3

 から、直接的な揉め事こそないものの、教室は冬の空気のようにひりついている。

 元凶というべき信也や、あいつを取り巻く男子たちはそこまでかかずらっている風じゃないが、女子の間に横たわる断絶は明白だ。茜ヶ淵と児備嶋。以前からうっすらとあったお互いへの反発は、ここぞとばかりに表面化して教室を埋め尽くしている。

 本質は大野を取り巻く児備嶋の目立つ女子グループと宝井を除いた茜ヶ淵女子の対立なのだろうが、勿論そんな狭い範囲で終わりはしない。猪上を初めとする児備嶋の代表格と言うべき女子は、そうでない女子に対して茜ヶ淵女子と話さないように、などと指示しているらしい。

 給食の配膳の時なんかは酷いものだった。今回の問題に関係ない、いわゆるオタクと呼ばれる部類の隅野すみのは、食器を渡す時に茜ヶ淵の女子の一人──浪輪なみわから話しかけられて、何の気なしに答えただけなのに、その後猪上から後頭部をトレーでぶたれていた。猪上はいかにもスキンシップです、みたいな顔をしていたし、周りも笑い飛ばしていたから、そこまで深刻な問題のようには見えなかったが、俺の目からしたら立派な暴力行為だ。そして、猪上たちによる牽制と制裁であることもわかる。隅野もそれを理解したのだろう、嫌がったり教師に告発することなく、乾いた笑顔を浮かべてその場をしのいでいた。そうでもしなければ、猪上たちから完全に敵視される。

 茜ヶ淵の女子は、児備嶋程露骨な行動に出ることはない。ただ、少なからず反発心を抱いてはいるのだろう。昼休みになると、いつもの四人で寄り集まって、学年フロアにあるホールで何やらひそひそ話している。時折教室の方へ視線を向けて、ええっ、などとわざとらしく声を上げる。大野を見ると、猫屋敷以外が彼女を指差したり、こちらにもわかるくらいの視線を寄越して忍び笑いをこぼす。実際に何を話し合っているのか部外者である俺にわかるはずもないが、端から見ていて陰湿な印象を受けた。

 何よりいたたまれないのは、当事者である大野が乗り気ではなさそうなことだろう。もともと目立つグループの中では発言権が弱い大野は、猪上たちに意見できないらしく、あれからずっと浮かない顔をしていた。信也と破局したこともあるのだろうが、悲哀よりも居心地の悪さが勝っているように見えるから、きっとそれだけが原因とは思えない。


「どうにかならないのかねえ。こんだけぴりぴりされたらやってらんないって」


 はあ、とこぼれるのは嘆息。俺も同じ思いだったが、発言者が事の発端である信也なので共感はできない。


「お前、どの面下げて言ってるんだよ」


 俺よりも早く反応したのは功一だった。寝起きなんじゃないかって思うくらい不機嫌な顔で、軽率な幼馴染みを睨む。


「元はといえば、お前が中途半端なのが原因だろう。恥を知れ」

「相変わらず手厳しいなあ、功一は。仕方ないだろ、あんなに揉めるとは思ってなかったんだから」

「それでも、折り合いはつけないと駄目だろ」

「大地まで、親みたいなこと言う……」


 よよよ、と泣き真似をしてみせる信也。功一は忌々しげに舌打ちして、ふいとそっぽを向いた。信也の態度が気に食わないのだろう。

 それでも離れない辺り、功一は信也を見限った訳ではないとわかる。素っ気なくて無愛想、歯に衣着せぬ発言が常の功一だが、薄情ではない。信也がここ最近俺たちのもとで空き時間を過ごすのも、これまでの年月が培ってきた目には見えないぬるま湯じみた空気感に浸っていたいからだろう。俺たちは信也を否定しても、見放したり関係を完全に切ったりはしない。

 大野の気持ちを考えたら、もっとガツンと言ってやるべきじゃないかと思う。でも、俺も功一も女子と付き合ったことなんてないし、第三者が口出しして事をややこしくしたら迷惑でしかない。できるのは、口頭での注意だけだ。


