあるけど、学校で付き纏う漠然とした不安や違和感を、宝井との会話では押し殺さずにいられる。皆にとって当たり前の、ぬるま湯みたいな雰囲気に対する不快感を、隠さなくても良い。

 そうか、と相槌を打ち、俺は再び石碑に視線を落とす。いつまでも宝井を凝視しているのはさすがにおかしい。

 目立たないけれど、地域の人から整えられ、確かに存在する石碑。こういう風になれたら楽なんだろうなと、誰にでもなく思う。

 人と関わるのが嫌いな訳じゃない。ただ、その中で生々しい話題に触れると、言い様のない気持ち悪さというか、歯がゆさに襲われる。どうして見なくても良い部分まで曝け出すのだろう、知らなくて良いことまで共有しなければならないのだろう──そういう疑問を抱えて、でも口に出すことはできない。俺のような人間は少数派で、理解する人がいないという訳ではないのだろうけれど、少なくとも二年一組という場所では浮いてしまう。これまでの関係が壊れてしまうくらいなら我慢した方がましだと、臆病な俺は妥協する。下手に波風を立てない方が、疲れることはないから──と。

 こんな俺を、信也はきれいだと言った。軽薄な言い方だったけど、それでもふざけていないことはわかる。これでも十年近い付き合いなのだ、どれだけ変化があったとしても、言葉尻に込められた思いくらいは読み取れる。あいつはあの時、本気で俺のことをきれいと評した。それがずっと、心の端っこに引っかかっている。


「……きれいって、なんだろうな」


 限られた人にしか顧みられず、それでも寂れている訳ではない、小さな石碑。それを羨ましいと思っていたら、知らず口から疑問がこぼれ落ちていた。

 頬に宝井の視線が刺さる。誤魔化すより先に、彼女は口火を切っていた。


「きれいは汚い、汚いはきれい。聞いたことある?」


 てっきり白眼視されるものかと思っていたから、急に問いを投げ掛けられた俺は瞬きするしかできなかった。

 どこかで聞いたことのある文言だ。……が、詳細には思い出せない。どこで耳にしたのだっけ。


「……マクベスだよ。去年の十一月、芸術鑑賞で見たでしょ」


 考えても答えに行き当たらず、結局宝井から白い目で見られてしまった。

 眞瀬北中では、芸術に触れる機会をつくる一環として、毎年十一月に外部の団体を招いて芸術鑑賞会を開催する。去年は劇団を呼んで、その演目が先程宝井の言ったマクベスだった。大体のクラスメートは寝るか雑談に興じていて、信也と功一が課題として提出する感想を書くのに苦労していたのを覚えている。かく言う俺も内容が難しくて、観劇後も特にこれといった感想が思い浮かばなかった。課題に何と書いたかは思い出せないが、恐らく当たり障りのないことを記して提出したと思う。

 さすがに宝井は真面目に観劇していたらしく、劇中の文言もはっきりと覚えているらしい。見るには見ていたので、十分に理解できていなかったことは見逃して欲しい。


「どういう意味なんだ? 反対のことを言ってるみたいだけど……それだけじゃないんだよな?」

「うーん、これはあくまでも私の解釈だけど……誰かにとってきれいだと思うものは他の誰かにとっては汚いものかもしれないし、その逆もあり得る。人のものの見方や価値観は同一じゃないってこと。だからあんまり深く考えない方がいいんじゃない。マクベスも、最終的には敗死した訳だし」


 正直中学校で上演する演目じゃないよね、と宝井は肩を竦める。言われてみれば、なんだか暗いラストだったような気がする。


「とにかく、気にするなってことを言いたかったの。何言われたのか知らないけど、人がきれいだと思うものはそれぞれ違うんだから。なるほどそうなのか、くらいの気持ちでいれば良いんだよ。ただでさえ磐根君は考えすぎるところがあるんだから、さっさと忘れちゃった方が楽なんじゃない」

「そう、かな」

「そうだよ。別に磐根君は、その相手の価値観を面と向かって貶したり馬鹿にしたりしてないでしょ。だったら別に問題はなくない? 目に見えないものについていつまでも考え込んでたら、他のことが疎かになっちゃうよ。マクベスみたいに破滅したいっていうなら、何も言わないけど」

「破滅はしたくないなあ……」

「じゃあ今は関係ないこと考えないで。お腹すいたし、そろそろお昼にしようよ」


 行こう、と告げて、宝井はくるりと踵を返す。相も変わらずさっぱりとしている。言葉だけだと突き放すような風がないでもないが、口調は随分と柔らかかったから、少しは俺のことを気遣ってくれたのかもしれない。

 ぶっきらぼうに見えて、宝井は結構優しいと思う。他人に興味ありませんよ、みたいな振る舞いをしてはいるけれど、一度関わった相手のことは放っておけないのだろう。……そうであったら、少し嬉しい。

 宝井からきれいだと言われたら、俺はどう思うのだろう。きっと今のように思い悩むことはないのだろうなと想像しながら、小さな背中を追いかけた。

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