「二人とも、恋愛とは無縁だからな。いつか好きな女を見付けたら、きっと俺の気持ちもわかるよ」


……本当に反省しているのかと問い質したくもなるが、俺たちまでどんよりした空気の中昼休みを過ごしたくはない。功一と同じく、俺もノーコメントの姿勢を貫いた。

 クラスメート間の揉め事で何とも言えない雰囲気が漂っている二年一組だが、全員が空気を読んで──というよりは流されて──いる訳ではない。自分の意思を優先し、他者の目線など気にしない生徒もいる。


「──古沢君」


 凜とした、よく通る硬質な声。

 呼び掛けられた功一だけではなく、三人いっしょに顔を上げる。そこには、相も変わらず険しい顔をした鷲宮がいた。


「おー、英里奈じゃん。どうしたー?」


 功一よりも先に、信也が気さくな調子で片手を挙げる。

 鷲宮は眉間の皺を深くした。もともと、信也のような賑やかな男子は好きじゃないのだろう。それに加えて、あいつは痴情のもつれのど真ん中にいる。鷲宮が嫌悪感を滲ませるのは予想内だった。


「私は古沢君に用があるの。里中君は黙っていて」

「へいへい。ったく、いつでもきっついんだからなー、英里奈は。おい功一、呼ばれてんぞ」

「……言われなくてもわかってる」


 剣道部は無愛想でないと入れないのだろうか。一連のやり取りを前に、俺はぼんやりと思う。タイプは違うけど、功一と鷲宮と宝井、三人はいつでも不機嫌そうな顔をしている。

 やっと聞く気になったらしい功一を前に、鷲宮は腰に手を当てた。そういう像なのかって思わせる程、彼女の背筋はぴしっと伸びている。


「ゴールデンウィークの練習試合だけど、ここでやるから前日の部活は掃除にもあてるんですって。三年生は地区大会に向けて強化するから、二年生主導で掃除を進めなさいって先生が言っていたわ」

「……何で今言う? 部活の時でいいんじゃないか」

「さっき、ちょうど先生からことづけられたのよ。次の男子部長は古沢君でしょう? 部活の時には、もう配置や担当を決めておくくらいしてもらわないと困るわ。こっちは用具の出入を任されているんだから……」


 いくら幼馴染みといえども、その部活のことまではわからない。俺は流れるように指示を出す鷲宮を、ぼんやりと眺めた。教室と部活で印象が変わる人はいるかもしれないが、鷲宮に関しては普段通りだ。

 話の流れから察するに、次代の部長は功一なのだろう。以前、男女でそれぞれ部長と副部長を務めると聞いていたから、鷲宮が副部長になるのは目に見えていた。功一が、むしろ鷲宮の方が部長に向いている、とぼやいていたのを覚えている。

 陸上部でも、そろそろ次世代を決めなくてはならない。広沢いわく、俺を支持する奴もいるらしいが、正直言って向いていないと思う。俺に部を引っ張るリーダーシップや求心力はない。


「──そういえば、鷲宮」


 二人の話が一段落したところを見計らって、俺は声をかけた。

 鷲宮が、ん、と顔を上げる。先程信也に向けていた時よりも、幾分か柔和な顔付きだった。


「何、磐根君」

「いや、大したことじゃないんだけど……鷲宮、新歓に気合い入れてただろ? 女子の方、どうなったのかと思って」


 体験入部期間は先週で終わり、今週からは本入部の一年生を交えた練習が始まっていた。俺の所属する陸上部は予想通りといった感じで、OBOGの弟や妹が主体となって入部した。勿論、体験入部で興味を持ったとか、もともと陸上で好成績を修めているって人もいる。

 毎日の登下校で、幼馴染み二人の所属する部活についても聞いていた。男子バスケ部と剣道部の男子は、試合や部活の継続に問題ない人数が入ったという。それゆえに、以前から鷲宮が力を入れていた剣道部女子についても気になっていた。功一はその辺り無関心だから、鷲宮に直接聞かなければならない。

 鷲宮はすぐに眉根を寄せて、嫌なことを思い出したようにああ、と呟いた。その反応だけで、大体の結果はわかってしまう。


「駄目だったわ。新入部員、一人も獲得できなかった。やれるだけのことは、やったのだけれど」

「そうか。……悪い、こんなこと聞いて」

「いいのよ、別に、私が悪い訳じゃないんだから」


 口ではそう言うが、鷲宮の声色は硬く尖っている。ここにはいない誰かを非難していることは明らかだった。


「じゃあ、今年もノーメンちゃんと二人って訳? 大変だなあ」


 へらりと揶揄する信也に、鷲宮は再び鋭い一瞥を向ける。本当に、この手のタイプが苦手なのだろう。中学に上がってから、鷲宮のシビアな目は信也以外の男子にも向けられつつある。


「大変、だなんて……こっちの事情も知らないで、わかったような口を利かないでくれる? 気分が悪いわ」

「悪かったって、そんなに怒ることないだろ。こっちはシンプルに心配してるんだよ」

「あなたからの心配なんていらないわ。どうせなら、宝井さんを心配してあげたらどう? 部活がこんな時だっていうのに、私への謝罪もせず、どこかに行ってしまうんだもの。あり得ないわ、人として」


 深い溜め息と共に吐き出された言葉。それに反応したのは、俺でも、信也でも、功一でもなかった。


「──アリアちゃんのこと、探してるの?」


 高い女子の声。反射的に、俺は声のした方向へ目を向ける。

 猫屋敷姫魅。そして、彼女を取り巻く、宝井を除いた茜ヶ淵の女子たちが、俺たちの前に立っている。

 目に見えて気まずそうな顔をしたのは信也だった。普段からは想像できない速度で顔を伏せる。自分は関係ないと、言い聞かせているようだった。

 そんな今の彼氏を気にした様子もなく、猫屋敷は鷲宮を見る。透明な視線が、鷲宮の額にぶつかった。


「わたし、知ってるよ。アリアちゃんが休み時間、どこにいるのか」


 鷲宮が口を開くよりも早く、猫屋敷は発言している。有無を言わせぬ口調だった。


「アリアちゃんはね、いつも、心の相談室にいるんだよ」


 にっこり微笑んで、そう言った。

 心の相談室。それが何か、俺は知っている。多分、この場にいる全員が、存在を認識しているであろう部屋だ。

 学校生活で悩み事がある時、気兼ねなく利用してください。去年、入学したての頃、校内案内でちらっと覗いた。その時、週に二回来ているというカウンセラーの先生が、そう言っていたことを思い出す。

 日々の学校生活で悩みを抱えている生徒は少なくないだろう。しかし、彼らが相談室に向かうことはないと思う。文化部と同じで、あの相談室は『足りない子』が行くものなのだと、誰が言い出したのかはわからないが暗黙の了解になっている。あそこは、不登校や、教室に馴染めない子が行く場所。うちの学年は不登校や学校を休みがちな生徒がまだいないから、相談室のハードルはきっと他学年よりも高い。

 猫屋敷を皮切りに、彼女を取り囲んでいる女子たちも次々と同調する。


「んだ、アリアちゃん、カウンセラーの先生が来てる時はいっつもあそこにいるよ」

「小学校でも、具合悪くもないのに学校休んだりしてたし」

「心の病気、なんだって。私たちはよくわかんないけど」


 くすくす、くすくす。

 密やかな笑いが繰り返される。楽しげに、それでいて静かに、茜ヶ淵の女子は笑う。

 頭が痛くなりそうだった。


「じゃあね、英里奈ちゃん。部活、頑張って」


 他人事のようにそう告げて、猫屋敷たちは去って行った。移動教室もトイレもいっしょのあいつらがどこに行くか、俺にはわからない。

 その場には、変な空気が垂れ込めていた。誰も何も言わず、出方を図りかねているように見えた。


「……確かめなきゃ」


 沈黙を破ったのは鷲宮だった。見えない何かに憤っているような表情で、踵を返す。そのまま、大股で俺たちのもとを離れていった。


「心の相談室、ねえ。もし本当だったら、やべーよな」


 鷲宮が離れたのを見計らってか、信也が冗談交じりに切り出す。宝井が剣道部だと知った時の、文化部に対する侮蔑に似たものが込められた声だった。

 俺も功一も、曖昧な返事をする他なかった。功一は本当にどうでも良かったのかもしれないけど、俺は何と言葉を返したら良いのかわからなかった。

 ちらと、宝井の席を見る。あいつは、まだ戻っていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る